第25話:荒野に灯る希望
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男・ロアス。
少女フィン、戦士レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅に出る。ウェイシェムの地にて激闘の末、ゾディを打ち破ったロアス。
だがその代償は大きかった。魔竜の死と共に、瘴気が街中に充満。人々は皆、死に、そして――屍人へと変わっていった。
フィンの力により一行は瘴気から護られるも、重い疲労を抱えたまま、命からがら街を脱出したのだった。
夜の帳は深く、沈み続けていた。死体が点々と転がる荒廃した街並みを抜けた三人の歩みは、疲労と痛みの影に沈む中、どこか微かな安堵を感じさせるものだった。
崩れた瓦礫の隙間から、腐った木々の残骸が見え隠れする。遠くでかすかに響く呻き声は、死者の街ウェイシェムで起きたことが現実であったことを示していた。
その一方で、三人の周囲には次第に自然の静けさが満ち始めている。瘴気の気配は薄れ、空気は少しずつ澄み、冷たい風が焼け跡の残り香を散らしながら流れていく。
レオスは振り返り、崩れ落ちた故郷を遠ざける彼らの影を確認する。「これで……終わりなのか。」ぼんやりと呟いたその声は、砂の荒野へ吸い込まれるように消えていった。
夜が明ける気配は、まだなかった。
星さえ見えぬ砂の空が、淡く微かな明滅を繰り返している。風は熱を孕み、焼け焦げた廃墟の残り香を運んできていた。
ロアスは焚き火のように燃え残る空を背に、フィンを抱きかかえながら、レオスとともに静かに立ち尽くしていた。
どこまでも広がる砂の荒野。
それは終わりなき悪夢の続きのようで、足を踏み出せば、すべてを飲み込む虚無のようでもあった。
「……そろそろ限界だな」
レオスの呟きが、砂に落ちる。
彼もまた、片膝をついていた。大剣を杖代わりにして体を支えながら、もう幾度も吐血を繰り返していた。
ロアスは返事をせず、ただフィンの額を撫でていた。冷たい。彼女の呼吸は浅く、肌には微かに熱が残っているものの、意識は戻らない。
――そのとき。
風の中に、何かが混じった。
重い車輪のきしみ、砂を蹴る蹄の音。そして、怒鳴り声と、甲高い笑い声。
ロアスがすっと身を低くし、フィンを守るように抱えながら目を細めた。
やがて、砂嵐の向こうから――
数十頭の獣に引かれた、大規模なキャラバンが姿を現した。
「おい、そこの連中! 死んでねぇだろうな!」
傷痕だらけの大男が、先頭の獣の上からまるで地鳴りがしそうなよく通る低い大声がどなった。
陽に焼けた肌と筋骨隆々の体を持つ、巨漢の男だった。上半身を覆うのは、鉄の留め金が打ちつけられた革のコート。粗暴で機能的な衣装だった。肩には巨大な斧を背負っている。額には傷が走り、その中には泥と血が乾いていた。
「誰だ」
「通りすがりのお人好しってとこさ」
その男は大きな図体とは裏腹に、乗り心地の良さそうなその獣から素早く降りる。
「んなことより、お前ら大丈夫か!?
……って、あー、こりゃ重症者2名だな。おい! 水、持ってこい! 荷台、空けとけ!」
並ぶとロアスと同じくらいの身長がある大男は指示を飛ばす。すると後ろから医療班と思しき者が担架を広げ、手際よくレオスとフィンの容体を確認し始めた。
「俺はマルバス――マルバス・バルトグランデだ。このキャラバンの団長さ」
ロアスは「キャラバン?」と言うが、聞こえてないのか大男――マルバスは構わず続けた。
「で、お前のその恰好なんだよ。丸裸じゃねえか」
「……服が燃えた」
ロアスが呟くと、マルバスが豪快に笑った。
「はっはっはっ! こりゃ面白えな!
