第46話:アテネの誘い、闇夜の砂丘
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅に出る。
ウェイシェムが死の街と化し、命からがら脱出。
放浪中、キャラバンのメンバーとして迎えられ、苦手だった人と交流をすること学びながらノクティアへと向かう。
一方、盗賊団ブラックペリルがキャラバンを虎視眈々と狙っていた。
サンドスコーピオンの群れを退けたその夜、暗闇の砂漠は、焚き火の赤い揺らめきと、星々の冷ややかな銀光で二層に塗り分けられていた。砂に交わる火の香りと微かな煙の匂いが、夜風に乗って漂う。
荷車の陰に腰を下ろしていたロアスの耳に、砂を踏む軽やかな足音が届く。振り向くと、そこにはダラスが立っていた。
「よぉ、ロアス」
「……なんだ」
気安い調子で隣に腰を下ろしたダラスは、肩を竦めてにやりと笑う。
「アテネがあんたを呼んでる。ちょっと話があるらしい」
「俺に? 何の用だ」
「さあな。ま、せいぜい変なもん高値で売りつけられねぇように気をつけな」
冗談めかした声に、ロアスは淡々と返す。
「……何を売られるんだ?」
「はは、冗談だ。金もねぇお前をカモるかよ。……行ってやれ。真剣な顔してたぜ」
手をひらひらと振り去るダラス。
唐突な呼び出し。ロアスは疑問に思いながらも無言で立ち上がり、夜風に吹かれながらアテネの天幕へと歩みを進めた。
すでに彼女は待っていた。月光を受け、夜気をまとったアテネは柔らかく微笑む。月光に照らされ、紫の髪は夜の影を含みながらも淡く光を反射していた。
「来てくださったのね……よかった」
その声にはほのかな艶と安堵が混ざっていて、ロアスの心はわずかにざわついた。だが表情には出さない。冷静に、彼はアテネを観察する。
「話ってのは?」
「少し……お散歩でもしませんこと? いい景色が見える場所を知っておりますの」
指差す砂丘の尾根。白くしなやかな指先は月光に照らされ、淡く輝いて見えた。
「この辺りは砂丘が重なっていますの。あの尾根に登れば東が開け……あと三日もすれば、ノクティアの篝火が地平線に揺らめいて見えるはずですわ」
ロアスはわずかに息をつく。
「こんな夜更けに……景色か」
「ふふ、夜景の素晴らしさをご存知でないのね。砂丘は夜の方が美しいのですわ。空気が澄み、世界が研ぎ澄まされますの」
唇に浮かぶ笑みは、甘やかしと挑発をないまぜにしたもの。ロアスは視線を逸らし、心の中でだけその意味を噛み締める。
「……それに私、こうしてあなたと二人きりでお話ししたかったんですの」
囁くような声。ロアスは肩を竦め、静かに頷く。感情に流されず、ただ事実として受け入れた。
「そうか。少し出るのなら……フィンに一言声をかけてくる」
「ふふ、あの可愛らしい保護者さんね。でも大丈夫、すぐ戻りますわ」
アテネの微笑には含みがあり、夜闇に溶けるように揺れた。
「それに、何かあったらダラスから伝えてくれますわ」
細く長い指先を髪に沿わせるその一瞬の仕草に、ロアスの目は自然と追ってしまう。だが、彼は淡々といつもの無表情でアテネに続いて歩み、二人は並んで砂丘を登り始めた。
夜風が衣を揺らし、乾いた砂の斜面がさらさらと崩れ落ちる。砂粒が微かに足首をくすぐり、歩みの感触を伝える。
闇に沈むキャラバンを後にして、彼らの影は白砂の丘をゆっくりと伸びていった。
「……今日のサンドスコーピオンの対応、さすがでしたわね」
沈黙を破ったのはアテネだった。
「あなたがいなかったら、少なからず死人が出ていましたわ」
ロアスはわずかに目を細める。
「魔物? 興味ない。ただ対処しただけだ」
アテネはすぐさま鋭く言葉を返す。
「確かに、あなたの一人旅ならそれで済むのでしょう。けれど――あの可愛らしい“神子様”を危険に晒さないためにも、この世界のこと、少なくとも“魔物”については学んでおいた方がよろしいのではなくて?」
砂を踏みしめる音だけが、しばし二人の会話をつなぐ。
月明かりに照らされた砂丘の稜線が、静かに移ろっていく。
「……フィンか。死なれても困らん。だが、俺の記憶を辿る案内役がいなくなるのは厄介だな。少しは聞いておくか」
アテネは小さく笑った。
「ふふ、あなたって案外素直ですのね。」
ロアスは首を傾げた。
