第61話:若君殺しのマルバス
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅に出る。
ウェイシェムから脱した後、キャラバンのメンバーとして行動し、交易都市ノクティアを目指す。
そんな中、盗賊団ブラックペリルの奇襲により、一行は魔具『メネスの瞳』を奪われ、フィンを攫われた。
マルバスは息を整え、砂に膝をつきながら口を開く。
「俺の一族、バルトグランデ家は昔から代々、王族の護り手だった。セラフィトラ王国の名門、ファラス家の騎士としてな」
その言葉に、エレカとネロは互いに顔を見合わせ、驚きは隠せない様子だった。
「ファラス……そういや、最近聞かなくなりましたね」
レオスとロアスは理解をしていない様子だったが、特に口を挟もうとはしない。
かすかな痛みに顔をしかめつつも、さらに続けた。
「……もっとも、その名を知る者は今では少ないだろう」
周りの表情と視線を確認したマルバスは、苦笑を浮かべながらも優しく丁寧な口調で呼びかけた。
「悪いな、ロアス、レオス。この話をするために、お前らを置いてけぼりにするわけにもいかん。少しだけ王政周りの基本的な情報から補足をさせてくれ」
レオスは取り繕うように言う。
「いや、……まぁ? 俺はわかるんだけどよ。記憶のないロアスにもわかるように説明してもらわんとな」
わずかに間を置き、マルバスはふと問いを投げた。
「今、この国の王は誰かわかるか?」
唐突な問いに、レオスが肩をすくめる。
「確か……国名の通り、セラフィトラさんだったはず。名前までは……よく知らんけど」
「え、レオスくん、現国王の名前くらいは覚えておきなさいよ。コロコロ変わるわけでもあるまいし」
エレカは少し呆れながら答えた。
「アーティス・セラフィトラ様でしょう」
レオスは小声でぼそっと
「……はいはい、わかりましたよ。うっせぇな」と言葉を漏らした。
マルバスは小さく頷いた。
「そうだ。……では、国政の実権を握っているのはどこだと聞かれたら、どうだ?」
「……そりゃ普通に国王なんじゃないか?」
レオスは眉をひそめる。
ネロが低い声で口を挟んだ。
「そう言いたいところだけど……実際は聖杯教団、だよね。最近じゃ王都公報でもギルド新聞でも、政治の記事に国王の名なんてほとんど出てこない」
ネロの言葉にマルバスは静かに目を伏せた。
「……ああ、その通りだ。だがそれはここ数年の話にすぎん。昔――そう、聖杯教団が本格的に実権を握った十二年前、『セラフィトラ王国』が『セラフィトラ神政国』と名を変えたその日までは、事情が違った」
「ええ、確かに……」
エレカが外から覗く陽の光に照らされ、眉をひそませる。
「私が子供の頃は、王都こそ政治の中心でした。テシュビド教の布教も、今ほど盛んではなかったと記憶しています」
「ああ、そうだ」
マルバスの声は低く重い。
「当時、神政国へと移ろうとする流れに、最後まで異を唱え続けた家があった――王国の懐刀と呼ばれた、ファラス家だ」
その名を口にした途端、場の空気が一段と沈む。
「で、結局なんなんだ? そのファラス家ってのは……」
レオスが首をかしげる。
「ファラス家……」
エレカが代わりに答えた。
「王セラフィトラが八百年前、建国の時から支え続けた忠臣の家系よ」
マルバスの瞳に、燃えるような光が宿る。
「その通りだ。そして我らバルドグランデ家は、そのファラス家に仕えてきた一族だった」
彼は静かに言葉を継ぐ。
「かつて、俺も王族の護り手だった。セラフィトラ王国の名門、ファラス家の近衛兵としてな。王族を守るという誇りが、俺のすべてだった」
その語り口は、まるで遠い昔を自ら見下ろすかのように淡々としている。
「近衛兵としての日常は規律に満ち、礼節と忠誠心に縛られていた。王都の朝、王宮の広間、教団の圧力……すべてが俺の目には戦場のように映っていた。外部からの政治的圧力は年々増していたが、それでも王権はまだ健在だった。俺はその盾の一つであり、幼き頃からその使命を果たすためだけに研鑽を積んだ。そして――二十七の時、病に伏した父の後を継ぎ、ファラス近衛兵長の座に就いた」
短い沈黙ののち、彼は息を吐くように言葉を続けた。
「私が兵長となって一年が経つ頃、聖杯教団の圧力は強まり、王国は表向き『神政国』の名を掲げざるを得なくなった」
