第62話:嵐の中での邂逅
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅に出る。
ウェイシェムから脱した後、キャラバンのメンバーとして行動し、交易都市ノクティアを目指す。
そんな中、盗賊団ブラックペリルの奇襲により、一行は魔具『メネスの瞳』を奪われ、フィンを攫われた。
天幕の中。夜明けの淡い光が布越しに差し込み始める頃、マルバスの話を聞いた一同はかける言葉が見つからなかった。
エレカはポツリと言葉を漏らす。
「……それが、若君殺し……」
マルバスは頷き、低く口を開いた。
「……そして、俺は誉れある王族の盾――近衛兵長としての地位を一夜で失った」
「故意ではなかったと、現場にいたグラファルをはじめ幾人も証言してくれた。結果、今までの功績もあり、死罪だけは免れた。だが、俺はファラス家から永久追放となったんだ」
マルバスは俯きながら続ける。
「街を歩けば、人々の視線が突き刺さった。疑念と軽蔑の色を帯びた眼差しが、鎖のように俺を縛った。かつて共に剣を交えた仲間でさえ、背を向けるしかなかった。……それが、俺に残された現実だった。俺は王都を後にした」
レオスが眉をひそめる。
「……いくら故意じゃねぇって言っても、殺っちまった事実は消えねぇ。俺だって、そう扱うかもしれねぇ
「ああ。俺は、忘れねばならなかった。思い出せば胸を抉られるだけだ。だが皮肉にも、俺の手元には父の形見――『メネスの瞳』が残されていた」
エレカが囁くように口を挟む。
「……奴らブラックペリルに奪われた魔具」
「その宝玉は、建国の折にメネス・ファラス様が、我が祖先アレガス・バルドグランデに忠誠の証として贈ったと伝えられている。いかなる魔によって記憶が阻まれても、それを呼び戻す力を持つとされ……『誓った忠義を忘れるな』という意味が込められているのだ」
ネロが息を呑む。
「……そんな大切なものだったのか」
マルバスは自分自身を嘲笑うかのように鼻息を漏らした。
「ふ、皮肉だと思わないか? 俺はファラスのことを忘れたいのに、忘れるなと突きつける宝玉を握りしめていたんだ」
ロアスが低く応じる。
「……確かに皮肉だな」
「それでも、手放すことはできなかった。忘れねば生きられない。だが、忘れたくない気持ちも確かにあった。俺はその矛盾を抱えたまま、日々を過ごした」
「その頃の気掛かりはただ一つ……妹のペラーナだ。あいつも近衛として仕えていた。俺の不名誉が彼女の未来を汚すことだけは避けねばならなかった。普段から会話を交わす兄妹じゃなかった。言葉を交わすときは、『私は大丈夫よ。兄さんの方こそ』――そればかりだ。……だからこそ、最後くらいは守りたかった。事件のあと、一言だけ別れを告げ、俺は距離を取った。彼女を巻き込まぬために」
エレカが静かに目を伏せる。
「……優しさゆえ、ですね」
「人生は止まらない。失ったものを嘆いているだけでは、生き延びることも、誰かを守ることもできなかった。だから、俺は剣を置き――新たな道を選んだ」
「――商人としての道をな」
ネロが思わず目を丸くする。
「近衛兵から商人へ……大きな転換ですね」
「昔のバルトグランデ家の人脈を頼りに、少しずつ小さなキャラバンを作った。最初は誰も俺を信用しなかった。『王家に仕えた名門の落胤』と陰で囁かれもした。だが、取引を一つ一つ誠実にこなし、裏切らずに応え続け……やがて、人は俺を信じるようになった」
「剣を振るうばかりで無骨だった俺は、人との交流など不得手だった。だが、商人として人の声に耳を傾け、言葉を尽くし、信を繋ぐことで……ようやくそれを学ぶことができた。失ったものがあれば、得られるものもある――そう思えば、俺の人生も無駄ではなかったのかもしれない」
ロアスはマルバスの語る姿を真剣に見つめていた。
(この者でさえ、最初は交流が不得手だったのか……)
「近衛兵としての誇りも、若君殺しの汚名も、胸に抱えたまま。……それでも俺は、確かに新しい人生を築いたのだ」
「そして、七年が経っていた。商人としての道は順調だった。人との交わりが苦手だった俺も、商人として日々を重ねるうちに、人の顔を見て話すことを学んだ。気付けば、俺のキャラバンは幾つもの街を結ぶ大きな隊商となり、バルトグランデの名を知る者も、王家やファラスの名を口にする者も、ほとんどいなくなっていた。……過去は、遠い霞の向こうに消えたと思っていた」
マルバスは低く息を吐いた。
「――そう、あの日までは」
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嵐が荒れ狂う夜だった。