「熊や狼なら知っている。さっきの蠍も、ただ大きいだけじゃないのか?」
アテネは微笑を浮かべ、指先を振った。
「あら、そういった類の生物は知ってるんですのね。でも、あれは“魔物”。ただの生物ではありませんの。魔物とは、この世界に満ちるマナに侵され、姿を歪めた存在ですわ」
「……マナに、侵される?」
「ええ。動物のまま巨大化したり、異様な器官を備えたり、時には魔術すら使う。あなたが退けた“サンドスコーピオン”も、元はただの砂地の蠍。それがマナの濃い土地で長く生きたせいで、あのような怪物に変じたのです」
ロアスは短く息を吐く。
「……つまり、魔物は歪んだ生物ということか」
「端的に言えば、そういうことですわね。だからこそ人々は恐れ、騎士や傭兵に討伐を依頼するのです」
「……あの程度の生物を討伐するぐらいなら、簡単そうだな」
アテネは小さく笑みを浮かべた。
「そうね。あなたの〝その力〟なら、ね。
でも、普段は畑を耕したり、商売で糊口をしのぐ〝一般人〟にとっては、命懸けの大仕事ですわ」
「実際、最近は魔物の数が増え、被害も拡大していると、〝塔〟の調査報告でも言われていますの」
ロアスはわずかに眉を寄せた。
「……力のない者は死ぬ。自然の摂理ではあるな」
ロアスは黙したまま歩みを進める。その横顔を見ながら、アテネはひとつだけ息をついた。
「人が住まない地域には、あの類の魔物がまだまだ潜んでいますの。……でも、あなたがいれば心強いですわね」
ロアスは夜空を見上げなら一つため息をつく。
「……キャラバン内にはいろんな役割の非戦闘員がいる。獣を操って荷馬車を引く者、調理班の者、医療従事する者、それにフィンも……皆あのサンドスコーピオンの前では縮こまって怯えるしかないようだった。〝力〟がないと生きにくいのだろうな」
「ええ、その通りですわ。だからこそ、キャラバンのような身を寄せ合い、協力し合う″組織″があるのでしょうね。
ただ、『暴力的』な〝力〟以外にも――『経済的』、『政治的』といった〝力〟の形も存在します。
人を支配する形なんて様々ですわ。
このセラフィトラ国、いえ、この世界においてはどれも、必要な〝力〟……ですわ」
ロアスは眉をひそめる。
「経済的……というのは金、とやらか。それがそんなに力になるのか?」
その問いをする頃、ちょうど砂丘の頂に辿り着いていた。
アテネの視線の先、闇の地平にぼんやりと灯が浮かび始めていた。
砂の海に、点々と散らばる光の群れ。まるで大地に新しい星座が生まれたかのように。
彼女は微笑み、その街に指を向けた。
「見えましたわ。あの光こそが交易都市ノクティア――その篝火ですわ。綺麗でしょう?」
夜空と併せた綺麗な描写。砂漠の空気は澄み、遠くの灯もくっきりと見える。
ロアスは短くうなずき、地平をじっと見つめる。
「へぇ……街って、あんなに光るものなのか……」
ロアスが低く感心してつぶやくと、アテネは柔らかく微笑む。
「ノクティアは大きな交易都市ですの。周囲は砂漠に囲まれていますが、交易路が何本も通っていて、外から商人や旅人が集まり、金も情報も豊富ですのよ」
「なるほど、砂漠のオアシスって感じか」
ロアスは目を細めて街を見つめる。
「あそこへはあと三日もあれば辿り着きますわ。それで、先ほどの″お金が力になるのか?″に対する回答ですが――ノクティアのような都市では特に顕著に″力″となります。
剣の腕よりも、懐の厚さが人の価値を決めますわ。金があれば仲間も護衛も集まり、敵も買収できる。ある意味では、暴力以上に冷徹な力……ですのよ」
ロアスは口元に微かな影を落とし、静かに呟く。
「……金で人の価値が決まるとは、妙な話だな」
その声には感情の混ざらない冷静さがあり、しかしほんのわずか、計算するような影が滲む。アテネはそれを見逃さず、軽く微笑んだ。
「ふふ、そういうあなたの目を見ていると――本当に、無欲というか、面白い方ですわね」
ロアスはただ短く肩をすくめ、視線を再びノクティアに戻した。
「……面白い、か。記憶が金で買えるのなら、考えるがな」
夜風が彼女の髪を揺らす。
その風にかき消されるほどの小さな声で、アテネは呟いた。
「……記憶、ね」
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