第80話:追跡者
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、自らの記憶を探す旅に出た。
ロアス一行は、攫われたフィンの手掛かりを追い、魔術師協会の報告会に出席していた。しかし突如として現れたのは、盗賊団ブラックペリル。彼らは魔導殿を襲撃し、魔力結晶を奪い去って逃亡する。混乱の中、魔導殿の中からロアスの姿は消えていた――。
魔導殿の外。
大空を滑る影が、ノクティアの街を取り囲む城壁の上に降り立つ。巨大な魔獣――ワイバーンだった。
その背には、奪った巨大な魔力結晶を抱えたウォドンを初め、ブラックペリルの面々が揃っていた。
「これだけありゃ、充分だろ」
ウォドンが豪快に笑う。
「いやぁ、愉快な一時でしたネ〜」
リカールが軽口を放つ。
「ふん。己の血統にあぐらをかくだけの魔術師なぞ、混乱させれば終いよ」
クラウスは無表情のまま抱える人形ペラにも頭を頷かせる。
「あーあ、鴉ちゃんたちが減っちゃったー!」
リリィは頬を膨らませ、不満げに足を蹴った。
アテネが振り返る。
「流石に魔術師ギルド連中を敵に回すのは賭けでしたけれど、なんとかなりましたわね」
その声に、ダラスは返答をしなかった。
城壁を進む一行を、物陰から三つの影が覗く。
エルメルスとレシア、そして――フィン。
「おかえり〜」
レシアが手を振る。
「ここまでは手筈通りですね」
エルメルスは嬉しそうに告げた。
だがダラスの表情だけは硬い。背後を振り返り、低く呟く。
「……いや。一人、巻けなかった」
――ガン……ガン……ガン……
耳を澄ますと、城壁の下の方から一定リズムで壁を打つような音。
「ンン? なんデスカ? この音は……」
リカールは耳に手を当てる。
その質問に答えられる者はいない。
その音は、次第に大きくなっていく。
――ガンッ、ガンッ、ガンッ!
「まさか……何かが壁を登ってきてんじゃねぇか?」
ウォドンが言ったその瞬間、風が強く吹き、砂煙が渦を巻いた――影が城壁の下から飛び出てくる。
ロアスだった。
息ひとつ乱さず、無言で立つ男。彼の手先は傷だらけだった。表情は静かで、しかしその眼差しには鋭い光が宿る。
城壁の上に人が辿り着けるはずがない。常識が、ブラックペリルの顔ぶれを一瞬硬直させた。
「ロアスさん!」
フィンの声が破る。手には手錠のような拘束具がある。鎖はハープを小脇に抱えた金髪の少女――エルメルスの手元へと繋がれていた。
ロアスの目がほんの僅かに見開く。
「……フィン。無事か」
「はい! 私は何もされていません。ロアスさんもご無事でよかったです!」
「ここ、城壁の上だぞ? まさか、素手で登ってきたのか!? そもそも、いつからつけられていたんだ!?」
クラウスが驚愕の余り疑問を並べる。視線が一斉にロアスへ集まる。
風が揺れ、ロアスの前に一人の影が出てくる。
深い紫のロングヘア、整った冷ややかな顔立ち――それは、見覚えのある顔だった。
「……アテネか」
ロアスがその名を漏らす。相変わらずの美貌――だがその姿は、キャラバンで見た商人のそれではない。機能性を重視した露出の多い服装。ショートパンツに巻かれた革ベルトには様々な小物が揺れる。
それは、“盗賊団の長”としての本性を隠そうともしない姿だった。
「ロアス、こんなところまで追ってきたんですのね。今まで騙していて申し訳なく思いますわ」
「俺はお前に騙されていたとは思っていない。ただ……フィンを返してくれ。それだけだ」
フィンが口を挟む。
「ロアスさん、私は大丈夫です! ダラスさんから聞きました。ここにいる皆さんは、グラファルという男に記憶を改竄された被害者たちなんです!」
「記憶を改竄、だと?」
「グラファルの改竄の力から解放されるには、『メネスの瞳』と私の力、そして、魔力結晶が必要だったんです」
「俺らが″記憶を改竄″されてるって話、ダラスが言ってるだけで皆半信半疑なんだがな……」
