第66話:冒険者ギルド《砂門亭》
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、自らの記憶を探す旅に出た。
彼らはウェイシェムを後にし、キャラバンと共に交易都市ノクティアを目指すが、その道中で盗賊団ブラックペリルの奇襲を受ける。
ロアスとレオスは、攫われたフィンを救うため、ノクティアの関門街でブラックペリルの跡を追うのだった。
関門街の喧騒を外れの方に抜け、三人は石造りの建物が連なる通りを進んだ。
賑わう通りを抜けると、空気はがらりと変わった。
乾いた砂の匂いはかすかに遠ざかり、代わりに鼻を衝いたのは香辛料の刺激と揚げ肉の香ばしさ。汗にまみれた人々の体臭に、獣皮や鉄の匂いが混ざり合う。
砂漠を越えてきた旅人にとって、それは異世界に踏み入ったような衝撃であり、街が生きていることを否応なく感じさせた。
「……ここが、ノクティアの冒険者ギルドか」
ロアスは背筋を伸ばし、外観をじっと見つめる。
古びた石の壁に木製の看板が揺れ、室内からは笑い声と話し声が漏れ聞こえてきた。看板には関門街冒険者支部《砂門亭》と書かれている。
レオスはネロに質問をする。
「そういえば、ネロがキャラバンに乗ってた理由ってここに来るためだよな。
何のためにここに向かってたんだ?」
ネロは人差し指を立て答える。
「ノクティアは今、交易シーズン真っ最中だからね。
キャラバンの護衛や盗賊退治の依頼が雪崩れ込んで、このギルド《砂門亭》って言うんだけど、この連中だけじゃ回しきれないんだ。
だから、そういう時は修行も兼ねて僕も臨時で手伝ってるんだよ」
ネロは依頼や情報がびっしりと貼られた看板を指差す。
「まー、それ以外の依頼もたくさんあるけどね。
ほら、あそこに掲示板もある。
冒険者たちはここから依頼を選び、仕事を請負うんだ」
掲示板の前には、何人かの冒険者たちが興味深そうに眺めていた。
「へぇ、どれどれ……」
レオスとロアスは他の冒険者と肩を並べ、その古びた板の掲示板を覗き込む。
[護衛依頼……ラーネリア村までの護衛/報酬 銀貨三枚]
[雑務依頼……逃げた猫の捜索/報酬 銅貨二十枚]
[討伐依頼……盗賊〈赤狼団〉の排除/報酬 銀貨二十枚+戦利品分与]
[特別依頼……高位冒険者限定。詳細はギルド受付にて開示/報酬 応相談]
依頼票の横に「対応中」や「完了」の札がちらほら見え、ギルドが慌ただしく回っていることを示していた。掲示板の前では、冒険者たちが次の仕事を求めて真剣な眼差しを注いでいた。
「へぇ……護衛から盗賊退治まで、ほんとに色々あるんだな」
ロアスが低く呟く。
「ま、依頼は見物だけにして、中に入ろう」
ネロが促し、三人は扉を押し開けた。
中からは酒と香辛料の匂いが押し寄せる。大声で語り合う冒険者、ジョッキのぶつかる音、軽快な笑い。レオスは目を輝かせ、ロアスは眉をひそめた。
「やあ、お久しぶりです。メアさん」
ネロが声をかけると、給仕姿の若い女性が振り返り、ぱっと笑顔を見せた。
「あら、ネロさん! また来てくれたんですね。
助かりますよ、今の時期はほんとに人手が足りなくて」
彼女は片手で依頼票を仕分けながら、もう一方でジョッキを冒険者の机に置いた。
受付と給仕を兼ねる姿に、この場所の忙しさがにじむ。
そこへ、酒瓶を片手にした白髪の老人が大声をあげた。
「おお、ネロ坊じゃねぇか! こっち来て一緒に飲めや!」
顔を真っ赤にしたその男を、ピンク髪を束ねた女戦士が背後から羽交い締めにする。
「ちょっと、メル爺! また昼間っから酔っぱらって、手当たり次第に絡まないでよ!」
彼女は苦笑しながらネロに目をやり――はっと息を呑んだ。
「あら、ネロじゃない。こっち来てたんだ!
