1-6
『アンスちゃん、食べ過ぎですの? 体の右側を下にして、横になったらいいのですわ』
私が、アンスに言う。
彼女は嬉しそうにお腹をさすり続け、夢見心地のまま説明を続ける。
「魔法と言うのは、想像さ。思い込みの強さが、現実に干渉する。人には人それぞれの視点、世界があり、それが個人の特性となって、特有の魔法を生んだ。だから、僕に君の世界を分けてもらった」
『あら! もう一人の私ですって! カッコイイですわ~』
私は能天気な顔と、真剣な顔を繰り返す。
お嬢様なら、こうしていたはずだ。
「エリナ、君は最高だ。君の魔法は、想像を現実にする。僕も感じるよ、これがもう一人の自分なんだね……」
「何を言ってますの? アンスちゃんはアンスちゃんだけですわ」
突如、アンスの背後に現れたお嬢様。
「龍の咆哮、ですわ!」
元気な技名と共に、奇声が発せられる。
その甲高い声は、密閉された空間内に響き渡り、完全に油断していたアンスは、耳元で発せられたマンドレイクの叫び声に対応が遅れた。
小さな少女は、両腕を自分のお腹に当て、我が子を守るように気を失うのだった。
しばらくして、アンスが目を覚ます。
「僕の……世界が……」
少し冷静になったのか、それとも先程の意味不明な言動を恥ずかしく思ったのか、膝を抱えるように座り込んでいた。
「もう、アンスちゃんはまだ、色々と、早いですわ!」
そんな彼女を宥めるように、お嬢様が頭を撫でていた。
「もう少し大きくなったら、私が教えてあげ、あげ、あげてもよろしくてよ?」
お嬢様は恥ずかしそうに聞く。
色恋というものに疎いのは、彼女も同じはずだが、それでも年長者としての威厳を見せたかったのだろう。
「ダメだ。僕は今、想像ができない。きっとそれは、世界が上書きされたからなんだろう。今の僕は、エリナの世界の住人でしかなく、つまり、これが主体性というものを奪われた状態なんだね……」
アンスはブツブツと自分を納得させるように独り言を言う。
死ぬまではいかないとは知っていたが、お嬢様の叫び声を聞いて思考回路を維持できているだけで大したものだ。
私が矢面に立ち戦闘し、その隙にお嬢様がアンスの背後に迫る。そして完全に彼女が油断した瞬間、叫び声を放つ。
それが私の考え付いた勝機だった。
「それにしても、すごいよエリナ。僕に幻覚でも見せていたのかい?」
「何を言ってますの? 彼はセバス、ですわよ」
お嬢様は私の方を向いて、首を傾げた。
アンスも顔を上げ、私の顔を見るなり目を丸く見開いた。
「え、え? うん、僕にも見えるよ……エリナがふたりだ。ちょっと待って、君の世界だと本当にふたりいるってこと? それだと、さっき飲んだ血は、君のではなく……」
「セバスの血って美味しいですの?」
お嬢様から危険な思考を感じた。
私は思わず身を引いてしまう。
「そうか、彼の世界に入ってしまったのが敗因か。だから僕は、背後の気配に気づけなかったんだね。血を飲んだことで認識したんだ……君”たち”の世界は滅茶苦茶だ。僕では少し、役不足のようだね」
アンスは納得したように立ち上がり、横たわっていた龍の骨に手を当てた。
すると、骨は直立し、頭を空に向けた。
背骨は幹の様に、太くしっかりと地面に突き刺さる。
天へと向く骨の頭が口を開け、中から小さい龍の形をした骨が複数現れる。
そしてその小さな龍の口から、さらに小さな複数の……
「綺麗ですわ……」
お嬢様はその幻想的な光景をただ眺めていた。
龍は脱皮をするかの如く分裂を繰り返した。
天に近づくにつれ、小さくなっていった龍は枝となる。
全体を見ると、最終的に立派な大木の様相を呈していた。
「これが本当の龍血樹だよ。不老不死の龍が、死して残した希望の木さ」
骨で出来た幹をさすりながら、アンスが悲しそうな顔で言った。
綺麗な龍の木は、天井から差す一本の光に照らされている。
知っているドラゴンブラッドツリーではない。
いや、こんな龍血樹は誰も見たことがないだろう。
「僕は本当に幸運だよ。巨人、龍、そして弟子たち……なんで皆、僕を助けてくれるのだろう」
アンスは遠い目で、過去と現在を見ていた。
「アンスちゃんが、優しいからですわ!」
お嬢様は親指を立てて、彼女に屈託のない笑顔を見せた。
それからお嬢様は、龍の血を採取した。
幹に少し傷を入れると、大量の血が溢れ出してきた。
