第75話:冒険者ギルド長・アーヴィン
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、自らの記憶を探す旅に出た。
彼らは交易都市ノクティアへ向かう途中、盗賊団ブラックペリルの奇襲を受け、フィンが攫われてしまう。
街で情報を集めたロアス一行は、雇った冒険者と共にブラックペリルの手掛かりを追い、六門評議会の代表者に会いに行く――
蒼穹亭の扉が、静かに軋んだ。
重い足音が、床板を踏み鳴らす。
鉄具がわずかに擦れる音――鎖か、あるいは装備の金具。
ロアスが振り返ったとき、逆光の中に長身の影が立っていた。
広い肩、厚い胸板。年季の入った外套の裾が揺れ、
わずかな風が、室内の酒の匂いを吹き飛ばす。
髪は白が混じり始めた黒。
その瞳は感情の色をほとんど映さず、ただ静かに、すべてを見透かすようだった。
わずかに身じろぎすることもなく、重心は大地に根を下ろしたように微動だにしない。
ただ立っているだけで、熱気が冷え込むようだった。
誰かが、喉を震わせて呟く。
「……アーヴィン・ギルド長……!」
ざわめきが走る。
酔って椅子に崩れていた冒険者たちが、慌てて起き上がった。
武器を落とした者もいる。誰もが一様に背筋を伸ばし、呼吸を殺す。
アーヴィンは無言で部屋を見渡した。
床に倒れている男――ダルゴを一瞥し、鼻で短く息を吐く。
その眼光を浴びた瞬間、背筋がひやりとした。ロアスでさえ、思わず息を止める。
「お、お帰りなさいませ! ず、随分と――」
「……随分と早い帰りだな、と言いてぇんだろ? 予定より早く帰っちまったのが、そんなにマズかったか?」
低く響く声。その言葉に空気がひりつく。
「お前等の顔が早く見たくてな……。予定が終わって、帰宅もせずに直ここに来たんだ」
その皮肉めいた言葉に、わずかに緊張感が走る。
数人の冒険者が、息を漏らして笑った――が、次の瞬間。
「――てめぇら勝手に店閉めてんじゃねぇよ」
その声が、一段低く沈んだ。
笑みは一瞬で消える。
ざっ、と空気が動く。
血の気が引いた音がした気がした。
アーヴィンの視線が、ゆっくりと冒険者たちの列をなぞる。
「俺が留守にしてる間に――また受付と給仕に罵声を浴びせて帰らせたな」
誰も答えない。
ひとり、震える声で言い訳を始めた。
「い、いや、その……急に体調が悪いって言い出して、ですね……」
その男の言葉が終わる前に、アーヴィンの眼が動いた。
静かに、しかし獣のように光る。
「……“酷いセクハラと罵声を浴びせられた”って言ってたぞ。……そりゃ、気分も悪くなるわな」
低く、重く。
その言葉で場の冒険者たちは下を向いた。
アーヴィンは一歩、前へ出た。
「てめぇらの犯した罪を述べよう」
――誰も息をしなかった。
「一つ。蒼穹亭を勝手に閉めたこと。
……それは、俺の顔に泥を塗ったのと同じだ」
足音が、板を軋ませながら進む。
誰かがごくりと喉を鳴らした。
「二つ。模擬戦部屋を、喧嘩の道具に使ったこと。
ここは命を学ぶ場だ。酔っぱらいの遊び場じゃねぇ」
そして、マインとメルザーに目を向ける。
「今回もお前ら、何か吹っ掛けられたか?」
マインは少し緊張しながらも答えた。
「お、お久しぶりです。
門外と呼ばれ、尻を触らせろなどの暴言を受けました」
短く息を吸い、最後に吐き出すように言う。
「砂門亭の連中を、侮辱したこと。これで三つ目だ」
その一言ごとに、場の空気が締め上げられていく。
誰も動かない。炎の揺らぎすら、ロアスの視界では止まって見えた。
アーヴィンはしばし沈黙し、やがて低く言った。
「……並べ」
その声だけで、数人が反射的に立ち上がる。
列になり、肩を寄せる。
静寂。
息づかいひとつすら聞こえない。
アーヴィンは腕を組み、ゆっくりと歩く。
整列した冒険者たちの前に立つと、短く言い放った。
「一人三発だ。言い訳はいらん」
次の瞬間、目にも留まらぬ速さで拳が唸った。
男たちは腹、頬が、顎を打ち上げられ、宙に浮く。
その場には打撃音のみが響く。悲鳴や呻き声は、誰の口からも出なかった。
最後に、アーヴィンは拳を振り下ろしたまま、息を吐く。
「お前等の好きな討伐系依頼、山ほど取ってきてやった。明日の朝、希望依頼を出して来ない奴がいたら……」
間を置き、冷ややかに言葉を続ける。
「そいつは俺の“稽古相手”だ。一日中、な。
今気絶してる奴らが起きたら後で言っておけ」
青ざめた顔が並ぶ。
誰もが頷くしかなかった。
「わかったら消灯だ。全員自室へ戻れ!
