第2話:山賊団による襲撃
〜前回のあらすじ〜
行き場を失った者等による山賊団を率いるレオス、そして不気味な黒衣の男ゾアン。その陰で、ひとりの少女が出会ったのは、血に塗れた男だった――。
藁を敷き詰めた即席の寝台に男を横たえると、フィンは湯を沸かし、破れた上着を丁寧に脱がせた。肩と背中の傷、こめかみの斧傷は深かったが、すでに血は半ば固まり、じわりと紅が滲むのみ。骨の継ぎ目も、薄い皮膚の下で不気味に隆起している。
(人間……なのかな)
指先で触れると、予想より熱い体温が返った。確かに生きている。
しばらくして男は再び薄く瞼を上げた。
ランタンの灯が金の瞳に映る。フィンは恐怖より先に、底知れぬ孤独を感じ取った。
「……あなた、名前は?」
男はかすかに首を振るだけだった。
言葉すら、思い出せないらしい。まるで焚火の残り火を風に晒したような――いまにも消えそうな存在。
(灯火……ともしび)
ふと、脳裏に古い言い伝えがよぎった。
“闇に落ちたものを照らす最後の火”――古語で「ロアス」と呼ぶ。
「……ロアスって、わかる? このあたりの古い言葉で“灯火”のこと。消えそうだけど、触ると火傷するくらい、熱い。あなたを見たとき、そんな感じがしたの」
男は瞬きを一つ、そして小さく唇を開いた。
「ロ……アス……」
はじめて発したかすかな声が、乾いた藁間で震えた。
フィンの胸に、ほっと熱が灯る。名前という形で、彼の存在がこの世界に留まった瞬間だった。
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フィンが出て行った後、しばしの静寂ののち、ロアスはゆるりと体を起こした。壁に背をあずけ、じっと己の両手を見つめる。
……なぜ、俺はあんな力を持っている?
大男を一撃で吹き飛ばし、腕を捻り潰したときも、恐れも痛みも感じなかった。
力を入れたつもりすらなかった。
それは、呼吸をするかのように自然だった。
あの銀髪の男。アレも片腕で四肢をバラバラにすることができたな。
けれど――それでいいのか?
人を殺すことすら躊躇わないこの力を、自分は受け入れていいのか?
フィンは怯えず、助けてくれた。
……いや、怯えていたのを隠していたのか?
何のために?
それでも、俺を信じてくれているように思えた。
……俺自身が、自分を信じていないというのに。
この力の出所がわからない。
何のためにある?
この力で過去に何をしてきた?
――俺は、何者なんだ?
これは、私利私欲のために使っていい力なのか?
「私利私欲……。
俺の利益、俺の欲って……なんだ?
そんなもの、あるのか?」
俺がしたいこと……。考えてみるか。今はとにかく、眠い。寝たい。あとは……
「美味いものが食べたい……」
夜の冷気が、額に浮いた汗をひやりと撫でていった。
そして、眠りについた。
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夜半。
小屋の戸口で、村長がランタンを掲げて立っていた。灰色の髭を撫で、低く言う。
「……フィンちゃん、あの男は大丈夫か?」
「ひと晩看れば動けるまで回復すると思いますよ。薬草は十分あるし……」
村長は窓越しに眠るロアスの巨体を見やり、言いづらそうに眉を寄せた。
「成人の儀までは、何事もなく過ごしてほしいんだがな。聖杯教団から聖杯騎士団が迎えに来る日も近い。村に危ない因縁を呼び込みたくはない」
「わかっています。でも……見捨てるなんて、神子の務めじゃないでしょう?」
フィンの瞳に揺れる決意を確かめ、村長は重く頷いた。
「フィンや……お前は本当に、強く良い子に育ったな…。明日の朝には出て行ってもらう約束だ。それで頼む」
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同時刻。
村外れの樹上から、月光を浴びた男が厩の灯を眺めていた。白銀の髪が夜風に揺れている。レオス・リオだ。
(あの男……何者だ。剣を抜く前に、死が見えた――)
背後で草を踏む音。ゾアンが影のように現れた。
「お見事でしたね。撤退のご判断。
死にたくはありませんものね」
「俺はまだ死ねん。……あれは、人を超えている。
明日までに、見極める」
ゾアンの唇がローブの奥で歪んだ。
「ええ、“見極め”は大事。
でも――壊すなら、早い方がよろしいかと。
夜明けには、私の“準備”も揃いますから」
レオスは返答せず、ただ夜空を見上げる。
月は雲に隠れ、闇が濃くなる。遠くで不穏な風が森を揺らしていた。
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夜明け前。
フィンが小屋の中で煎じ薬を火にかけていると、突如、外から悲鳴が響いた。
「た、助けてぇえええッ!!」
次の瞬間、門の方角で火柱が上がる。
警鐘も鳴らぬうちに、怒号と獣のような唸り声が木霊した。
「まさか……!」
フィンが外に出たときには、すでに何軒かの家が炎に包まれていた。
「オラァ! 俺たち怒らせた罪、償ってもらうぞぉ!
