狂い花火
ぱっと光ってすぐに散る。
綺麗な花火が私を置いて散っていく。
「今日は特別な日だ。この花火を、来年も、再来年も打ち上げてやる」
あの花火のように空に咲いて、すぐに消える約束。
私の心を揺さぶる素敵な約束。
貴方は、いつだってそうだ。
前日に話し合って決めた待ち合わせも、遅れてくる。
貴方は忘れてしまった。
毎年、贈り物をおくりあうっていう約束。
それも、今は私だけの約束。
吹き抜ける風が私の肌を優しくなでて、消えていく。
無邪気な顔で、当たり前のように“嘘”を言う。
みんな「あんな奴やめておけ」って口をそろえて言ってたっけ
そのたびに私が拗ねて、慰めてくれたな……
「そんなこと言って。あんたは、今回も忘れてしまうんでしょ?」
少し意地悪に言う。
私は貴方にどれだけ裏切られても、馬鹿みたいに寄り添ってしまうのに。
……これだけ貴方に溺れているのに。
そんな、すこしだけ
――ほんの少しだけ、愛憎を込めて。
花火の咲く音に交ざって、風鈴の音が静かに響いていた。
「おーい、お花」
貴方は、また遅れてきた。悪びれる様子もなく
ただ、少しだけ小走りで。
ほんと、今日が何の日か忘れてないでしょうね?まぁ、忘れてるんでしょうけど。
「遅いじゃないか」
「とうに一刻は経ってるよ」
「いやぁ、ははは、……鼻緒が切れそうでな」
私は無言で綺麗に包装された鼻緒を差し出した。
「えっ、くれんの?お花」
「……あんた、今日が何の日か忘れてるでしょ?」
冷たく刺すように言うと、
「いやぁ用意しようとは思ったんだけどな。ちょっと準備がな……」
分かっていたことだ。歯切れの悪いいつもの返事。
結局、あの約束も私だけが覚えてる約束の一つになった。
雲の隙間から覗く太陽が、私の肌を刺すようにあたりを照らしている。
「じゃあ、用事も済んだし。私は帰るよ」
私は、貴方に背を向けてその場を後にしようとする。
このままここにいたら、醜い部分が見られてしまう。
貴方に求めてしまう気がして
あの太陽に全部、暴かれてしまう気がするから。
がさがさ。
鼻緒を取り換えようとしているのだろう、後ろで動いている気配と音がする。
普通、貰い物をその場で使うかね。
見えないところで取り替えて、次に会ったときにさりげなく見せたりとかさ……
あぁ、そんなに強く結んだら次取り替えるときに困るでしょうに。
「手。どけて、私がやるから」
本当に放っておけない、世話の焼ける人。
貴方の温かい手が私の頭を優しくなでる。
「助かるよ、お花」
貴方の顔は見えないけれど、きっと、笑ってるんでしょうね。
私の大好きな
あの太陽にも負けない。あったかい笑顔で
貴方の手から伝わる体温が、
私の胸を満たしていく。
……このまま時間が止まってしまえばいいのに
雑踏の音がだんだん遠くなっていく。
深い水の底に沈むように。でも、心地よかった。
「全く、子供じゃないんだから」
「それと、人の頭、簡単に触るんじゃないよ」
貴方が恥をかかないように。
貴方の行動が私の望むものじゃないと、私に言い聞かせるように。
そのあとは、世間話をして別れた。
……やっぱり気づいてくれないか
去年の着物引っ張り出してきたのに。
ほんと……馬鹿みたい。
一日の終わりを告げる茜色の夕日が
なんだか、色褪せているような気がした。
新しい今日を知らせるように日が差し込む。
ちりん。
縁側から風鈴の音が聞こえる。
貴方が約束してくれた毎年花火を上げるっていう約束。結局、“嘘”になっちゃった。
私は、持って帰って、捨てられなかった鼻緒を転がして、
思い出に浸るように過ごしていた。
「お花―」
……はぁ、少しぐらい浸らせてよね。
玄関の戸を開けると貴方が立っていて、
「甘味処行こうぜ」
「そういうのは、もっと早くに言いなさいよ」
全く、貴方は何を考えているんだか。
まぁ……貴方よりも大事な予定なんてないんだけどね。
貴方と一緒に街を歩く、それだけで幸せ。
けれど、私は貴方の隣には立てない。
貴方はまっすぐ前を向いて、眩しいぐらいに精一杯、今を生きてる。
私は、後ろばかり振り返って。……進めてるのかな
突然足を止めて、まっすぐに私を見て貴方は言う。
「そいういや、お花」
「去年と変わらず。いや、去年よりも着物。似合ってたぜ。」
あまりに突然のことに頭の中が真っ白になって。足が止まる。
ほんと、そういうところよ……鈍いくせに。どこか分かってくれてる。
