第15話:放たれた包囲網
〜前回までのあらすじ〜
記憶を失った最強の男・ロアス。
少女フィンと戦士レオスと共に、記憶の手がかりを求め旅立つ。
辿り着いたのは、法なき犯罪都市ウェイシェム。
そこで出逢った妖しき女性ゼラにゾディ討伐の誘いを受け…
案内された部屋は、屋敷の一角にひっそりと用意された静謐な空間だった。
厚手のカーテンが音を吸い、部屋の空気はほとんど動かない。
淡い照明と重厚な家具、そして一切の生活感のない整然さが、不気味な静けさを際立たせていた。
ロアスは窓際の長椅子に腰を下ろし、右手を見つめていた。
皮膚に異常はない。だが、あの戦いで顕現した〈大鎌〉は、まるで呑まれるように右腕へと吸い込まれ、消えたままだ。
指を動かしてみる。違和感はない――だからこそ、不気味だった。
「……力はまだ、残ってる」
小さく呟くと、すぐそばのフィンが不安そうに顔を上げた。
「ロアス……痛みは?」
「ない。ただ……中にいる、感じがする」
その言葉に、フィンは何も返せず、毛布にくるまったまま、膝を抱える。
部屋の隅では、レオスが己の腕の傷を布で縛り、ゆっくりと背を壁に預けていた。
誰もが、次に何が起こるかを予想できずにいた。
――その時。
外から、かすかな音声が聞こえてきた。拡声器の、無機質な声だ。
《……繰り返す。通報対象は3人組だ。まず、身長180㎝前後、大剣を持った銀髪の三白眼の若い男。次……》
レオスが目を細め、窓へと歩く。外では、街頭に設置されたスピーカーが、低く響いていた。
《……最後、身長200㎝弱、緑髪の男、頭に2本の角を持つ……》
フィンが震えながら囁く。
「わ、わたしたちのこと……」
《報告者にはゾディ・アーク様より、報酬として金貨三十枚が支払われる。》
「……通報すりゃ三十枚か。いい値だな」
レオスが小さく吐き捨てるように言った。
ロアスは窓の外を見つめながら、低く呟いた。
「金貨の価値について問いたいが…そういう空気ではなさそうだな」
外では、人々が顔をひそめながら通りを行き交い、誰かが誰かを指差しては、急ぎ足で姿を消していく。
まるで、全員が密告者になったかのような気配。疑心と欲望が、街そのものを塗り潰していた。
フィンが縋るような声を出す。
「逃げ道は……ないの……? ゼラさんの言ってた通り、ゾディを倒す以外に……」
レオスが首を横に振った。
「逃げ道なんて、あのゾディが用意してるわけがねえ。出口が罠ってこともある」
「逃げるつもりはない」
ロアスが静かに、だがはっきりと告げた。
「邪魔をする者は殺す。……ゾディが何者であれな」
その言葉に、レオスが小さく息を吐いた。
「お前、やっぱりどこかぶっ壊れてるよな……でも、嫌いじゃねえ」
ロアスは右手を軽く握った。
皮膚の下に、うごめく力がある――あの死の奔流を、まだ自分は使えるのだという実感。
その瞬間、部屋の扉がノックもなく静かに開いた。
ゼラ・フィアラスが、まるで舞うように姿を現す。
「……ご機嫌よう。お休みのところ、申し訳ないわ。準備が整ったの」
その微笑は艶やかでありながら、どこか死を纏っていた。
ロアスたちはゼラに案内され、屋敷の裏手からひっそりと街路へと出た。
夜のウェイシェムは、まるで一つの生き物のように、静かに彼らを狩ろうとしていた。
街中のあらゆる場所から拡声魔術により、しつこく繰り返される警告音声。
「――銀髪の男、黒髪の少女、角を持つ男。見かけた者は、速やかに通報せよ。報酬は金貨三十枚」
無機質な声が石壁に反響するたび、住民たちの目がギラリと光る。
扉の隙間から覗く視線は、ただの傍観者ではなかった。報酬に餓えた獣の目、隣人すら売る冷たい計算の目。街全体が、彼らを餌と見なしていた。
「ふふ……久しぶりの″お祭り″ね」
ゼラが軽く肩をすくめる。
だがその目は笑っていない。足音を立てず、迷路のような裏路地へと滑るように進んでいく。
広場では賞金目当てのチンピラが通報対象を捜し回っており、別の路地では対象を誤ったのか乱闘騒ぎになっていた。
「な、なんか……怖い……」
フィンが声を潜めて、ロアスの外套を掴んだ。が、その手は微かに震えている。
「大丈夫だ。見つからないようにする」
ロアスが静かに言い、彼女の頭をそっと撫でる。
すると、ゼラがちらりと横目で見て、意味ありげに口元を緩めた。
「ふふ、いいわね、そういうの。庇護欲……かしら。私も守られたいわぁ、たまには。生きた人間に♪」
「やめてくれ、気が散る」
レオスが渋い顔で言うが、ゼラは軽くウィンクを返す。
「……俺たち、完全に獲物扱いってわけだな」
レオスが低く呟くと、広場の向こうで誰かが通報し、返り討ちに遭って騒ぎを起こしていた。
チンピラたちは徒党を組み、ナイフを振り回して「角のやつを見た!」と叫びながら走り去る。
「あ、言っとくけど、あれ全部ニセ情報よ。あの辺の路地、ああやって騙し合うことで賞金にありつく可能性を上げてる輩が多いのよ」
ゼラがひょいと路地裏のゴミ箱を避けながら言う。
「ビジネス感覚がたくましすぎるだろ……こちとら助かるがな」
レオスのぼやきに、フィンが「うぅ……こわい街……」と小さくつぶやいた。
「うろたえないで。もう少しよ」
ゼラが冷ややかに笑みを浮かべ、地下へと通じる鉄階段を降りていく。
階段の手すりは錆び、足元は濡れて滑りやすい。
「きゃっ」
足を滑らせかけたフィンを、ロアスが咄嗟に抱き止める。
「……ありがとう」
頬を染めたフィンが、小声で礼を言うと、後ろからゼラが囁いた。
「そういうの、ちゃんと後で返さなきゃダメよ? 体で……とは言わないけど♪」
「やめろ。″神子様″に変なこと吹き込むな」
ロアスの声は少しだけ低くなっていた。
フィンは、そんなゼラの軽口が耳に入らないほど、不安そうに進んでいた。
「ま、そんな心配しなくてもいいわ。この街には、エレゴレラ以上に厄介な相手はそういないわ。さ、もう少しよ」
やがて一行は、人気のない廃倉庫の裏手――そこに隠された古びた鉄扉の前へと辿り着いた。
「ここから先は、私も深入りしたくないのだけど……まあ、付き合ってあげる。特別よ?」
ゼラが言って、ロアスに軽く目配せする。
ロアスが無言で頷き、扉の前に立ち、そっと手を伸ばす。
――ギィ……ギィ……
重く軋む音とともに、鉄扉がゆっくりと開いていく。
その先に広がるのは、かつて倉庫として使われていた地下区画の、さらに深部。
天井の低い通路が続き、空気は淀みきっている。
腐臭と瘴気が入り混じり、喉と鼻を突き刺すような毒の気配が立ち込めていた。
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