……って、あれ? もしかして、あなた……レオス……くん?」
「あ……マイン……さん」
レオスが目を丸くする。
「やっぱり! うそ、久しぶりじゃない! ウェイシェム以来でしょ?」
マインと呼ばれた女性が声を弾ませる。
「へぇ、君たち知り合いか」
ネロが興味深げに目を細めた。
「子供の頃、家が近所でね。レイヤ――私の妹とよく遊んでたのよ。あとはレオスくんの弟のトルナディスくん」
マインは懐かしそうに笑った。
しかし、その名が出た瞬間、レオスの表情に影が落ちる。
「ああ。だがヤツらはもう……」
マインは、その沈黙に首を傾げかけ――
そこへ押さえ込まれているメルザーが、場の空気をぶち壊すようにテーブルを叩いた。
「こ、コラ、離さんかいマイン! いつまで締めてるんじゃ!
ワシはまだ語りたい武勇伝が山ほどあるんじゃぞ!」
「もう、黙ってなさいよジジィ!」
場が笑いに包まれる。
久しぶりねと、楽しげな雰囲気で会話が続く。
(……俺だけが浮いている気がする。それでも――あいつを救わなければ。立ち止まっている時間は、ない)
ふと焦燥感に駆られるロアス。そんな中、ふと酒場のざわめきの奥に、不意に耳を打つ言葉があった。
――ブラックペリル。
その響きに、胸の奥が針で突かれたようにざわめく。
振り返ったが、声の主は他の雑音に紛れてもうわからない。
(どこの席だ? 今話していた人は? よく耳を澄まさねば……)
ロアスは声の主を探すが、多くの話し声の中見つけることができない。
そんな中、不意に外から規則正しい足音が響いてきた。
金属の重みを刻むようなその音に、誰からともなく会話が途切れる。
一歩ごとに、笑い声が削り取られていく。
バンッ――。
重い扉が開かれた瞬間、場の空気は凍りついた。
漆黒の甲冑に身を包み、兜を脇に抱えた長身の男。複雑な紋章を施した眼帯が印象的だ。黒い長髪を揺らし、隻眼の光は獣のごとき鋭さを帯びている。
その姿を見た冒険者たちは一斉に口を噤む。
受付嬢のメアもまた、依頼票を抱えたまま小さく息を呑んだ。
白い指先がわずかに震えていたが――それでも彼女は用紙を落とさず胸に抱え込み、必死に笑顔を崩さぬよう堪えていた。
「……彼も来ていたのね」
マインが低くつぶやいた。
その存在だけで、笑い声は止み、視線は逸れる。誰もが無意識に距離を取った。
ネロが小声で囁く。
「黒騎士。本名不明。世界でも片手で数えられるほどしかいないS等級冒険者だよ」
黒騎士は酒場を一瞥し――やがてロアスに目を止める。
獣の眼光が心臓を射抜く。息が詰まるほどの圧力。
「……貴様。ただの人間には見えん。何者だ」
低く響く声に、場の空気は張り詰めた。
(俺のことか?)
ロアスはその視線を送り返す。
黒騎士は、兜を適当なテーブルに置き、腰の剣にかすかに指先を触れた。
抜く気配はない――だが、そこからにじみ出る殺気は、十分に周囲の空気を凍らせる。
「名はロアス。それ以外は知らん。俺が聞きたいくらいだ」
黒騎士はカウンターで鼻歌を歌いながらグラスを磨く白髪混じりの頭頂の寂しい店主らしきオヤジに対し、冷たく言い放つ。
「マスター。こんな怪物を野放しにして、よくのんきでいられるな」
その瞬間――カウンターから間延びした声が響いた。
「やぁねぇ、黒騎士ちゃん。そんな怖いこと言っちゃって……。お客さんがドン引きよォ〜」
緊張が一瞬だけ切れ、そこにレオスが割り込む。
「おい、なんだテメェ!
