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春の風が冷たく感じるのは、きっと心が温まる瞬間を知らなかったからだろう。
私が〈王立学苑〉に入学した年、木々は芽吹きながらもどこか硬く、まだ誰も知らない季節の匂いを孕んでいた。
私はジル・ガーデニ。
辺境の小さな領地の娘であり、貴族社会の中では「いないも同然」の存在だった。もっとも、それが都合がよかった。誰にも知られず、誰からも期待されず、ただ勉学に打ち込めればそれでよかった。
——少なくとも、最初はそう思っていた。
「ガーデニ、また図書塔にこもるつもり? お昼ご飯くらい、食堂に来たら?」
声をかけてきたのは、同室のクリス・ビッジだった。
平民出身の彼女は、貴族の子女に囲まれた学園の中で目立たぬように暮らしていたが、不思議と私とは気が合った。鈍色の髪を三つ編みにした彼女の姿は地味だったが、その目だけは澄んでいて、何かを見抜いているような輝きがあった。
「本を返すだけ。それに、騎士科の連中がまた騒いでるでしょう? 食堂、混んでるわ」
「……そっか。そういうとこ、ほんと変わらないよね、ジルって」
彼女は肩をすくめ、明るく笑って食堂へ向かっていった。
私はその背を見送りながら、ふと、胸騒ぎを覚えた。
彼女の髪が、一瞬だけ煌めいたように見えたのだ。まるで、魔法がかかったかのように——
それが、すべての始まりだった。