ウォドンは肩をすくめてる。
アテネの表情が陰る。過去を覗く覚悟を問うように。
「でも、それが本当でしたら、私の記憶も……取り戻せるかもしれませんわ」
ダラスは堪えるように頭を垂れた。
「あと、一晩……。いや、半日だけでいい。今日の夜十の刻、この場所でフィンを返す。だから頼む、この場は見逃してくれないか」
そして、両手と頭を地につけ、懇願する。そんなダラスの姿に、面々は息を飲む。
「なんでコイツにそこまで……?」とクラウスが漏らす。
「全員で黙らせちまえばいいんじゃない?」とレシアは短剣を構える。
ウォドンが手を上げて制す。
「レシアさん、ダラスがここまでやる理由があるんスよ。仕掛けるなら考えた方がいいっす」
ロアスはダラスを見下ろす。
(信じていいのか。記憶の改竄――俺の記憶喪失とは関係があるのか……)
思考が渦巻く。
「一つ聞きたいことがあるんだが――」
口を開いた瞬間、リリィが苛立ちを爆発させた。
「もう! あの野郎、こっちが下手に出てるからって偉そうに!」
リリィは鞭を鋭く一閃、ワイバーンの背を叩いた。
「ワイバちゃん、あいつ落として!」
ワイバーンは両翼を広げ、巨大な突風を巻き起こす。
「馬鹿、やめろ!」ダラスが咄嗟によける。
ロアスは吹き飛ばされるが、常人離れした脚力で片足を城壁に突き刺し、めり込ませて踏ん張る。
ワイバーンの巨体が直線を描いて突進してくる。
「リリィさん! 城壁が崩れたら市民に被害が!」
フィンの声も届かない。ワイバーンはその首を振り下ろし、ロアスを噛み砕こうとしてきた。
その瞬間、ロアスは城壁を強く蹴り、跳ぶ。
「ふんっ!」
踏み上げた足がその顎を直撃する。ワイバーンは上空へ投げ出され、弧を描いて体勢を立て直そうとするが、空力を失って失速する。
「なっ……嘘でしょ!? ワイバちゃんを蹴り飛ばしたっての!?」
リリィの声が震える。
ロアスは城壁にふわりと着地する。粉塵が足元から拡がる。呼吸は静かで、瞳は獲物を見据える獣のものだ。
ワイバーンが甲高く咆哮し、急降下してくる。速度は常識の範囲を超える。
「ロアス、避けて!!」
フィンの叫びは届かない。ロアスにはその警告が不要だった。
――一瞬の間合いののち。
ロアスは正面から踏み込む。飛竜の影に飛び込み、拳を振り抜く。
「……っ!」
脚が地を砕き、拳が空気を裂く。ワイバーンの突進と拳が正面から激突する。
――バキッ、ゴキャッ!
乾いた破砕音。ワイバーンの首が激しくのけぞり、巨体は慣性を失い、城壁の外へ崩れ落ちる。血飛沫が風に乗って散る。
「ギャアアアアアッ!!」
飛竜の断末魔が谷へと呑まれていく。目撃者たちは声を失った。
だがロアスは容赦ない。飛竜が落ちるのを確認するより先に、地上へと向き直る。
リリィは拳大の箱を放り投げる。
「あんたねぇ、許さないんだからっ! 《縮魔檻》――おいで、ウルフ!」
箱は膨らみ、檻が展開する。五匹のウルフが箱口から飛び出した。
「箱……呼び出した魔物を操れる魔具か……?」
ロアスは目を細め、初めて見る道具を分析する。
「はぁ? 違うわよ。これは生命力と引き換えに“服従”させた魔物を出し入れできるだけの檻。″友達″を手懐けてるのは私の実力っわけ!」
「リリィ! やめろ、手を出すな!」
ダラスの叫びはウルフを一瞬戸惑わせるが、リリィは鞭で指示を送る。
城壁の上に、牙を剥いた五つの影。獣の臭気が風に乗る。
「舐められんのはイヤ! 食い破れ!!」
リリィの号令にウルフたちが跳躍する。
だがロアスは動じない。たった一歩、踏み込み、右腕を横薙ぎに払うだけで――
「どけ」
先頭のウルフが体勢を崩し、そのまま城壁の外へ転落した。
「なっ……一撃で……!?」 リリィの声が震える。
二匹目は横からの噛みつきに反応して、ロアスは右足を一閃。骨の裂ける音を伴い、獣は地に沈む。
三匹目と四匹目の連携を察したロアスは、軽く瞼を伏せ、呼吸を整える。