エレカが思い出すように口を開く。
「確かその時って……激化するイーラディア帝国との紛争が、ちょうど一旦収まった頃でしたよね?」
マルバスは頷く。
「そうだ。その頃、王国が神政国に変わり内政が乱れた。帝国はそれを好機と見て侵略を仕掛けてきたんだ。
そして、その戦いは、奇しくも世界に知らしめる形となった。聖杯教団が誇る聖なる剣――聖杯騎士団の圧倒的な力を。
セラフィトラは一年で帝国を退け、さらにテシュビド教を広め、戦火を世界から遠ざけた。……だが、まさにその勝利こそが、王政を終焉へ導き、教団に国を委ねる定めとなったのだ――」
彼の声音は、そこからさらに沈んでいった。
「そして、あの日。私が近衛兵長を務めて三年が経った頃のことだ……」
マルバスの視線は遠い過去を映す。
「俺の仕える主人の嫡男であられるアルデン様が十六の成人を迎えた。家にとっても誇るべき節目の日だった。王都は祝いのざわめきに包まれ、王宮の広間には華やかな光が満ちていた」
彼は唇をかみしめ、低く告げる。
「アルデン様は文武両道、誰もがその将来を疑わぬお方。だが完璧を求めるあまり、妹君に対してだけは厳しかった。そして、その頃は、教団に国の主導権を奪われつつある苛立ちを、抵抗しない妹君にぶつけているようだった――」
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その日もまた、小さな過ちを咎める声が広間に響いていた。
俺はファラス家の盾として、一族を護るためその祝いの席に同席していた。
少年のあどけなさを完全に脱ぎ捨て、誇り高き一人の男の貌をしていた――だが、その完璧さは後に悲劇を呼ぶことになる。
「その手つきは何だ! 貴族の娘なら品位を示せ!」
「ご、ごめんなさい。お兄様……」
「″ごめん″だと? 十一にもなって、この拙さは何だ! 下女と変わらぬ!」
アテネの指は震え、ナイフの刃先が皿をかすめ甲高い音を立てた。
涙で視界を歪め、必死に声を殺す姿に、広間は凍りつく。
その時、主人と奥様は席を外していた時だった。
従者も侍女も誰ひとり止めようとせず、ただ下を向き嵐が過ぎるのを待つだけだ。周囲の人間その状況を目にしながらもひそひそと話をするだけだった。
――やめていただきたい。私が止めねば!
その一念が、胸を焼いた。
「若君、それ以上は――!」
声は鋼のように響き、私自身も驚いた。
だがその一言で、若君の誇りを真っ向から踏みにじってしまったのだ。
「……黙れ、マルバス!」
アルデンの瞳に怒りが燃え上がる。
「貴様は騎士にすぎぬ! 家のことに口を出すか!」
拳を振り上げ、妹へ迫ろうとする若君。
刹那、私は反射のように身を投げ出した。
「おやめください!」
掴んだ腕。押し返した力。
――ほんの一瞬、ほんの一押し。
だが時間は引き延ばされ、若君の身体はゆっくりと後方へ傾き、広間の光を浴びながら虚空に浮かんだ。
――ゴッ。
鈍い音。大理石を打つ後頭部。
紅が広がり、白を侵す。
瞼は閉じられたまま、口元から血泡が零れ、やがて静止した。
「若君……? 若君!」
呼びかけても、その眼差しは戻らない。
アテネがか細い悲鳴をあげて椅子を倒し、従者たちは石像のように立ち尽くした。
広間は死者に支配されたかのように静まり返る。
「マルバス兵長!」
最初に声を発したのは、副官グラファルだった。
まだ入団二年目の若き騎士。だが誰よりも早く、毅然と声を張り上げる。
「皆、聞け! 今のは事故だ! 団長は殴ったのではない! 妹君を守ろうとした、その結果だ!」
彼の言葉は狼狽ではなく、冷徹な判断に裏打ちされた最善の擁護だった。
あの場において、それ以外に家と私を救う道はなかった。
だが……その真っ直ぐな忠義が、かえって私の胸を締め付ける。
周囲に広がったのは安堵ではなく、疑念のざわめきだった。
「若君が……」「あの兵士が……」「嫡男が……」
私は血に染まった手を見下ろした。
止めるはずだったのに。守るはずだったのに。
誇り高き家の未来を、この手で潰してしまったのだ。
その日を境に、積み上げてきた信頼も実績も――すべて失望へと変わった。
そして私は、若君殺しの汚名と共に、生涯を歩むことになるのだ。
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