『ドラゴンになりますわ!』と飲み干す勢いで飛びついたお嬢様だったが、『苦いですわ……』と顔をしかめてしまった。良薬は口に苦し、当たり前のことだ。
龍に関して少し消化不良だったのか、お嬢様は複雑な表情になっていた。
そんな彼女を哀れんでくれたのか、アンスが野営の時に使った龍の像を渡してくれた。『君の未来を、僕の友も祝福しているよ』と言われ、断れなかった。
何はともあれ、目的は達成された。
アンスが明日朝にここから元の森へと送ってくれるみたいで、それまでは街でゆっくりしようとのことだった。
お嬢様はアンスに過去のことを聞かなかった。聞く必要もなかった。
必要なのは、未来、そして現在だけだ。
そんな優しいお嬢様が今、何をしているかというと……
「ですわ、ですわ……」
いつもとは少し違う陽気な歌と共に、踊っている。
龍にお別れを言い、街へ飛び帰ると、広場で謎の舞踏会が始まっていた。
もちろん、楽しいことが大好きなお嬢様は一緒に踊る。理由も知らず、骸骨と踊る。
そう、不思議なことに、この街の住民は全員骸骨だったのだ。
昼間の静けさは何処へ行ったのか。
王冠を被った骸骨、十字架を首にかけた骸骨、立派な服に身を包んだ骸骨、そして、ぼろきれしか纏っていない骸骨。
年齢身分、そんなものは関係ない。皆が平等に踊り狂う。
灯る炎に影が映る。
楽器を持った骸骨たちが、楽団を結成した。
音楽は街全体に鳴り響き、楽しい音色は動物さえも躍らせた。
大きな獣、小さな獣、そのさらに小さな獣まで。
猫のような骸骨が、鼠のような骸骨を背にのせる。
空には龍が現れ、弧を描くように飛んでいる。
生きとし生きたものは全て、肩を組み、足を蹴りあげる。
いつもはお嬢様の傍から離れない私でも、この瞬間に限っては、その光景を俯瞰してみていた。
すると、可愛らしい声が”私”の近くから聞こえた。
「今の僕には君が見えるよ。なにせ、世界を分けてもらったからね」
私の隣で、アンスが立っている。
いい機会だ、少し気になっていたことを確認しよう。
「ん? ああ、そのことね。僕は飲んだ血の力を少し使えるんだ。龍の血だったら羽が生える、とかね。森で飲んでた血? あれは、そうだね、僕の元弟子のものさ。彼女も最高だよ。自分のことを人ではなく精霊だと認識している、自称エルフの面白い娘だよ。君のお嬢様とは仲良くなれそうだね」
高貴なお嬢様と、そんな狂人が合うとは思えない。
しかし教育上、友人という存在が必要なのは確かだ。
「彼女は今、北の王国に居る。三千年に一度咲く、優曇華を目指しているらしい。あと、エリナに伝えておいてくれないか? 君は卒業だよ、とね。僕が教える必要など、最初からなかったみたいだ」
それには同意しかねる。
アンスの知識、お嬢様はその片鱗を見たにすぎない。
「エリナが近くに居て、僕が欲求を抑えられると思うかい? そういうこと。僕は今まで通り、生命に関する幻想植物でも探すさ」
勝手に弟子にしておいて、なんてわがままな人だ。
だが、さっき飲まれていたのがお嬢様の血だったら、と思うと少し恐怖を感じる。
洞窟内で言っていたことの意味は不明なままだが、彼女なら本当に生命さえ作り出してしまいそうだ。それほどまでに、アンスの欲は深い。
「いいじゃないか。ちゃんと組合には伝えておくさ。君たちはもう、立派なハンターだよ」
アンスの視線の先には、骸骨と踊るエリナがいる。
そういえば、里帰りのためにここに来たとアンスは言っていた。
今日は何か特別な日なのかもしれない。
私はふと、一つの寓話を思い出した。
”死の舞踏”という話だ。
遥か昔、疫病が蔓延し、人口の三分の一が消えた。人々は死に恐怖し、狂乱の中踊り狂ったらしい。
まさか本当だったとは、非常に興味深い。
死から逃げ続けた人々は、この地に集まり踊っている。
表情筋のない骸骨にも、笑顔が見える。
『ですわ、ですわ』と声が響く、死者による舞踏会は、今回限りの特別仕様。
お嬢様を中心に回る、生と死が混在するこの世界に、一切の不純物は無い。
金髪縦ロールは、どこにでも、どこまでも、輝きを届けるはずだ。
さあ、次はどんな世界が待っているのだろうか──
第一章、これにて完結です。
しばらくの間、休載させていただきます。
読んでいただいた方には感謝の言葉しかございません。
追記
タイトルの一部を変更しました。