一瞬の踏み込みで吹き飛ばし、残る一匹は空中から振り下ろす一撃で戦闘不能にされる。
石畳に響く音が静まる。粉塵の中、五匹のウルフはいずれも戦闘不能となった。
場には息を呑む沈黙が降り、ブラックペリルの面々はただ茫然と立ち尽くす。
「……嘘よ。ウルフの群れを、一人で――」
リリィは一歩後退する。ブラックペリルの面々も面を強張らせる。ワイバーンを素手で撃ち落とし、さらにウルフを瞬時に無力化する男に、誰もが動揺していた。
ロアスは粉塵の中からゆっくりと歩み出す。背後に、気配なき殺意が滑る。
――シュッ。
背後から三つの銀色の閃光が放たれた。短剣だ。
ロアスは振り返り、両手を伸ばして二振りを掴み取り、残る一本は首筋をかすめる。皮膚を伝うのは紫黒い液体。
「あは。ざんね〜ん。それは一滴で生物を昏倒させる猛毒よ。一日くらい生死を彷徨っててくれる〜?」
レシアは勝ち誇った笑みで囁く。
だがロアスは、掴んだ短剣を手刀のように軽く放り投げ、誰もいないはずの空間を見据える。
「ほう。気配はあるのに、目では見えない……。
視認できなくなる魔具もあるのか」
それだけつぶやくと、何事もなかったかのように、ダラスに視線を戻す。
表情は平然、口元にわずかな皮肉が滲むだけだ。皮膚には毒の反応も、痺れも、熱も一切ない。
「……ダラス。さっきの話だが、一つだけ確認したい」
「ん? あれ……毒の配合ミスったかな?
いや、でもぉ……なんで!?」
レシアは声を震わせる。喉がふるえ、勝ち誇りが消えかけている。
リリィは唇を噛み締め、鞭を強く握る。怯えが見えるが、負けを認める顔ではない。
「くっ、アタシたちを、舐めないでよッ!」
リリィが再び箱に手を伸ばすその時――
「やめなさい、リリィ!!」
アテネが強く怒鳴った。その声は、仲間を案ずる団長のものだった。
リリィの手が止まる。
「お、お姉様……」
アテネは押し殺した声で告げる。
「もう……十分ですわ。ロアスはウェイシェムのゾディを単身で討ったほどの強者です。これ以上は、無駄ですわ」
場に静寂が落ちる。ロアスは拳を下ろし、じっとブラックペリルを見据えた。フィンは胸の前で手を合わせ、小さく祈る。
「……もう、誰も傷つきませんように」
ダラスがゆっくりと問う。
「ロアス……確認したいことって、何だ?」
ロアスは深く息を吐き、砂混じりの風の中で静かに言葉を落とした。
「……失った記憶を探してるって話、したよな。お前たちの“グラファル”を解いたあとでいい。全部終わったら──その力を俺にも試してくれ」
砂煙が舞い、沈黙がひと呼吸だけ城壁を包む。焦燥と恐怖が混ざる空気の中、ウォドンは目を細めた。
「なるほど……確かにロアスは記憶を求めて旅をしていると言ったな。いいだろう。定刻、フィンを返す時に試してやる。ただし勘違いするな」
ダラスは真剣な眼差しで続ける。
「この魔具が作用するのは“魔術干渉によって記憶を失った者”だけだ。理由が不明なままでは、戻る保証はどこにもない」
「ああ。それで充分だ」
短いが迷いのない返答。その瞬間──
バチィッ!
空気が裂ける音と共に魔術の奔流が城壁全体を伝い、その場の全員を感電させる。
「ぐっ」「きゃっ」「なんだ」「動けねぇ……」
ロアスを除く全員が苦悶の声を漏らす。その頭上から、嘲るような笑い声が落ちてきた。
「ぬふふふふ、ぶははははッ! ──見ぃつけましたよぉ、この“盗人”どもぉ」
空を舞う人影がゆらりと降りてくる。派手で独特なコートが風をはらみ、青白い光が身体を包んでいた。
「魔術師ギルド長──アルベルト・フェルヒト……!」
ダラスは奥歯を噛み締め、低く吐き捨てる。
「ロアスくん。奴らを、盗人共を足止めしてくださり、ありがとうございます!
さて、大人しくお縄についてもらいましょうか」
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