第26話:ロアスの″今″
〜前回までのあらすじ〜
記憶喪失中のロアス、少女フィン、戦士レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅に出る。
ウェイシェムの地にて瘴気で死の間際に立たされるが、フィンの力により護られ、疲労困憊の中、命からがら脱出を果たした。放浪をしていたところ、通りがかった大規模なキャラバンと出会った。そして…
フィンはキャラバンの治療係たちに寝台へと運ばれ、ロアスとレオスもそれぞれ応急処置を施された。
レオスは気丈な態度を見せていたものの、実際にはかなりの重傷を負っていたらしい。さっきまで人間並みの大きさの大剣を担ぎ、平然と歩いていたという話をすると、治療係たちは一様に驚きを隠せなかった。
さらに、ロアスの顔や身体中にこびりついた多量のコゲカスにもかかわらず、その肌にはかすり傷程度しか損傷がないことも、治療係たちを驚かせたようだ。その特異な体質が、むしろエレカたちの興味を大いに引きつける結果となったらしい。
一段落ついたあと、ロアスはマルバスに呼ばれ、焚き火の前で二人きりの話をすることになった。
砂の熱がまだ地面に残る宵の口。マルバスは煙草のようなものを咥え、焚き火の炎を背にしてあぐらをかいていた。
火の光は彼の顔に赤く影を落とし、焦げた煙が風に揺られてゆらりと舞う。
ロアスはその向かいに、静かに腰を下ろした。
視線も言葉も交わさず、ただ火のはぜる音が二人の間に鳴っていた。
「……で、あらためて聞くが」
マルバスがじろりとロアスを見やる。軽口ではない、鋭い目だった。
「なんでお前、裸だったんだ? ……まさか、命がけの脱出中に、服だけうっかり置いてきましたとか言わねぇよな?」
ロアスはわずかに目を細め、火の揺らめきの向こうでしばし思案するように黙った。
それから、淡々と答えた。
「……燃えた」
マルバスが眉をひそめる。
「なぜ燃えた?」
「化け物に、火を吐かれた」
その言葉に、マルバスは片眉を上げた。
「そりゃどんな生き物だ?」
ロアスはほんの少しだけ目線を落とす。焚き火の炎がその頬を赤く照らした。
「それは……竜…みたいな……よくわからない」
口にした本人ですら、確信がないのだろう。言葉の端々が曖昧に滲んでいる。
彼の声は静かだったが、その内側にはぽっかりと空いた空虚があった。
マルバスは黙ったまま煙を吐き出す。
細く長い煙が夜の空へと昇っていく間、じっとロアスの顔を見つめていた。
ロアスの声は静かだったが、どこか空虚だった。
マルバスは煙を吐きながら、しばしロアスの顔をじっと見つめた。
「じゃあ聞くが、出身は? 生まれは? 職業は? その角は?」
マルバスはそのまま遠慮をすることなく怒涛のように質問を続ける。
ロアスは一つずつ、その問いを聞き流さず受け止めたが、結局はすべてに首を横に振った。
する。
「名はロアス。それ以外は……覚えていない。どこで生まれたかも。何をしていたかも。この角がどういう意味を持つのかも、わからない」
「そりゃまた見事にまっさらだな。――面倒くせぇぐらい、謎の塊だ」
ロアスは無表情で答える。マルバスは頭を掻いた。だがどこか楽しそうでもあった。
「竜を吐くバケモノを倒したんだ。お前は自分が強いって自覚、あるよな?」
ロアスは少しだけ、俯く。
「周りが燃えて溶けるような炎でも俺は燃えなかった……だから負けない、と自覚している。それが強い、なのかはわからない……」
目が揺れる。微かに。
その言葉に、マルバスは煙を吐きながら目を細めた。
「……なるほどな。記憶がねぇって話、本当なんだな。実は、銀髪の兄ちゃんからあんたのこと少し聞いたよ。概ね証言は一致してるな」
「目覚めたのは数日前だ。名前と……戦えるという事実以外、何も覚えてない」
ロアスの声は、焚き火の揺れる炎の中に溶け込んでいく。
その語り口には悲しみも怒りもなく、乾いた事実を並べるだけの響きがあった。
「で、魔術のようなもので鎌を出せて、めちゃくちゃ強いときた……」
マルバスは煙草を口の端に挟みながら、じろりとロアスを見た。
