第27話:キャラバンの出立
〜前回までのあらすじ〜
記憶喪失中のロアス、少女フィン、戦士レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅に出る。
ウェイシェムの地にて瘴気で死の間際に立たされるが、フィンの力により護られ、疲労困憊の中、命からがら脱出を果たした。放浪をしていたところ、通りがかった大規模なキャラバンと出会った。そして…
その様子を見たマルバスは、少しだけ表情を引き締める。
今度は、からかうでも勢い任せでもない、真っ直ぐな声だった。
「……まさか、兄弟。考えるのを放棄しちゃいねぇだろうな?」
その言葉に、ロアスの眉がぴくりと動いた。
無表情だった顔に、微かだが確かな変化が生まれる。沈黙が、揺れる。
「……もし、そうだとしたら、それはダメだ。生きてる限り、俺たちは考え続ける必要がある。そうする義務がある。わかるか?」
静かに、しかし確かな熱を帯びたその言葉が、焚き火の炎のようにロアスの胸を打つ。
「……そうなのか?」
ポツリと漏らした言葉は、ようやく「わからない」以外の一言だった。
マルバスは、ふっと目を見開き、思わず笑みをこぼす。
「お、初めて『わからない』以外返ってきて嬉しいぜ!」
まるで弟の初めての言葉を聞いた兄のように、心から楽しそうな顔をしていた。
マルバスはにわかに立ち上がると、背後から巨大な双刃の戦斧を取り出した。黒鉄の刃は重厚で、縁には無数の細かな打痕が戦場の記憶を物語っている。
戦斧をゆっくりと回転させるたび、淡い月光が刃面を滑り、金属のざらりとした質感が夜の静寂をこじ開ける。
マルバスはロアスをじっと見据えたまま、わずかに笑みを浮かべる。 その眼差しには、戦いを共に生き抜いてきた者だけが知る覚悟の炎が灯っていた。
「こいつは、俺の愛用の斧だ」
陽の光をほとんど吸い込んでしまう黒鉄の刃には、戦いの痕跡とも言える細かな傷が無数に刻まれている。鍛え上げた腕でそれを軽々と持ち上げるマルバスの姿は、荒野に生きる獣のような威圧感を放っていた。
「これがどこで作られ、誰の手に渡ってきたか、わかるか?」
ロアスは無言のまま首を横に振る。表情に変化はない。
「そりゃそうだ。そんなん俺もわからねぇよ」
マルバスは斧の柄をポンポンと叩きながら、ふっと笑った。
「だがよ、コイツがこの先、どんな敵を砕いていくかはわかるぜ。なぜかわかるか?」
問いかけに、ロアスは淡々と返す。
「何が言いたい?」
「まあ聞けって。なぜなら、コイツは今は俺の物で、使うのは俺だからだ」
マルバスは斧を担ぎ、遠くで寝息を立てるキャラバンの仲間たちをちらりと見やった。
「俺はこのキャラバンの奴らを家族同然だと思ってる。例え旅の一時のモンだとしてもな。そんな家族を襲おうとする奴は、俺のこの斧で叩き砕く。な?」
ロアスは何も言わず、ただその言葉を受け止めているようだった。表情に変化は見られないが、わずかに指先が動いたのを、マルバスは見逃さなかった。
「あー、何が言いたいかというとだな――」
斧を地面に突き立て、マルバスはロアスに向かって人差し指を突きつける。
「お前のその『わからない』力をどう使って、誰を殺すかは『今』のお前が決めるんだってことだ」
風が砂を巻き上げる音の中、マルバスの声だけが重く響いた。
「強い力を扱うってのは、色んな人を殺すこともできるし、色んな人を守ることもできる。つまりそれは『大きな責任』が伴うってことだぜ、兄弟」
マルバスは一歩ロアスに近づいた。その目はもう、冗談めかした男のそれではない。
「だから俺は兄弟に伝えたいのよ。過去のことは何も『わからない』ようだが、『今』を考えることは放棄しちゃならねぇってことを!」
しばしの沈黙の後、ロアスがぽつりと口を開いた。
「考えることを放棄するな、か……」
その言葉はまるで、自分に言い聞かせているようだった。
マルバスは頷き、わずかに肩を緩めた。
「もっと言うとだな。俺は困ってそうなお前さん達を助けた。お前らがどんな奴らかわからないからだ。で、いい奴らだったらこのキャラバンに同乗させ、最大限の手助けをしてやりたい。だがこのキャラバンに仇なすような奴なら……ここで捨て置くしかねぇ」
再び地面に突き立てた斧を掴みながら、マルバスは最後の言葉を静かに吐き出す。
「それを、俺に見極めさせてくれよ」
炎の影が揺れる焚き火の前で、ロアスは目を伏せたまま、その言葉を反芻していた。まだ、自分が何者なのかはわからない。
マルバスの言葉を受け、ロアスは口を開いた。
「……あんたの斧のように、俺もこの力がなんなのかわからない」
焚き火の揺らぎが、ロアスの横顔に影を落とす。
「ただ── いまはフィンとレオスと一緒にいる。記憶も素性も見失った俺に、居場所をくれたのはあいつらだ。感謝してる。」
そこで小さく息を吐いた。目を伏せる。
「失った記憶は取り戻せるか分からない。だからせめて、彼らが示す先を信じて進みたい」
夜の砂漠には風の音すらなく、火の揺らぎだけが、時を刻んでいる。
「教団のことは詳しく知らない。でも、道しるべがあるなら、俺は旅を続ける。記憶が戻るそのときまで──」