まあ、女の子の前でそれは問題だ。アテネ嬢、ちょっと服、見繕ってやってくれ!」
その名が呼ばれると、荷馬車の奥から、涼しげな声が返ってきた。
「承知しましたわ、団長。……ですが、代金はきっちり頂きますわよ?」
砂埃が薄く舞う中、アテネが白い旅装束をなびかせながら静かに歩み寄る。上着を投げる瞬間、布が風を切る音がかすかに聞こえ、ひらりと宙を舞う上着が砂埃の動きを絡め取るように軌跡を描いた。それをキャッチしたロアスの手元に少し砂が付着するが、彼はそのまま静かに目を上げた。
――長く波打つ紫の髪が風に揺れる。
凛とした整った顔立ちと涼やかな蒼い瞳。緩やかな微笑みの奥には、商人としての計算高さとしたたかさが微かに光っていた。
「私はアテネ。キャラバンで商人をしておりますの。……お支払いは後ほどでよろしくて?」
「……ああ」
裸に上着を羽織るロアスを眺め、アテネがくすくすと笑った。
「まあまあ、なかなかの逸材。悪くありませんわ」
ロアスは眉一つ動かさず、無言で服を身に着けていく。
無言で上着を羽織るロアスは、その瞳にかすかな諦念とも取れる光を宿していた。無表情のその顔の奥からは、何の感情も読み取ることはできない。ただ黙々と動作を続ける彼の背筋には、どこか頑なな意志が感じられた。
「なぜ助ける?」
「人を助けるのに理由なんかいるかよ!俺たちキャラバンは、困ってるヤツを見捨てることはしたくねぇ!」
怒鳴るような声だが、そこには確かな温もりがあった。
男たちの手によって担架が持ち上がる。
ロアスはそれを見届けると、自らの足で歩き出した。
砂を踏むたびに、焼け焦げた金属や、炎で炭化した木材の残り香が鼻をついた。
初めこそ警戒していたレオスだったが、マルバスの大声に混じる確かな温かさや、医療班が手際よく動く姿に、次第に心を許していくのを自覚した。『ありがてぇ』と口にした瞬間、自らが追い詰められていたことを改めて感じ、肩の力が自然と抜け落ちた。
「うひゃー、銀髪の兄ちゃん、こりゃ骨が何本か折れてるかもな!」
マルバスが驚きながら言う。
「レオスだ……。助けてくれんのは感謝するが、もう少し声小さくしてくれ」
「はっはっはっ! そんだけ喋れるなら問題なさそうだな!
さ、エレカ嬢、そこのお嬢ちゃんは意識がない。早いとこ中に運んでやれ!」
マルバスは、驚くほど手際よく指示を飛ばし、エレカと呼ばれたキャラバンの仲間たちが即座に動き出した。
その光景を見ながらレオスは言った。
「……見返りはいくら必要だ。悪いが急いでたんで金はほとんど持ち合わせちゃいねぇ」
レオスが静かに言葉を吐き出すとき、その声の奥には微かに押し隠された警戒心と、やり場のない焦燥感が混じっていた。金がないと伝える自分の無力さが、砂嵐の熱風に溶けて消えそうに感じる。
「貸しを返してくれるってんならありがたい。が、見返りを求めて助けてるわけじゃねぇよ。
ほら、乗れ。女の子はこっちで預かる。」
マルバスは砂に深く埋もれた足を無造作に動かしながら、自らの獣に荷物を固定した手を休めることなく答えた。その太い声には、まるで嵐の中でも揺るがない大樹のような落ち着きがあった。
キャラバンの車両は、半ば要塞のような移動式の大型施設だった。木と鉄を組み合わせた車輪付きの家のようなもので、側面には折りたたみ式の階段と昇降口がある。防塵布が張られたその入り口には、警戒心の強そうな無愛想な青年――深緑のローブを羽織った男が、興味深げにロアスたちを観察している。
「しかし……あの巨大な瘴気の柱! あんなの、初めて見たぜ」
マルバスは誰に言うでもなく、本人はただぼそりと呟いたつもりの大声が聞こえる。
その声に応じ、ロアス、レオスがその車両に乗り込もうとしたところで、ふと逃げてきたウェイシェムの方を振り向いた。視界に飛び込んだのは巨大な瘴気の柱が立ち昇るさまであり、それはまるで世界そのものが裂けたかのようだった。
深緑のローブの男は、鋭い眼光で睨みつけながら口を開いた。
「遠目からでもわかるあの瘴気の量。まさかその方角から人間が歩いてくるとはな」
少し嫌味の含まれるような口調。
「何が言いたい?」
レオスのその目が静かに相手を射抜くように鋭さを増し、彼の背筋にはわずかな緊張が走った。
「いや?あんたら本当に人間なのかな?って思ってさ…だってさ、あんたのその連れ。どう見ても人間じゃ、ないだろ?」
「かもな。けど助けたのはアイツだ。文句ならマルバスっつうあのオッサンに言ってくれ」
