第81話:従者ダラス、決意の夜
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、自らの記憶を探す旅に出た。
ロアス一行は、攫われたフィンの手掛かりを追い、魔術師協会の報告会に出席していた。しかし突如として現れたのは、盗賊団ブラックペリル。彼らは魔導殿を襲撃し、魔力結晶を奪い去って逃亡する。追跡するロアスと、フェルヒト。やがて、ブラックペリルに追いつく。
ダラスは二人の男を見据えていた。
アルベルト・フェルヒト。そして、ロアス。
よりにもよって、俺たちより圧倒的な格上が、二人同時に現れるとは――冗談じゃない。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
死ぬことも、諦めることも許されない。
俺の日常が壊れたあの夜、アテネ……いや、アテネ様を救い出すと誓った。まだ、それが終わっていない。
一つの貴族家が歴史から消えたあの日から――
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物心ついた時から、俺の世界は王都にあるファラスという貴族一家の中にあった。
両親は従者で、俺も従者として生きる道しかないと、疑問すら抱かずに育った。
礼儀、家事、馬の扱い、読み書き——従者に必要な全てが“当たり前”として与えられ、俺は淡々と吸収していった。
当主セリオス様と奥方リディア様は、とても温かく、俺たち従者にも気遣いを惜しまなかった。
母が病で倒れた時でも、休暇を与えてくださり、父や私にも気をかけてくれるような方だった。
ファラス家には二人の御子息がいた。
四つ上のアルデン様、そして一つ下のアテネ様。
兄妹仲は悪くなかったが、話す時間はほとんどなかった。
アルデン様は次期当主として過酷な鍛錬に明け暮れ、アテネ様は穏やかに本を読む少女だった。
俺とアテネ様の距離が初めて近づいたのは、十歳の頃。
書庫整理を任されるようになり、自然と会話が増えた。
「アテネ様、今日は何の本を読んでるんですか?」
「これですわ。〝まほうしょ〟とやらを──」
「……アテネ様、それ『まじゅつしょ』です」
「まぁ! 細かいことはどうでもよろしくてよ。それより、この『まじゅ……まじちゅ……』、とにかく興味深いのですわ!」
「言えてませんから……」
呆れながらも、つい笑ってしまう。
あの頃の会話は、本当に他愛もない。けれど俺にとっては、生まれて初めて“誰かと並んで笑う時間”だった。
そんな穏やかな日々が二年続いたある日――アルデン様が事故で亡くなった。
成人の儀の最中、近衛兵の過失によるものだと告げられた。
アルデン様の訃報に触れた瞬間、胸に刺さったのは悲しみよりも、残されたアテネ様の孤独だった。
「……大丈夫ですか? アテネ様。顔色が優れないようですが」
「ねぇ、ダラス。アルデン兄様が亡くなったのは……私のせいかもしれません」
「なぜ、そう思われるのですか?」
「成人を祝う会食の最中……私は皆様の前でマナーを注意されてしまいましたの。
止めようとした兵士の方が……誤って兄様を突き飛ばして……」
「――そう、だったのですか」
「ええ。兄様は情勢悪化もあり、最近は口調もきつくなっておりました……。この件で、兵士の方は王都を追放されたそうですの。どうすればよかったのでしょう。兄様を死なせずに済む方法も、兵士の方を追放せずに済む方法も……考えても考えても、答えが出ませんの。
もっとちゃんと謝れていれば? 笑って受け流していれば? 何か言葉を返せていれば?」
アテネ様の指先が膝の上でぎゅっと握られていた。小刻みに震えている。
俺は静かに言葉を紡いだ。
「もしご自分を責めているのなら、それは違います。
アルデン様も兵士も――あなたを守ろうとしただけです。なら、背負うべきは“罪”ではなく、“想い”です」
「……想い?」
「ええ。アルデン様が望んだのは後悔ではありません。
笑って、前を向き、あなたらしく生きてほしい――きっと、それだけです」
アテネ様は唇を噛み、伏せていた視線をゆっくり上げた。
「……私、兄様の代わりになれるでしょうか。いつの日か、この家を守る当主に」
「なれます。少なくとも、俺は信じています。
あなたが迷う日は支えます。立てない日には肩を貸します。
だから――どうか一人で泣かないでください」
「……ダラス。あなたがいてくれて、よかった」
「こちらこそ。アテネ様のそばにいられることを、誇りに思っています」
この日を境に、俺は“従者として”ではなく、“一人の人間として”アテネ様を見つめるようになった。
「アテネ様〜! どちらにいらっしゃいますか!」
廊下から、慌てた声が聞こえた。
「ペラーナ! 私はここですわ」
「よかった……アテネ様、心配させないでください。泣いておられるのではと……って、ほら、やっぱり泣いてたじゃないですか」
「ふふ、大丈夫よ。ダラスに慰めてもらっていましたの」
「ど、どうも……」
十歳ほど年上の女性。俺はこの時、少し緊張して言葉が詰まった。
「あら、君、アテネ様のボーイフレンド? 私はペラーナ。アテネ様の護衛よ。よろしくね」
「ぼ、ボーイフレンド!? そ、そんな関係ではありませんっ!」
「ペラーナ、ボーイフレンドとは?」
小首を傾げるアテネ様。
「ふふ、説明しましょうか」
「や、やめてください!」
慌てる俺を見て、二人は笑った。
――懐かしく、温かい日々だった。
——だが、
