第72話:ノクティアの教会
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、自らの記憶を探す旅に出た。
彼らは交易都市ノクティアへの道中で盗賊団ブラックペリルの奇襲を受けフィンが攫われてしまう。冒険者ギルドで情報を仕入れ、冒険者を雇った一行は、奴らの手掛かりを握るノクティアの教会を目指すことにした。
ノクティア市内に入ってから、軽く昼食を済ます一行。
それからドルマンがくれた地図を確認し、教会に向かう。
関所を抜けてからも、街はなおも熱気に包まれていた。
通りのあちこちで「栄砂団まんじゅう!」「グラファル印の赤ワインだ!」と威勢のいい声が飛び交う。
大通りの壁には、剣を振るうフリージアの絵姿が貼られ、人々はその前で立ち止まり、手を合わせて祈る者までいた。
英雄の名は、もはや神の名と変わらなかった。
その喧噪の中で、ひときわ場違いな声がか細く響いていた。
「どうか……どうか皆さま、忘れないでください……テシュビド神の御心を……」
誰も立ち止まらず、彼女の声は雑踏の中に溶けていった。
通りの片隅に立つ若いシスター。
まだ十五、六ほどの年だろう。
聖杯教団が信仰する神テシュビドの教えを訴えていた。
その手に抱えた聖典は擦り切れて表紙が剥がれ、布靴の爪先には泥がこびりついている。
必死に声を張り上げてはいるものの、誰も耳を傾けようとしなかった。
「今は栄砂団の時代さ!」
「神なんかよりグラファル様だ!」
笑い混じりの罵声が飛ぶ。
それにシスターは唇を噛みしめ、小さく「おお、神よ。信仰が失われて行くこの街にも、どうか祝福を」と祈っていた。
その背中があまりに小さく、哀れに見えて、ロアスは思わず足を止め、視線を送る。
彼が声を掛けるより早く、シスターはこちらに気づき、縋るように駆け寄ってきた。
瞳は涙で潤み、必死に言葉を絞り出す。
「あ、旅のお方……! もし、もしよければテシュビド教へ入会……せめてお祈りだけでも……」
マインがすぐに一歩出て、肩を竦める。
「勧誘なら遠慮しとくわ。別の用で来たので」
シスターは顔を少し落ち込み、慌てて首を振った。
「あ、すみません! 失礼しました……」
レオスはシスターの服の刺繍の″聖杯″のマークを確認しながら言う。
「聖杯教団の教会前……だよな……。世界で一番布教されてる宗教、もっと信者がいるもんかと思ってたが」
シスターは悲しそうな顔をした。
「ノクティアは少し違います。数年前から、皆が栄砂団の名ばかりを讃えて、神の言葉を忘れてしまってしまいました」
マインはぽつりと言葉を漏らす。
「まぁ、何を信じるかは自由だもんね」
「ええ、信仰は自由です。ただ周囲の信仰が失われて行くと、行使ができない白魔術もあって……いざと言う時に、回復魔術等も使えない可能性があります」
シスターは言葉をさらに肩を落とし言葉を続けた。
「ノクティアの税金も年々高くなってきて、教会運営を維持をするだけの資金もギリギリに……ただ、他の人はもう誰も耳を貸してくれなくて……」
その吐露は涙混じりで、周囲のざわめきにかき消されそうだった。
ロアスは何も言えず、ただその必死な姿を見つめていた。
(これが……聖杯教団……。総本山である聖都には、俺の記憶の手がかりがあると信じていたが……)
フィンから聞いていた話よりも随分とみすぼらしい、そんな印象を受けたロアス。その姿に不安を覚え反応に困った。
沈黙を破ったのはネロだった。
「僕は、一応信徒なんだ……。そんな熱心じゃないけどね。よければ後で祈らせてくれるかな」
その言葉に顔を輝かせるシスター。
「ただその前に、司祭に会いに来たんだ。サレフ司祭に会わせてくれるかな?」
シスターははっと目を瞬かせ、それから胸の前で十字を切る。
「司祭様に……! これは正に天のお導き! ならばきっとお待ちしておられます。どうぞ、この道をまっすぐ……」
安堵の色を浮かべ、深々と頭を下げるシスター。