俺の天幕の幕を乱暴に開けて、土と血の匂いを纏った影が飛び込んできた。
「やぁ、マルバス兄さん……覚えてるかしら、私のこと……なんて」
冗談めかした声。だが荒い息遣いと、土に汚れた鎧、つい先ほどつけられたばかりの切り傷が、その笑みを無理やり作ったものだと教えていた。
「ペラーナ……!」
七年ぶりに見た妹は、たくましく成長していたが、同時にどこかやつれてもいた。
「はは、どうした、ペラーナ! なんでこんな嵐の日に……どうやって俺がここにいることを? いや……なんで俺を探してたんだ? ん?」
問いかけた瞬間、俺は気付いた。
彼女が後ろに抱えていた大きな包み。ずぶ濡れのコートに包まれていたのは――人だった。
「その人は……?」
ペラーナは無言で布をほどいた。
現れたのは、かつて俺が遠くから見守ることしかできなかった方。アルデンに虐げられていたファラス家の嫡女――アテネ様だった。
「ア、アテネ……様!?」
衝撃に言葉を失う俺の横で、アテネ様はかすかに微笑み、「ペラーナさんのお兄様、ですわね。初めまして」とだけ告げた。
……俺のことを、まったく覚えていない様子だった。
「ペラーナ、何があった? その傷は……」
問うても、妹はいつもの調子で答えるだけだった。
「アタシは大丈夫。兄さんこそ」
だが、すぐに本題を切り出した。
「ごめんなさい兄さん、急いでるの。アタシ……アテネ様の記憶を取り戻したいの。調べていくうちに分かったんだ。昔、兄さんが父から形見として受け取ったバルトグランデ家の秘宝――そのメネスの瞳こそが、アテネ様の記憶を呼び戻す可能性のある魔具だって」
俺は愕然とした。忘れたいのに忘れられなかった宝玉。父から託された形見。
「……ペラーナ、お前、何を――」
「お願い。共に術を発動してほしいの」
戸惑う間もなく、彼女は儀式を始めた。
どういうことだ――。なぜアテネ様の記憶は失われたのか、ペラーナの傷は誰によるものか、ファラスの家の皆は元気なのか……しかし、どの問いも許されない。
「メネスの瞳の発動条件――それは、穢れなき魂を持つ処女の魔力……アタシの魂が穢れていなければ発動するはず!」
瞳が妖しく光を放ち、その輝きがアテネ様を包み込む。
「やった……!」
ペラーナが嬉しさのあまり、言葉が漏れる。
「うっ……!」
だが、次の瞬間――アテネ様は苦しみだし、泡を吹いて白目を剥き、命の火が消えかけた。
「アテネ様!」
ペラーナはすぐに白魔術で応急の癒しを施し、辛うじて一命を取り留めさせた。
俺はただ唖然とするしかなかった。
その時、外から鋭い声が飛んだ。
「ペラーナさん! 追手を探知したようです。ここの皆さんに迷惑をかけないためにも、一旦今は逃げやしょう!」
ペラーナは決意したように立ち上がった。
「兄さん……すまないけど、行かなくちゃ」
そして、宝玉を俺の手に押し戻す。
「『メネスの瞳』は兄さんに預けるわ。落ち着いたら、今までの経緯をすべて話す。だから、それまで誰にも渡さないで」
そう言い残し、意識のないアテネ様を抱え、嵐の闇へと駆けていった。
――それが、妹を見た最後だった。
間もなくギルド新聞で、彼女の名を見た。
ブラックペリルのリーダーとして捕らえられ、自警団により処刑された――らしい。
俺の胸には、言葉にならぬ痛みが残った。
俺は未だにこの時のことを夢に見ることがある。最善の選択はなんだったのか。この時、彼女が何に追われているのか確認できれば……、去ろうとする彼女を無理矢理にでも引き止めることができれば……、去った彼女の後を追跡すれば……、ペラーナをたすけてやることはできたのだろうか。それだけが、悔やまれる。
このあと、俺の周囲は騒がしくなっていった。
ブラックペリルの活動はかつてなく活発となり、キャラバンを守るため、俺はネロやエレカといった腕利きを仲間に加えざるを得なかった。
……そして二年半後。
俺の前にアテネ様は、自ら俺らのキャラバンの仲間に加わるために再び現れた。
だがその口から出た言葉は――あの日と同じ。
「初めまして」
「私、アテネと申しますわ。これからよろしくお願いいたします。貴方様のお名前は?」
ファラス家のことは愚か、あの夜のことすら何一つ覚えていない様子で、全てを吸い込むような美しい瞳で静かに自己紹介された。
――そして、アテネ、ダラスが俺らの“家族”に加わり半年が過ぎた。
そのあとはお前らも知っての通り、ロアス、レオス、フィンがウチらの仲間になった。
今、俺にとって“家族”と呼べるのは、このキャラバンだけとなった。
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