第29話:心揺らぐ交流
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男ロアスは、フィン、レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅に出る。
ウェイシェムの地にて激闘の末、黒幕ゾディを打ち破るが、その街の人間すべてが死に、歩く屍人となる悲惨な結果に。
命からがら脱出し、放浪していたところ、大規模なキャラバンに迎え入れられた。そして──
ロアスは、話しながら考える。
なんの情報をどの順番で話せば伝わるのかと、思考しながら声を発した。
「俺はつい先日、タルゴポリだったか、そんな名称の村の付近で目覚めたようだ。その前のことは、一切覚えていない。名前もだ。それだけじゃない。自分がどのように生きてきたかも、この時代、この世界のことも、全部だ」
「え、え?えっと、えー?そんなことって――」
思わず声を発するエレカ。それに対して、まだ言いたいことがあるとばかりに、片手でエレカの言葉を制した。
「俺の名はロアス。この名前は、そこのフィンに名付けてもらった。俺は自分が何者なのか、思い出したい。フィンとレオスはその手助けをしてくれている。……ので、俺にあまり難しい言葉を、投げかけるな。以上だ」
回答が返ってこない。エレカの端正な顔はひきつった表情をしている。
(何にそんなに驚いている?俺の話し方か?内容か?顔か?言語形態が違ったか?)
無表情のまま向けていたエレカへの視線を逸らす。
すると、
「それって……本当に『記憶喪失』なんですか?」
(どうやら通じたようだな。)
ロアスは頷いた。
エレカは、ふっと息を飲むようにして、ロアスをまじまじと見つめた。
その瞳からは、さっきまでの詰問めいた熱が抜け、代わりにじんわりとした温度が灯っていた。どこか、憐れみと、戸惑いと、そして――静かな哀しみ。
(ん、この反応はなんだ?)
「……ごめんなさい。そんな、事情があったなんて……」
さきほどまでとは別人のような柔らかい声音。
エレカはそっとロアスの前に立ち、ぐっと顔を上げた。彼の胸元を仰ぐようにして視線を上げると、まるで目線だけでも同じ高さに届こうとするかのように、真剣な眼差しをぶつけた。身長差はあるが、子どもに話しかけるような、気遣う気持ちが滲んでいた。
「初対面で、あんな勢いで言葉をぶつけて……ごめんなさい。驚いたし、怒ったわけじゃないの。でも、すごく不安だったんです。フィンちゃんが、もしも……もしも、命に関わるようなことになっていたらって……」
(……距離、近いな)
エレカはそっと、ロアスの手に触れた。大きくて冷たいその手を両手で包み、指先でさする。ぬくもりを分け与えるかのように。
(なぜ、手を握られている?これは医療行為の一種なのか?それとも――また新たな文化的挨拶か?)
その手つきは慈愛に満ちており、精一杯の気持ちを伝えようとしているようでもあった。
「……だから、つい。ちゃんと、伝えたかっただけなんです」
ロアスの握った拳をエレカのその手で解きながら、彼女は一瞬だけ目元を伏せ、感情を落ち着けるように静かに息を吸い込んだ。
「でも、あなたがちゃんと、事実を話してくれてよかった。……つらかったでしょう? 目が覚めたら、自分の名前も、過去も、何もわからないなんて……怖かったでしょう?」
(…まぁ…いや…うーん…。これは、どういう状況だ)
ロアスは戸惑いが勝ってしまい、その言葉に答えることができなかった。
エレカは立ったまま、そっと右手で目元を押さえた。涙はこぼれていない。けれど、その仕草は、こらえきれない何かを抱えた人のように見えた。
「あなた、これまでひとりで……ずっと我慢してたんですね。どこか強がってる感じがして、ちょっとだけ……昔の弟に似てるなって思いました。だから余計、放っておけないっていうか……」
笑った。優しく、まるで春の日差しのように。
それはロアスにとって、想定外の態度だった。会話が終わるでもなく、詰問も侮蔑も怒号もなく、ただ、温かい理解。
(変な状況だが…この女のいい匂いが、この手の感触が、俺の思考を鈍くさせる…)
「いいんですよ、ロアスさん。わからないことは、これから少しずつ覚えていけばいいんです。私も、教えるの、わりと得意ですから。質問、いくらでも受け付けます。……もちろん、疲れてないときに、ですけどね?」
彼女はにこっと笑い、まるで子どもに向けるように、ロアスの手を持ち上げ、そっと自分の胸元に近寄せた。
「だから……これからは、ひとりで抱え込まないでくださいね。フィンちゃんのためにも。あなた自身のためにも」
その言葉は、決して重たくなかった。
どこまでも自然で、どこまでも優しく――まるで、長い旅路の途中で、不意に差し出された温かい飲み物のようだった。
(この包み込まれる感じ……例えるなら母の優しさというものか。)
母など知らない。だが、不思議とそう思わされるロアス。
エレカはロアスの手を取ったまま、じっと彼を見上げていた。その瞳は、どこまでも真剣で、どこか切実だった。
(この感じ……正直、悪くない)
ロアスが困惑のまま見返そうとしたそのとき――
「……ロアスさん?」
不意に背後から声がした。
振り返ると、フィンが立ち上がっていた。いつの間にか目を覚ましていたらしく、登り始めた陽の明かりの中、普段大きくて可愛らしい瞳はじとっとした目でこちらを見ている。
「ロアスさん、なにをしてるんですか?それ」
その声音は穏やかで、どこかしら責めるような――いや、むしろ拗ねているような――微妙な温度を帯びていた。
エレカは「ひゃっ」と情けない声を上げて手を引っ込め、ロアスも思わず目をそらす。
(……くそ、この感情はなんだ。言葉で形容できない!)
「あ、いや、ちがう、これは、その……」
ロアスは珍しく――否、初めて慌てた素振りを見せ、言葉を噛んでいる瞬間だった。
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