その姿を後にし、ロアスたちは街の中心にそびえる尖塔――聖杯教会へと向かった。
⸻
中へ足を踏み入れると、外の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
蝋燭の炎が淡く揺れ、薄暗い礼拝堂に神聖な空気が満ちている。
祈りを捧げていた老司祭がゆっくりと振り返った。
「……ようこそ、旅の方々。私はこの教会を預かる、サレフと申します」
その声は穏やかだったが、その眼差しには一行を試すような光が潜んでいた。
「うちの〈砂門亭〉のマスターから紹介状を預かっているんじゃ」
メルザーが懐から封書を取り出し、司祭サレフに手渡す。
「実は、ワシら……ブラックペリルという盗賊団を追っていてな」
メルザーは紹介状を開くサレフ司祭の様子を伺いながら言葉を続けた。
「その盗賊団に攫われたというこの依頼人の仲間を救い出したいんじゃ」
メルザーはロアスを親指で指し伝えた。
サレフは封を切り、走り書きされた文字を目にして小さく目を見張った。
「……これは、ドルマン殿の筆跡。ふふ……あの御仁があなた方を推薦するとは。これぞ神の導きでしょう」
その微笑みの奥に、かすかな疲労が見えた。
マインは恐縮そうに、だが興味を隠せずに尋ねる。
「失礼ですけど、あのオカマ親父と……教会の司祭様に関係があるなんて、なんか意外〜」
「ふふ……まあ、そう思われるのも無理はありません」
サレフは少しだけ目を細め、懐かしむように言葉を継いだ。
「かなり昔、彼とは冒険者の一人として旅をしたことがあるのです。若気の至りの頃でした。
彼はいつも陽気で、何度絶体絶命の場面でも笑っていましたよ」
どこか遠くを見るような目をしたサレフに、マインは「へぇ~」と素直な感嘆の声を漏らした。
そんな空気を切り裂くように、レオスが口を開いた。
「しかし、この街では随分とテシュビト神が信じられていないようだな」
サレフは手紙を胸に抱きしめ、瞳を伏せて祈りの言葉をつぶやいた。だがすぐに表情を曇らせ、ぽつりと語り出す。
「ええ、その通りです。ご覧になったでしょう。この街の有様を。人々は栄砂団を讃えるばかりで、もはや神の御心に耳を傾けようとはしません。……信仰は急速に衰えているのです」
重苦しい沈黙が流れる。蝋燭の炎が揺れ、司祭の影が壁に長く伸びた。
レオスは肩を竦め後を続ける。
「それは急上昇する栄砂団の人気が原因……ってことか?」
サレフ司祭は静かに頷き、そして周囲を警戒するように見渡す。
「ここからは、あなた方が追っているブラックペリルが関わる話になります。そのため、今から話す内容は他言無用ですよ」
サレフは静かに立ち上がり、蝋燭の火を手にした。
「では……どうか、こちらへ」
老司祭は礼拝堂の奥、祭壇の脇に歩み寄る。
一見ただの石壁だったが、彼は手にしていた十字架の先で小さく模様をなぞった。
かすかな音を立て、壁の一部が押し込まれる。
「……隠し扉……?」
マインが目を丸くする。
サレフは頷き、扉を押し開いた。冷気が流れ出し、湿った空気が漂う。
狭い階段が地下へと伸び、その先には灯火の明かりがぼんやりと揺れていた。
「どうぞ。ここなら人目を気にせず話せます」
ロアスたちは顔を見合わせ、やがて無言で頷き合った。
メルザーを先頭に、石段を踏みしめて地下へと降りていく。
降りきった先は小さな地下礼拝堂のような空間だった。
壁一面に古びた聖画が掛けられ、中央には粗末な木の机と椅子が並んでいる。蝋燭の灯が壁に影を揺らし、不気味なほど静かだった。
サレフは机の向こうに座り、ゆっくりと口を開いた。
「さて……ここからは、私が抱えている疑念についてお話ししましょう。
――栄砂団とブラックペリル。その二つは、決して無関係ではないのです」
冷気の漂う地下礼拝堂で、サレフ司祭は蝋燭の炎を見つめながら、静かに口を開いた。
その声音には迷いがなかった。まるで、何年も前からこの瞬間を待っていたかのように。
「……あなた方に話すことは、神の名に誓って真実です。