もしかしたら。って期待させてくる。……憎らしい人。
足元が突然無くなったみたいにふわふわする。
でも、悪い気はしなかった。満たされたようだった。
あなたと食べた団子。昔は甘くて、とってもおいしかった。
でも、
今は味がしないや。
……団子よりもほかのことで胸がいっぱいで。
「お花……いや、何でもない」
そういう言う貴方は、何かを言いたそうに、でも踏みとどまって。
「……もう少し待っててくれ」
って、静かにぽつりと零した。
握る拳に力が入っているのか、細かく震えている。
何のことかはわからなかったけれど、貴方は聞かないでほしそうだったから
そっとしておいた。
私たちを照らす陽の光が、ぽかぽかと優しく包み込んでくれていた。
今だけ
今だけはこの気持ちを抱きしめていたい
それからの日々はきっと私の忘れられない思い出だった。
子供の頃、貴方と遊んで泥だらけになってた河川敷。何も変わってなかった。
澄んだ綺麗な川はまだ流れてて、あの頃に戻ったみたいだった。
いつもなら遅れてくるのに。
あれから一度も貴方は遅れてこなかった。
「お花」
って、いつも温かい笑顔で迎え入れてくれて。
……やめてよ。
そんな優しくしないでよ。
勘違いしちゃうじゃないか。
期待しちゃうじゃない……もしかしたらあなたも同じ気持ちかもしれないって。
「よっ。お花」
少し、暑くなってきた夜。
あの、止まったままの約束の日がまたやってきた。
私は、またあの着物を着て貴方に会いに行く。
「……まだ、その着物持ってたんだな。……綺麗だ」って。
頭が真っ白になって、あっという間に時間だけが過ぎていく。
貴方との逢瀬が終わっていく
結局、全部私の勘違いだったんだな……
私と貴方の約束の場所。
私のあのころと変わらない縁側についてしまったとき
冷たく、身を切るように吹き抜ける風が
今日の終わりを告げるように、風鈴の音を運んできた。
これで、終わりだと思った。
――遠くで体の芯を震わせるような。鈍くて、力強い音が轟く。
その震えが私の心に染みこんでいく。
胸の奥で少し何かが焦げたような気がした。
視線の先。澄んだ夜空では
私を置いて散ってしまった、夜の華が凛と咲いていて。
「わりぃ、毎年はやっぱ無理だった。これからは、約束通り毎年上げるからよ」
「って、これじゃあ。今までと変わんねぇか」
貴方は、眉を下げて、少しだけ申し訳なさそうに笑ってた。
「指切りしようぜ」
そういって貴方は手を差し出す。
覚えていてくれたんだね。
いつもみたいに、忘れて、私だけが残響にすがって。
……諦めると思ってた。それでいいと思ってた。
「私、ずっと……待ってたんだよ」
「貴方との約束は。あの……花火は“嘘”じゃないって、思ってたのに」
「待ち合わせにだって遅れてきて。贈り物も、貴方は忘れて……」
嫌だ。違う。こんなことを言いたいんじゃない。
「私だけ。約束に縋って。私だけ。止まったままで」
「……また、これも“嘘”になってしまうんでしょ?」
胸の中はあったかいのに。心はこんなに震えてるのにーー
口からは恨み言しか出てこなくて。
貴方の花火が散って。光の粒になって……消えていく。
……
「お花。本当は、俺がお前の手を取るべきだと思う」
「でも……俺にそんな資格ねぇから。お前がこの手を取ってくれ。……頼む」
いつも、笑顔ばかりの貴方の顔には一切の笑いはなくて。
真剣で、まっすぐで。
ほんの少しだけ指先が震えてるような気がした。
もうすっかり夜だというのに、とっても暖かい風が吹いていた気がする。
止まったままの時間がまた、動き出すみたいに
「……あんたの花火、見えないよ」
目元に雫がたまって
前が良く見えない。こんなところ、貴方にだけはーー見られたくないのに。
やっと、貴方が届けてくれた花火は凄く、綺麗なのに。
貴方の顔が愛おしくて。素敵で、もっと綺麗だった。
私は貴方に手を伸ばして。
……私の指が貴方の指と絡まる、指から伝わる体温が、一際、熱くって。
じんわりと温かいような、煮えたぎるように熱いような。
言葉にできない……複雑で。波のように荒れ狂っていて。
指先が、体が震えて。
「こちらこそ」。「貴方のこと愛してる」。
その言葉は喉で引っかかって、声にならない。
いつかーー貴方に直接、届けられたら。
私たちを祝福するように花火は絶え間なく華を咲かせていた。