勝手に人を怪物呼ばわりしてんじゃねぇよ」
ネロが慌てて止めるが、レオスは構わず歩み寄る。
「ロアスのこと、なんか知ってんのかよ!」
黒騎士は一瞥もせずに吐き捨てる。
「下がれ、下郎。貴様に用はない」
「あぁ? なんだとコラァ!」
レオスが詰め寄った瞬間、再びカウンターから声が飛ぶ。
「は〜いはい、ストップストップ。お行儀悪いのはおやめなさいな」
カウンターからオヤジが、布巾で皿を拭きながら場の緊張を意にも介さぬように、ひょうひょうとした笑みを浮かべてのそのそと歩み寄った。
「ここは《砂門亭》。酒場であり、冒険者ギルド。アタシは酒を振る舞って依頼を貼るだけ。……ただの酒場のオヤジなの。
仲裁役なんて買って出るつもりはないわよ?」
レオスは呆気に取られ、言葉を失う。
オヤジは彼にウィンクしてみせた。
「はいっ、お客さんも一歩引いてね〜」
そんなやりとりを横で見ながら、マインが小声で囁く。
「あのオカマオヤジ……砂門亭のマスターよ」
黒騎士は老人に隻眼を向ける。
「……ドルマン・ハルベック。貴様も感じているはずだ。
この男の持つ禍々しさを」
名を呼ばれたオヤジは肩をすくめておどける。
「まぁやだ、アタシのこと、そんな仰々しい呼び方しないで。……怪物だろうが英雄だろうが、お腹を満たして酒を呑めるなら大歓迎よん。ただし――椅子や机を壊したら弁償はしてもらうわ」
その軽口に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
ざわめきが戻り始め、誰かがほっと息をついた。
ドルマンはロアスを見て小さく笑い――
「あら、いい男。……ま、それは置いといて」
すぐに視線を外し、布巾で皿を拭きながら続ける。
「アタシやギルドは客の素性になんて興味ないのよ。だからあんたみたいなのだって受け入れてる。……でもね」
声がわずかに沈む。
「客同士が勝手に揉めるのはご法度。死人を出されたら……次の日から呑める人が減っちゃうでしょ」
音色は柔らかいのに、場の誰もが背筋を冷たくした。
「――それは、やめてちょうだいね」
そしてすぐに明るい口調に戻る。
「はいっ、以上っ! だから、仲良くやってちょうだいな~」
ロアスは、目の前の小太りの親父を「ただの酒場の店主」と割り切りきれずにいた。
「……ふん、どうなっても知らんぞ」
黒騎士はロアスを睨み、すぐにドルマンへ向き直る。
「まあいい。一番高い仕事をくれ」
「まぁ、ちょうどいいのがあるのよォ。
黒騎士ちゃんにピッタリなどえらいお仕事がねぇ」
ドルマンは依頼書を投げてよこす。黒騎士はそれを片手に取り、目を走らせた。
「……詳細は裏で聞く」
黒騎士は奥にある部屋へと姿を消す。ドルマンはロアス一行に軽く目配せし、謝罪の仕草をしてから同じく奥の部屋へと向かった。
重い足音が遠ざかり、黒騎士の影が完全に酒場から消え去った。
残された空気はまだ張り詰めていたが、やがて冒険者の一人が大げさに胸を押さえて叫ぶ。
「……くっそ、心臓止まるかと思ったぜ!」
その一言を皮切りに、周囲から笑い声が漏れる。
「おい、酒だ酒! もう一杯持ってこい!」
「ははっ、俺なんか息止めてたから酸欠だぞ!」
笑いが広がる中、メアが机の間を駆け回りながら声を張った。
「はいはいっ! 冗談はほどほどに、皆さん! 依頼票はまだ山ほど残ってますからね! 飲みすぎたら良い依頼見逃しますよ!」
冒険者たちは肩をすくめて笑い、次第にいつもの喧騒を取り戻していく。
――その立ち直りを最初に導いたのは、メアの明るい声だった。
安堵と共に声が弾け、周囲に酒場のざわめきが一気に戻ってきた。
しかし、その奥底には消えない緊張の余韻が、じわりと残っていた。
ネロは深く息を吐き、肩をすくめながらぼやいた。
「いやぁ……胃が痛くなるな、あの人」
マインも背もたれに体重を乗せ、同じく息を吐きながらその言葉に続ける。
「さすがS級……やっぱり別格ね。背筋が凍ったわ」
ただの冗談混じりの一言にすぎなかったが、レオスはそこに含まれる意味を悟り、冷や汗を垂らす。
――マインやネロほどの冒険者ですら「恐れる存在」である、ということを。
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