ただし、ノクティアの者には決して口外しないでください。聞かれた者が、どうなるか分かりません」
ロアスたちは互いに視線を交わした。老司祭の声には、恐怖よりも覚悟の響きがあった。
「栄砂団がこの街を掌握した理由――それは武力や勇名ではありません。
彼らは″金と物の流れ”を支配しているのです。
ノクティアの市長と裏で繋がり税を操り、商人を利用し物流を完全に掌握している」
サレフは卓上に置いた古びた地図を指でなぞった。
線で結ばれた交易路の要所には、すべて栄砂団の印が押されている。
一瞬、彼の指が止まり、祈るように目を閉じた。
「そして、その裏にいるのが″ブラックペリル″。
彼らは″盗賊団″を装い物資を窃盗することで市場から“消し”、栄砂団の名義で再び市場に流している。
……この街の繁栄は、盗みと転売――二重の罪の上に成り立っているのです」
淡々と語る老司祭の声に、マインが息を呑んだ。
「そんな馬鹿な……証拠はあるの?」
「あります。教会の信徒が密かに取引記録を追っていました。
ですがニヶ月前――彼は遺体で見つかりました。
まるで自ら、十字架を喉奥に押し込んだかのような姿で」
沈黙が落ちた。
ロアスたちの誰もが息を詰め、怒りを抑えながらレオスが言う。
「先日、ブラックペリルと交戦した時、対象の四肢を糸で操る野郎がいた。きっと、そいつの仕業だ」
老司祭は短く頷いたが、その瞳に一瞬、深い哀しみが滲んだ。
「……彼は真実を知り過ぎたのです。
おそらく、栄砂団の差金でブラックペリルが動いた。……そう考えるほかありません。
だから私は、残った信徒には何も伝えていません。彼らまで巻き込むわけにはいかないのです」
蝋燭の炎が揺らめき、サレフの影が壁に長く伸びた。
その影が小さく震えるたび、老司祭の声はより確かなものになっていく。
「人々は今、神を忘れ、英雄を崇めています。
グラファル・アルステイン――彼こそ栄砂団の象徴であり、民が熱狂する“新たな神”です。
そして、その配下、二枚看板と言われるフリージア・ヴァルハイト。
彼女はその美貌で若者の心を掌握し、さらに対象を自白させる特質魔術を行使する最強の尋問官でもある。
もう一人は、気さくな獣人ドーベン・ルグリフ。迫害の過去を乗り越え、明るく豪胆な性格で民衆に愛されている。
人々はもはや祈りではなく、喝采で救われた気になっているのです。
英雄が笑えば希望、英雄が沈めば絶望。……神とは違う、恐ろしい信仰です。
だが、英雄は清らかではいられない。彼女自身、裏の血に手を染めています。
この街の平和は、見えぬ犠牲の上に築かれている」
「……それは、確かなのか」
ロアスの低い声が響く。サレフは迷いなく頷いた。
「確かです。私は信徒として、数々の証を見てきました。
ブラックペリルを追えば、必ず栄砂団の心臓に行き着く。
そして、その心臓を動かしているのが、彼ら――ノクティアの“英雄”です」
司祭の言葉には断固とした確信があった。
だが、それを裏付ける証拠はどこにも見当たらない。
ロアスたちは真実と妄信の境界を測りかねていた。
サレフは祈るように両手を組んだ。
その瞳には、恐怖と、わずかな安堵の光が混ざっていた。
「……こうしてあなた方に話せただけでも、心が救われました。
私はいつ消されてもおかしくありません。
それでも、真実を知る者がいる限り、神は見捨てないと信じています」
その言葉と同時に、一本の蝋燭がぱちりと音を立てて消えた。
暗闇の中、ロアスたちは互いの顔を見つめたが、誰も何も言えなかった。
――本当に、今の話は“真実”なのか。
それとも、信仰に取り憑かれた老人の告解だったのか。
(真実がどんな形をしていようと、関係ない)
「……栄砂団が何をしようが関係ない。ブラックペリルから、フィンを取り返す。それだけだ」
その言葉には、ロアスの強い決意があった。
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