金目の物、出せや!」
剣を携えた賊たちが暴れ回り、村人の悲鳴が混じる。
その中に、口元を隠し血濡れたローブの男――ゾアンの姿があった。
今回は黒い煙を纏い、足元には不気味な魔法陣が広がっていた。
「ふふ、いいですねぇ……“準備”は終わってますよぉ〜……。さあ、吸い取れ、命よ……!」
ゾアンが両腕を広げた刹那、数名の村人が捕らえられ、その命が黒い霧となって吸い取られていく。
悲鳴が上がる。手を差し伸べようとした若い男がいた。アリムだ。
だが――その足は、動かなかった。
目の前で干からびていく村人の身体。伸ばしかけた手が、宙で止まる。
「う、うそだろ……な、なんで……!」
体が震える。膝が笑う。恐怖に膝をつく。
今にも命を落とす村人を見ているのに、動けない。何もできない。
(助けないと……でも、動いたら……声を出したら……俺が殺される……。俺は……それが怖いんだ……。俺は、なんてダメなやつなんだ……)
そんな自己否定が胸を圧迫する。
そして、肌が干からび、骨だけになった遺体が地に崩れ落ちた。
「やめてぇぇぇぇっ!!!!」
フィンの叫びが虚空に響いた、その刹那――
「フィン、下がれッ!」
灰色の髭が風に揺れる――村長だった。
叫びながら身を投げ出し、ゾアンの放った黒い魔力の前に立ちはだかる。
「っく……!」
ゾアンの異形の腕が、村長の脇腹を掠めた。
「いや! おじいちゃああああああんっ!!」
フィンの悲鳴が上がる。村長はそのまま倒れ込んだ。
脇腹からは赤黒い血が溢れ出し、地面を染めていく。
「……あんたらの好きにはさせんぞ……神子は、絶対に……」
呻きながらも、村長はフィンの前に立ちはだかる盾となっていた。
その姿に、フィンの胸が締めつけられる。
「おじいちゃん……!」
アリムもまた、その姿を見ていた。許せないし、悲しい。
だが、それ以上に身体は恐怖に支配され、鉛のようになって動くことができなかった。
「くくく、やはり年寄りの命は、あまり美味しいものではありませんねぇ……」
ゾアンは村長にトドメを刺そうと、空に浮かぶ異形の腕を構え直す。
するとその中から、血と汗に濡れた巨体が、よろめくように立ち上がった。
ロアスだ。金の瞳が、焔に照らされるように輝いている。
「……何を……してる」
その声は、獣の唸りにも似ていた。
ゾアンが嗤う。
「おや、復活なさいましたか。ですが、もう遅い。貴様の“命”も、“魂”も――」
言い終える前に、ロアスの姿が掻き消えた。
片腕一振り――
ゾアンの背後にいた賊の一人が、何が起こったかも分からぬまま真っ二つに裂かれる。
次の一人、さらにもう一人――ロアスの動きは、もはや人間のそれではなかった。
「な、なんだこの――!」
最後の一人が逃げようとした刹那、ロアスの手がその首を掴み、地に叩きつける。
わずか一分で、五人の賊が瞬殺されていた。
「……おお……おお……!!」
ゾアンは怯えるどころか、恍惚とした表情で震えていた。
「やはり……“本物”だ。これだ、これが見たかった……!」
次の瞬間、ゾアンの腹部を何かが抉る!
ほとばしる血飛沫!
「なっ……!? ぐ、かはっ……!」
ゾアンは、目の前の男の腕が血まみれになっているのを見て、何をされたかを理解する。
「っ……ふふふ……くくくく……」
吐血しながら不気味に笑うゾアン。
負傷した腹部に構わず、両腕から黒い血を空へ散らすと、魔法陣が回転し、周囲の空間が歪み始めた。
「……これぞ、“等価交換”の真理――命を刈り取る魔法ッ!――《命吸虚腕》』」
「ひっ、せ、先生!やめてくれぇ!」
浮かび上がる異形の腕が、仲間であるはずの山賊の腹を貫いた。
その肉体は干からび、枝のように砕け散る。それと同時に、ゾアンの顔色が戻り、出血が止まる。
さらにまた一人、そしてもう一人――
ゾアンは仲間の山賊たちを一人残らず、生贄に変えていった。
「……レオスの旦那ぁ……」
最後の一人が崩れ落ち、村人たちが次は自分かと顔を真っ青にする。
「私の黒魔術ですよ。
そしてこれは、生命力を刈り取り、我が物とする魔術!」
異形の腕が次にロアスへと迫る――
だが、それは届く前に、ロアスの拳で粉砕された。
ゾアンの目が見開かれる。
「こ、壊れた……ッ!? 術式が……なぜ、効かない!?」
ロアスの瞳には、もはや感情がない。ただ純粋な“破壊”の意志だけが宿っていた。
「……やはり、貴様は……あの時代の……!」
言いかけたところに、怒号が飛ぶ。
「ゾアン! テメェェェェェ! 勝手なことしてんじゃねぇ!!」
跳躍してきたレオスが、大剣を振り下ろす!
⸻ブン! グチャッ!
「ぐわあああああああああ!」
悲痛な叫び!
ゾアンの左腕が肩口から切断される!
「テメェ、無実の村人等を巻き込みやがって……! 仲間の命まで奪うとは、許さねぇぞ!!」
「おぉ…ォ……これは痛い痛い……。しかし、本当に……甘々ですねぇ……。おめでたい方だ。とりあえず、今は私の腕の分、貸しにしておいてあげますよ」
ゾアンは苦悶の表情のまま、闇の中へと姿を消す。
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