そう告げ、レオスはその青年を一瞥するとさっさと奥に入る。ロアスは何事もなかったかのようにレオスの後に続く。
すると後ろからアテネと名乗った女性が、静かに声を発した。
「ダラス。それは少し、言葉が過ぎますわ」
その声に、ローブの男は肩をすくめて振り返る。
「へぇ、そうかい? こっちは念のために言ってるだけだよ。瘴気の中から無傷で出てきた奴なんて、見たことねぇからな」
「だからといって、助けを求めてきた方に向けて疑いを真っ先に口にするのは、感心いたしませんわ。今は、追求よりも救助を優先すべきです」
アテネの声音は穏やかだったが、その瞳には微かな叱責の光があった。
「ふん……やれやれ、旅は面倒な人間関係が多くて疲れるよ」
そうぼやきながらも、ダラスの口調は少し優しくなる。
「……まぁ、人間でも亜人でもなんでもいいや。ちょっと警戒してるだけだ。ま、気を悪くしたなら悪かったな」
「いや、こっちこそ助けてもらったのに、ちょっと態度悪かった。俺はレオス・リオ、こいつはロアス。よろしく」
「俺はダラス・バルーガだ。だがな、これから一緒に行動する以上、確認させてもらう」
ダラスは少し警戒の声を強める
「……あの靄、そして地響き……アンタら、ウェイシェムで何かやらかしたな?」
ロアスがその言葉に目を細める。
「……見ていたのか?」
「いや? だが魔術師にとって、瘴気や破滅の気配ってのは鼻が利くんでな。……で? お前たちは一体、何から逃げてきた?」
沈黙の中、瘴気の柱が立ち昇るその遠くから、不気味な唸り音が微かに響いてきた。それは、この場の空気を一層冷たく、鋭くさせるように感じられた。
レオスは疲労の色を隠せず、もはや答える気力もなかった。
ただ、小さく肩をすくめて、答えをロアスに預ける。
代わりにロアスが静かに口を開く。
「……ウェイシェムの支配者が、屍人と魔竜を造っていた。俺がそれらを倒すと、街は……もう、終わってた。俺らを除く全員、歩く屍となっていた。」
その言葉に、ダラスの表情がわずかに凍りついた。
すると、フィンを診療棟に運びいれた後、偶然扉から出てきた白衣の女性がふと足を止め、振り返る。
「ウェイシェムの支配者……ゾディ、ですね」
マルバスに“エレカ”と呼ばれていたその女性は、確信するように静かに呟いた。
「知っているのか?」
ロアスが問うと、エレカは一度目を伏せ、少し息を整えるようにしてから静かに話し始めた。
「正確には……知っているとは言えません。ただ、私が卒業した″塔″――エルセリオ魔術王立学院に、かつて“ゾディ”という教授がいたと聞いています。
禁忌の魔術に手を染め、追放された、と」
エレカの言葉に、ダラスが鼻で笑った。
「ああ、その話は塔の連中じゃなくたって知ってるさ。十数年前、メッメドーサ国で禁忌魔術の実験をやらかして、大量殺戮。高額な賞金首になった大罪人だよ」
ダラスはロアスをまじまじと見た。
「……よく生き延びたな、あのゾディと、犯罪者の巣窟から。俄然、アンタらに興味が湧いてきたぜ」
ロアスはその視線を無言で受け止めながらも、わずかに眉をひそめた。
一方のレオスは、ようやく息を整えると、ぼそりと一言漏らす。
「興味なら……ご自由に。けど、こっちはもう懲り懲りなんでね」
「ダラス、質問はそこまでになさいな」
アテネがゆっくりと立ち上がり、やや硬い声でそう言った。
その声音には、どこか気品と芯の強さが滲んでいた。
「皆さん、疲れていらっしゃるのよ。命からがらの旅を終えたばかりの方々に、詮索を重ねるのは無作法というものですわ」
ダラスは肩をすくめて「へいへい」と言ったものの、それ以上は言葉を継がなかった。
「……ごめんなさいね」
エレカが小さく頭を下げた。
「こちらの施設は、キャラバンの移動式診療室と、休憩室を兼ねています。よろしければ、このままお休みになってください。その子の処置も、すぐに」
そう言うと、彼女はふたたび穏やかに歩き出し、診療棟の扉を開けた。
扉の向こうには簡素ながらも清潔な空間が広がっていた。外の砂塵とは対照的に、微かな薬草の香りが漂っている。壁には棚が並び、保存薬や布包帯が整然と収められていた。
ロアスは小さく息をつき、静かに中へと足を踏み入れる。
レオスもそれに続いた。足取りは重かったが、どこか安堵の色もあった。
それからしばらくの静けさが流れた。
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