その穏やかな日々は、
一夜にして終わりを迎える。
⸻
アルデン様が亡くなってから二年、俺が十四の年の時だ。
雷雨で道が濡れ馬車がぬかるみにハマり、帰りが遅れたその日、屋敷は異様な静けさが辺りを支配していた。
暖炉の火は消え、壁にかかる家紋は薄暗く光る。床には赤黒いシミが点々と広がり、足跡が乱雑に引き摺られていた。
(野党か? いや、まさか。ここは王都だ……。セラフィトラで一番警備が厳重な国だ)
そんな自問自答をする。
胸が潰れそうになりながら大広間に駆け込むと、横たわり動かない近衛兵たち、そして三つの動く人影が視界に飛び込んだ。
紫髪の妖艶な雰囲気の女。そして、グラファルに引きずられるように引っ張られ、現れたアテネ様。
当時、グラファルはファラス近衛兵団の一員だった。
俺は書棚の影に身を潜め、息を殺すしかなかった。
「これでファラス家は終わりだ。依頼通りにな」
グラファルの冷たい声。いつもの忠実で誠実は姿からは想像もできない。
「幾年か仕えた主だったのでしょう? 未練は?」
妖艶な笑みを浮かべ問う女。
「私を従える器ではなかった。それだけだ」
グラファルのその目に一切の情はなかった。
「この娘、全部目撃しちゃってたわよね。殺す?」
「いや、イーラディアで高く売り飛ばす。あの国なら足が付きにくいからな」
「それって禍根を残すことにならないかしら?」
「心配か? なら、この小娘にも『こいつ』を使う」
彼の手には小さな箱。そこには古びた紋様が刻まれている。
その箱は彼によって高らかに掲げられ、詠唱が響いた。
『――幻牢よ、開門せよ。
我は絶望を鎖となし、現実より締め出す者。
虚ろの狭間に真理を流し、迷い子に救済を授けん。 汝の過去は罪、名は虚、絆は影。
″お前は幼き日に親も家も失い、孤独の中で生を刻んだ。物心がつく前の記憶は、虚ろに消え去ったのだ″
――《真の救済》』
その瞬間、アテネ様の瞳から光が消え、意識がなくなった。
「さっきも使ってたわね。その箱、どんな魔具?」
「……こいつは端的に言えば″記憶を喰らう魔具″。こうやれば復讐心を抱くようなこともなくなる」
(何をやっているんだ……。あいつら……。アテネ様はご無事か!?)
その顔を見た瞬間、心臓が凍りついた。叫びたい。逃げたい。なのに、足が全く動かない。
二人は屋敷の地獄絵図を一瞥すらせず、冷えきった足取りで歩み去る。紫髪の女は踵を返し、窓辺の闇に溶けて消えた。グラファルは腕に抱えたアテネ様を乱暴に担いだまま、振り返ることもなく背を向ける。
「……行くぞ。もうここに用はない」
「ええ」
残されたのは、荒れ果てた屋敷と、まだ温かい血の感触。そして倒れ伏した兵たち。その傍らを躊躇もなく通り過ぎ、二人の背は遠ざかっていく。
(待て……!)
胸の奥が灼けるように疼いた。脳裏に浮かぶのは、震えながらも笑ってくれた少女の横顔。今にも消えそうな日常を取り戻すため、気づけば俺の体は前へ――
その瞬間。
「ダラスくん……行ってはダメ……」
微かな声とともに足首を掴まれた。床に倒れていた近衛兵――ペラーナだった。血に濡れた瞳が、かすかに開いている。体は深く裂かれ、今にも命がこぼれ落ちそうな状態だ。
「君は……生きて……!」
「……私は……奴の魔術の干渉を……〝白魔術〟で逸らしたけど……。……他の兵士たちは……きっともう……」
この時のペラーナの言葉の意味を、理解できてはいなかった。
「行かせてくれ! アテネ様が連れていかれたんだ! 俺が行かなきゃ――!」
「行けば……確実に死ぬわ……それも犬死にだ……!」
ペラーナは震える指で俺の足を掴み続けた。血に濡れたその腕は限界のはずなのに、決して離れようとしない。
「今の君が敵う相手では……ない……。あれは……ファラス近衛兵団が束になっても……勝てなかった……」
「でも……!」
「今ではない……。今、まだその時ではないというだけ……。必ず……私たちの手で……すぐアテネ様を救い出しましょう……!」
掠れた声なのに、不思議なほど強かった。
悔しさも、怒りも、恐怖も、全部まとめて噛み殺すように歯を食いしばった。俺は自身の服を破り、ペラーナの止血を行う。
遠ざかる足音。豪雨の唸り。外の闇の向こうへ、アテネ様は奪われていった。
俺は、ただ震える手を必死に抑えこみ、ペラーナの応急処置を行った。
「取り返せるんだな……! 俺らの手でアテネ様を救えるんだよな!」
「ええ……。救い出しましょう。……私も協力する……。
そのために、まずは命を大事にしましょう……!」
(必ず……奪い返す。何度でも。何を失っても――)
胸の奥で、静かに炎が灯る。
だがこの時の俺はまだ知らなかった。
あの屋敷で起きたことの本当の意味を。
セリオス様も、リディア様も。俺の両親も。料理人も侍女も従者も、百を超える命が跡形もなく消えたことを。
そして、意識を取り戻した近衛兵だけが“正気を失った言葉”を語り、涙を流しながら屋敷を去っていったことを。
俺はその事実を知った時、より俺の絶望と負の感情は強くなった。
セリオス様とリディア様は――俺にとって主であり、家族だった。
しかし、その事実すら、今は悲しむ余裕がなかった。
この日を境に、従者ダラス・バルーガの穏やかな日常は終わりを告げた。
あの日、奪われたアテネ様の記憶は、まだ取り戻せていない。
――絶対に取り戻す。
そして、この後、奪われることになるモノもすべて。
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