「俺から見りゃ、喋りも淡白で、悲壮感漂う表情。……まともな過去があったようには見えねぇな」
火がぱち、と爆ぜた。
ロアスは何も言わず、それを聞いていた。だが、その目はかすかに揺れていた。表情には出さない。だが、心のどこかで言葉を受け止めていた。
「……わからない」
少し間を置いて、彼は呟くようにそう言った。
それはもう何度も繰り返してきた台詞だった。思い出せないことに対する悔しさでもなく、拒絶でもない。ただ、「事実」として淡々と響く言葉。
少し沈黙が続いたあと、マルバスは軽く鼻を鳴らした。
「ふーん、わからない、ね」
短く反芻するように言って、もう一度、夜空を仰いだ。
吐き出された煙が、風に揺れて静かに宙へ消えていく。ごく自然な動作だったが、それは彼なりの思考の間でもあった。
火のはぜる音だけが、場の静寂をかすかに彩る。
沈黙――。
ロアスはまるでそれを気にも留めない。言葉がなければないで構わないといった様子で、静かに焚き火を見つめていた。
一方のマルバスは沈黙そのものを拒むわけではなかったが、それをただの空白とは捉えていなかった。 どんな問いを投げれば、この得体の知れない男の「芯」に触れることができるのか——。 彼は煙の向こうで、その答えを探っているようだった。
……スゥー……
マルバスは煙草を深く吸い込み、ちらりとロアスに視線を向けた。だが特に表情を変えることもなく、すぐに夜空へと目を戻す。
……ハァー……
ゆっくりと煙を吐き出す。その動きは細く長く、まるで何かを見透かそうとしているようだった。
再び、沈黙。
火の粉がふっと浮かび上がり、宙を舞い、砂地に落ちて静かに消えていく。
やがて、マルバスはようやく口を開いた。 言葉を選ぶような間を挟みながらも、その声には躊躇がなかった。
「お前さんは、どうなんだよ」
「……どう?」
ロアスが眉をわずかに動かすと、マルバスは煙草を軽く持ち上げ、その先端でロアスをピッと指した。
「いやな、お前は今の現状をどう思ってんだ? って聞きたいわけよ。なんかあんだろ? 俺ツエェェ!ヒャッホー!とか、この力怖い!とかよ」
火の明かりが揺らめく中で、ロアスはわずかに俯いた。目元の影が、感情を隠しているようにも、何かを探っているようにも見える。相変わらず表情は読み取れないが、その沈黙にはこれまでとは違う色があった。
「どう思っている、か……」
ぽつりと落とされたその声は、焚き火のはぜる音に溶けそうなほど小さかった。
「そうだ。記憶がないなら思い出そうとしたって仕方ないだろ? だったら、大事なのは今だろ。――今、お前は何を思ってるんだ? どういう感情なんだよ?」
マルバスの言葉は投げやりにも聞こえるが、その実、芯を突いていた。
過去がどうであれ、今の「心」が何を感じているか。それが、目の前のロアスという男の正体に迫る鍵になる――そんな思いが滲んでいた。
ロアスはすぐには答えなかった。
口を開くでもなく、唇を結んだまま、視線だけが焚き火を見つめ続ける。
その炎の奥に、何かを探しているかのように。
少しの思案の後、ロアスがようやく口を開いた。
「……わか」
だがその言葉は、最後まで言い切られることはなかった。
「わからない! は聞き飽きたぜ、兄弟!」
マルバスが唐突に声を張り上げ、間髪入れずに立ち上がる。勢いそのままに両手を大きく広げ、抱きつくような勢いでロアスに迫る。
「さっきのあんたと同じだ! 裸と裸、包み隠さず話していこうぜ!」
顔が近い。煙草の匂い、熱のある声、その全部が距離を無視してロアスにぶつかってくる。
「今を生きてるんだから、今の感情が『わからない』はさすがに嘘だぜ! 言葉にするのが恥ずかしいのか? それとも感情を言葉にできない、とかか?」
マルバスの熱に押され、ロアスは言葉を失っていた。
ただ黙ったまま、軽く目を伏せる。返せる言葉が見つからないのではない。頭のどこかで、何かが動きかけている。それが何か、自分でもわからない――そんな顔だった。
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