ロアスの声は低く、だが確かに芯を持っていた。決意というより、静かな宣言のように。
対するマルバスは、しばらく沈黙を崩さなかった。 揺れる焚き火の残り火だけが、二人の間の重い空気を刻んでいる。
やがて、彼は鼻でひとつ、軽く笑った。
「ふふ……良いじゃねぇか。合格だ」
ロアスは眉をひそめ、細めた目でマルバスを見返す。
「……こんなので、いいのか?」
マルバスはあっけらかんと肩をすくめる。
「なにが?」
ロアスの声には、ほんのわずかな戸惑いが混じる。
「俺の過去を……さっきの言葉を、疑わないのか?」
問いかけたその声には、ほんのわずかだが戸惑いの色が滲んでいた。
マルバスは指を一本だけ立て、あっけらかんと、当然のように答えた。
「疑ってるさ」
しかしその目には、警戒心すらなかった。 むしろ焚き火の光に照らされた彼の横顔は、どこか穏やかにさえ映る。
「だがよ――」
マルバスは視線をロアスに据え直し、静かな声を重ねる。
「お前は救いを求めてこのキャラバンに来た。俺と火を囲み、言葉を交わした。……それだけで十分だ」
ロアスの目が、ふと揺れる。瞬きの合間に、微かに見開かれたその瞳は、今までになく人間らしさを宿していた。
「俺はな、たとえ明日死ぬとしても、その日まで信じられる仲間が欲しいのさ。過去がどんなでもいい。……今をどう歩くか、だ」
マルバスはロアスを見据えた。その言葉に一点の曇りもない。
「お前と会話して、俺は決めた。信用すると。……もっと言えば、砂漠でフィンを抱えて歩いてた時のお前の足取り。あれが、何よりの証明だった」
思い出したのか、マルバスの視線が遠くを見つめた。
「怯えてもいなかった。迷いも、偽りも、なかった。まっすぐだった」
焚き火の明かりが、ロアスの頬に揺れる。肩が、ほんの僅かに震えた。
「……それで十分だ。旅の中で、お前が何者かは、いずれ分かるだろうさ」
長い沈黙のあと、ロアスはゆっくりと頷いた。
「……感謝する」
マルバスは鼻で笑い、炎を見つめたままゆっくりと頷いた。
「礼はいらねぇよ。
代わりに――何かあった時は、全力で守ってくれ。兄弟の“斧”でよ」
ロアスは目を伏せ、かすかに表情を揺らす。
掌に伝わる焚き火の熱が、じんわりと胸を温めていく。
「……俺の場合は“鎌”だ」
「ははっ、いいねぇ!」
マルバスは豪快に笑い、たちまち火の粉が空へ舞い上がった。
砂漠の夜風がそれを巻き上げ、星明かりをかき消すほどの高揚感を生んでいる。
間合いを詰めて、さらに口元を緩ませ、
「ちっとは面白れぇ奴になったじゃねぇか」
そう言い放った瞬間、それまで無表情を貫いていたロアスの口元に、小さな笑みがほころんだ。周囲にはまったく気づかれないほどのささやかな変化だったが。
そのやり取りのあと、マルバスは扉口から仲間のいる広間へ足を踏み入れた。
「新たに来たこいつら三人は、しばらくうちらの家族だ。
うちの飯を食って、うちの寝床で寝る。
誰にも文句は言わせねぇ。
なにか言いたきゃ、まず俺の斧に言え」
荷馬車のきしむ音と共に、誰一人として反論の声は上がらなかった。
マルバスの言葉はこのキャラバンにおける“法律”そのものだった。
「ま、お前はよ、まずは人とのコミュニケーションの仕方を覚えろ。幸いこのキャラバン内には人が大勢いるから、面倒くさがらずに自分磨きだと思って話しかけてみろ、兄弟」
ロアスは思った。
(不思議な男だ……)
初対面の自分たちに、なぜこれほど寛容でいられるのか。だが、この男の中には確かに「信念」があった。生き様としての信念だった。記憶も何もわからないロアスだが、マルバスにはなぜだか自分にはないものを持っていると悟った。
夜明けと共に砂煙を巻き上げ、キャラバンが動き始めた。
朝日の朱が砂塵を染め、乾いた風が肌を撫でる。
銀灰色の大地を踏みしめ、ロアスは新たな「一族」の一員として歩を進める。
キャラバンが目指すのは、ここから南東にある自由都市ノクティア。
そこは聖都へと続く街道上に位置し、多くの旅人や商人が行き交う要所だ。
商業が盛んであらゆる品が集まり、魔術師や旅人が交錯する。
闇市場では魔具や禁術に関する噂が絶えないという。
ロアスの胸に、ゼラの囁きが蘇る。
――「人の記憶を消すことができる魔具。この先、南東に数日歩いた先にノクティアという交易が盛んな都市があるのだけど、そこを拠点とする盗賊団″ブラックペリル″が持っているらしいわ」
失われた過去を取り戻す唯一の手がかり。
(進むしかない。俺の過去を知るために)
――ロアスはそっと拳を握りしめた。
背後から重い声が降りかかる。
「この辺りじゃ最近台頭してきた盗賊団“ブラックペリル”ってのが暴れてるらしい。油断すりゃキャラバンごと焼き払われる。気を抜くなよ」
レオスがにやりと笑いかけた。
「聞いたか?ロアス、”ブラックぺリル”だってよ。ちょうどいいじゃねぇか。襲われたら逆にゼラの情報にあった”魔具”奪っちまおうぜ!」
ロアスは無言で頷く。
こうして三人は、仮初めの「家族」と共に未知の砂原へと足を踏み出した。
遠い地平線が、まだ見ぬ運命を待ち受けている。
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