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お嬢様は体を器用に捻らせ、空中で仰向けになる。
空の上にも森があった。先ほどまで足をつけていた森だ。
樹木のてっぺんはこちらを向いていて、地に落ちたのではなく、空に落ちたのだと理解させられた。
つまり、森と森に挟まれた空、そこにお嬢様はいるのだ。
「このままだと死んじゃうよね。今回は僕が手伝うよ。そもそも、ドラゴンブラッドツリー程度なら上の森で見つけられたからね。でも、それだと満足しないでしょ?」
アンスがお嬢様の背中に抱き着いた。
薄い袋越しに身体が密着する。
「もちのろんですわ!」
お嬢様は元気に返事をして、アンスに身を委ねた。
最悪の場合、出来るだけ柔らかい場所、木々の枝が緩衝材になる落下地点を選び、接地の瞬間に全身に衝撃を分散させれば、生き残ることはできる。
しかしその場合、高確率でお嬢様の一張羅の服が破けてしまう。
魔法か何かで安全に降り立つことができるのなら、それに越したことはない。
ぐびぐびという何かを飲み干す音が聞こえると、お嬢様とアンスの位置が変わり、急速に近づく森が見えた。
そして、今度は体が上に引っ張られた。
バサバサと羽ばたく音と共に、風が吹く。
お嬢様は小刻みに上下し、空中に停まっていた。
「ドラゴン、ですわ……」
お嬢様が振り向くと、漆黒の翼を持つ少女がいた。
翼は小さいが、可愛らしく懸命に動いている。
先程アンスがが飲んでいた液体は、血だ。
だが、いつも彼女が摂取しているものでなはい。匂いが違っていた。
アンスは目的地が決まっているかのように飛び続ける。
『まあ、訳ありでね』と翼については語らず、この地についての説明を始めた。
「そういえば、僕の目的を言っていなかったね。僕は定期的に、ここ竜泉に来ているんだ。竜泉というのは、人々が勝手に付けた名前だよ。ドラゴンブラッドツリーの群生地、竜の血が湧く泉という意味らしいね」
お嬢様の視界が、急に発生した霧に包まれた。
それでも、アンスは迷うことなく先へ進み続ける。
「話がそれたね。僕の目的は古い友人に会うことだよ。まあ、里帰り、かな」
再び視界が開けると、そこには一つの街があった。
上空からは見えなかったはずだが、森を切り開くように確かにあった。
レンガ造りの家々が建ち並ぶ、古い様式の街並みだ。その中心には、水のない噴水広場がある。
アンスは広場に向かい、お嬢様を噴水の前に降ろした。
薄気味悪い街だ。
およそ”生”という単語など、この場には存在しないのだろう。
「昼間は皆、寝ているんだ。だから、つまらないと思うよ」
「あら、昼夜逆転ですこと」
明るい日の差す街の中、お嬢様はアンスの後に続いて歩く。
街の中心から放射線状に伸びる道は、左右を建物に挟まれながら、ずっと先へと続いている。
大きな家、小さな家、豪華な作りの家、質素な作りの家、教会のような場所にお城のような建物、そのすぐ近くにボロボロの家……
不自然なほどの密度がこの街を作り物だと思わせた。
まるで童話の中にでてくる街並みだ。物語の必要条件を満たすための、舞台といってもいい。
アンスが一つの家の前で立ち止まった。
蔦と葉に覆われた、家というより、小屋だった。
「汚いけど、勘弁してね」
少し恥ずかしそうに微笑む少女。
そんな彼女にお嬢様は『慣れていますわ!』と胸を張る。
小屋の中は、藁があった。
いや、藁しかなかったというのが正しいだろう。
木造の小屋の中には、敷き詰められた藁と、その上に置かれている藁の籠があるだけだ。
「ただいま」
アンスは、籠に向かって声をかける。
もちろん返事はない。
なぜならば、そこには小動物の形をした骨が入っているだけだからだ。
「香ばしいですわ~」
お嬢様は藁の山に飛び込み、思いっきり深呼吸をする。
「匂いは良いよね。本当に落ち着くよ。でも、見た目以上にチクチクするんだ。今はそれすらも懐かしいけどね」
アンスは彼女の隣に座り、天井を見上げる。
そのまま、今後の予定についての説明を始めた。
「ここ竜泉と呼ばれる地域はね、位置が定期的に変わるんだ。竜泉の入口って呼ばれる森があったでしょ? 同じ名前の森は複数あってね。どれが”今の”入口かは分からないんだ。だから、組合に行って、最新の情報を貰っているというわけ。優秀な組合員のおかげで、本当に手間が省けるよ。前までは運に頼っていたから、それはもう、大変だったんだ……ってそれどころではないようだね」
アンスは説明を切り上げ、お嬢様を見る。
「龍が、私を、呼んでますの……」
お嬢様は直立して、遠い目をしていた。
直感が彼女を支配する。
「行こうか、龍の住処へ」
アンスはポケットから小瓶を取り出し、一気に飲み干す。
そして漆黒の翼を背に、お嬢様に手を差し伸べた。
空の旅は再開され、しばらく風を切った後、森の中へと降り立った。
空から見れば、どこも同じ木々の集団だったが、いざ地面に降り立つと、隠されていた洞窟が見えた。
地面の下に続く洞窟だ。森の風景に溶け込んでいるそれは、大きく口を開けていた。
「ドラゴン、ですわ……」
お嬢様は確信して、アンスを置いて先へと進む。
水滴が落ちる音が反響する洞窟内で、暗闇は彼女を止められない。
最後には駆け足となり、大きな空間へと飛び出した。
「ちょっと待って、明るくするから」
しっかりとついて来ていたアンスが、なにか作業をした。
すぐに、空間内を優しい光が包んだ。
岩肌に刺された松明、数十本はあろうかというそれらすべてに、炎が灯っている。
「龍、ですわ……」
お嬢様は、背負っていた袋を降ろす。
ほとんど何も入ってないそれには、剣に巻き付く龍のキーホルダーが付けられている。
お嬢様はドラゴンが大好きだ。
そして、鳥のように大きな翼を持った竜より、蛇のように細長い龍が好きだった。
空間の中心に眠っているのは、細長い骨格。
長く立派な角に小さな手足が、その骨の集合体を龍たらしめていた。
「久しぶりだね。起こしちゃってごめん」
アンスが骨に話しかける。
彼女はゆっくり近づきながら、時折頷きながら、一人言葉を紡いでいく。
内容は世間話で、どこまでも普通だった。
お嬢様は邪魔をしない。
龍と対話する少女に、ただ憧れの瞳を送っていた。
「……れで、少し助けて欲しいんだ。うん、そうだよ。いやいや、殺さないでよ。彼女は僕の弟子なんだ」
操られるように動き始める龍。
よしよしと龍の頭を撫でたアンスが、お嬢様に向かって言う。
「エリナ、血を貰うよ。穏便に済ましたかったのだけど、君の執事は許さないだろうからね。少し強引にいかせてもらうよ」
お嬢様は急展開に動じない。
この流れに対しても、彼女は楽しんで笑顔を見せる。
「ドラゴン・スレイヤー、ですわ!」
剣を抜く動作をして、その剣先を龍へと向けるお嬢様。
その姿は正しく英雄で、物語の挿絵に描かれていそうだった。