今日はもう外へ出るんじゃねぇぞ」
「は、はい!」
蒼穹亭の面々は、それぞれ武器を拾い上げ、模擬戦部屋を後にした。
寮へ戻る背中に、まだアーヴィンの怒気が残響していた。
アーヴィンは彼らから離れ、マインとメルザーの元に向かった。
その足音は、今度は静かで重い。
「いつも、馬鹿共がすまんな」
そんな姿にマインは少し拗ねるようにして言う。
「……アイツらが悪いんです。ギルド長が謝る必要はありません」
メルザーも一息してから言葉を出す。
「アーヴィン殿もガキ共の相手、大変そうですな」
「……で、この者たちは?」
アーヴィンの目からネロ、レオス、そしてロアスに対してその鋭い眼差しを向けた。
「依頼人の二人と、たまに砂門亭の依頼を引き受けてくれるネロくんだ」
彼は一行に向け口を開いた。
「……客人にまで、不快な思いをさせちまったな」
ロアスは、静かに首を横に振った。
「特に気にしていない」
アーヴィンは初めて、少しだけ柔らかい表情を見せた。
「依頼人のお二人、名を、聞いても?」
「ロアスだ」
「俺はレオス」
「ロアスさん、レオスくん。こんなところじゃなんだ。向こうの応接間まで案内しよう」
そう言うと、さっきまでの冷徹な顔から酒場のマスターのような立ち振る舞いへと一変した。
⸻
応接間は、つい先ほどまで怒号が飛び交っていた酒場や模擬戦部屋とは別世界の静けさだった。
整然とした空間――それが、本来の蒼穹亭の姿なのだろう。
壁には地図が掛けられ、棚には古びた依頼書の束。
長机の中央に置かれたランプの炎が、ゆらりと揺れ、淡い光がアーヴィンの顔を照らしていた。
大柄な男は椅子に深く腰を下ろし、片腕を背もたれに預ける。
その眼差しは重く鋭いが、先ほどまでの怒気はもう消えていた。
今は――ギルド長としての顔だ。
「……改めて名乗らせてもらおう。俺はシェルド・アーヴィン。
ノクティアの冒険者ギルド長であり、“蒼穹亭”と“砂門亭”、両方を統括している。最も、砂門亭はドルマンに任せきりだがな。
まずは、先ほどのウチの者の無礼についてはこの場を持って改めて謝罪をしよう。申し訳ない」
低く響く声は、威圧ではなく、不思議と信頼を促す力を持っていた。
「アイツら、腕っぷしは確かなんだがな。
俺が目を離すと、すぐ勝手しようとしやがる。……困ったもんだ」
マインが苦笑する。
「ほんとですよ。あの様子じゃ、またギルド長が外出した際、同じことをすると思います」
アーヴィンは肩を竦めて笑う。
「ま、腕っぷししか脳のない荒くれ集団だがな。街に放ってチンピラにしておくよりは、俺の下で使ってやる方がずっとマシだ。責任は俺が取る」
ロアスが首を傾げる。
「この街のギルドは、なんで二つに分かれてる? 仲が悪いからか?」
アーヴィンは苦笑を浮かべた。
「いや、最初は分業のつもりだったんだ。
依頼人がノクティアの市民なら蒼穹亭、市外や遠方の者なら砂門亭――単純な振り分けだ。
結果として、蒼穹亭は討伐や掃討依頼が多く集まって“武闘派”になり、
砂門亭は護衛や遠征、交渉事が中心で、“調整役”みてぇな連中が多くなった。
……なのに、いつの間にか張り合い始めちまったんだ」
メルザーが小さく息をつき、うなずく。
「人間ってのは、同じ釜の飯でも、棲み分けができると競うものらしいですな。
我らも何度か仲裁に回らされましたよ」
「だろうな。お前らみたいなのがいなきゃ、ギルドなんざすぐに崩壊する」
アーヴィンはそう言って、わずかに口角を上げた。
「メルザー、マインには今後も苦労を掛けるかもしれんが頼む。
ドルマンにもよろしく伝えておいてくれ」
マインが静かに頭を下げる。
「はい。蒼穹亭も砂門亭も、ギルド長の下で動いている以上、私たちが支えます」
アーヴィンは満足げにうなずき、ロアスたちへと視線を戻す。
「すまんな、こっちの話だ――それで、要件を聞こうか」
ロアスが静かに頷く。その眼差しには、先ほどまでの熱気の余韻が、まだ微かに残っていた。
ロアスはサレフ司祭からの書状をアーヴィンに手渡す。
「まずは、これを」
受け取った書状を読むアーヴィン。
そして、しばらくしてロアスは要件を語り始めた。
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