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「満足ですわ~」
食事も終わり、お腹を叩きながらお嬢様は横になる。
「作った僕も嬉しくなる食べっぷりだったね」
アンスは調理道具を片付けながら器用に小瓶持ち、血を飲んでいた。
「屋敷で出される料理はダメダメでしたの。久しぶりに”美味しい”を感じましたわ」
お嬢様は横になり、消化に勤しんいる。
その光景に執事の私は、教育上どうなのか、とつい思ってしまう。
お嬢様は手伝おうとした。
しかし、アンスは『若人は食べることが仕事さ』と言うだけだった。
今の教育係はアンスだ。彼女の方針に従うのが、最善だろう。
「食べてすぐに寝ると、消化に悪いからね。少し、お話をしよう」
片付けが終わったアンスが、お嬢様の向かい側に座る。少し真面目な声音だ。
「この世界については、どれだけ知っているかい?」
「どの世界のことでして?」
「ああ、そうだね。この場合は幻想界のことだよ。人間界は、うん、どうでもいいみたいだね。それには同意するよ」
アンスはお嬢様の瞳を見て、言葉を続けていく。
彼女には、全てがみえているようだった。
「幻想界は面白くてね。地域によって環境が全くといっていいほど違うんだよ。法則すら違うんだ。エリナは空に浮く島を見たことがあるかい?」
「まだ、ですわ」
「そうだよね……」
それからアンスは、幻想界の不思議について語り始めた。
ある所に、一本の豆の木がありました。
それは天高くまで伸びていて、雲を突き抜けていました。
みすぼらしい姿をした一人の少女が、幹を抱き、蔦を掴み、葉を避けながら、空を目指しました。
時には雨が降り、時には風が吹き、やっとのことで天上の国に辿り着きました。
そこには、彼女の倍の大きさはある、巨人たちが住んでいました……
語りは優しく、絵本を読み聞かせる母親を想像させる。
お嬢様は真剣な表情で、静かに聞いていた。
それでも、大きな瞳の輝きが、彼女の興奮を表していた。
「……別れ際、少女は心優しい巨人たちに、一着の洋服を貰いました。それには、大きさを自在に調整できる働きがありました。少女はそれを使い、まだ見ぬ世界へ飛び出したのでした……終わり」
アンスが話し終え、腕を上げ、身体を伸ばした。
少しの間、沈黙が流れた。
それは、周りに居るはずの獣たちでさえ無言を貫かざるを得ない圧が、一人から発せられていたからだ。
「感動、ですわ……」
パチパチと音が鳴る。
お嬢様の頬を、水滴が伝っていた。
「あれ、信じるんだ。まあ、信じるよね。これを信じられないと、僕の弟子にはなれないからね」
アンスは少し嬉しそうに微笑む。
「あたりまえですわ! アンスちゃんに、そんな辛い過去があったなんて、なんて……もう大丈夫ですわ!」
「え、そうなる?」
いつの間にか、お嬢様はアンスに抱き着き、彼女の頭を撫でていた。
「これからは、私がアンスちゃんを育てますわ! 私がお母様ですわ!」
お嬢様は泣きながら宣言する。
彼女の年で子持ちになるのは、すこし早い気がするが、それも成長だ。
「そうだねエリナ、君は最高だ」
アンスは抵抗することなく、お嬢様の背中に腕を回す。
母と子が、愛情を確かめ合う神聖な光景だ。
そのあまりにも尊い姿に、森の獣も両手を組み、祈りを捧げているだろう。
興奮も収まり、落ち着いたふたりは会話を再開させる。
「まあ、幻想界については必要以上に語らないさ。初めて見た時の感動を、エリナにも味わってほしいからね。次は僕たちについてかな」
世界の説明はある程度で切り上げられ、続いてハンターについての話題に移る。
「知ってると思うけど、組合に所属しているハンターは平等さ。集められた情報はすべて受け取る権利がある。それにね、基本的には、組合員同士の戦闘は禁止されているんだ」
アンスが『基本的には』と言った理由には心当たりがある。
資料で見た寄生型の植物の存在だ。
自意識を失った組合員に対しては、戦闘も致し方ない。
「ただ、もちろん組合に所属しないハンターもいる。中には他のハンターの採取物を横取りしようとする奴らもいるから、気をつけてね」
それについては、お嬢様は理解している。一番くだらない種、それが人間だからだ。
それでも、相手が”人”であれば、元傭兵の私が対処すればいいだけで、結局のところ問題はない。
「少し気になっていたのですけど、アンスちゃんが呼ばれていた、あんちえいじんぐ、というのは何ですの?」
「あー、それね。人々が勝手につけるんだ。古代言語だとかなんだとか、特定の分野において最高に狂っているやつらのことを言うらしいね」
アンスはその二つ名が気に入らないようで、少し頬を膨らませた。
「他にもいますの?」
「いるよ。エリナはいつか会うと思うよ」
今後戦うことになるかもしれない強者たちだ、関心は自ずと生まれてしまう。
「一番強いのは、誰ですの?」
お嬢様は、そんな私の気持ちを汲んでくれたのか、アンスに聞いてくれた。
ただし、質問が直球すぎる……
「いい質問だね。対人戦闘でなら戦闘狂だけど、彼女は引退したんだっけ、まあいいや。それで、総合的な強さで言えば攻略狂かな。彼は組合員だから安心していいよ」
一番強い相手が組合員側なのは助かった。
間違ってもお嬢様の敵にならないことを祈ろう。
「あとは機械狂、野良のハンターだよ。こいつに関しては気をつけてね。危険というより、生物に対する興味が皆無なんだ。もちろん、人間に対してもね。まあ、ハンターの強さ基準は曖昧さ。笑顔で死地へ向かう奴らだ、全員まともじゃないよ」
聞いたことのない二つ名が、次々と出てくる。
お嬢様は外の世界に飛び立ったばかりだ。社交界では出会わないような”感じ”を持つ者たちに、これから対処できるだろうか。
執事の私がしっかりと支えよう。
「アンスちゃんは強いですの?」
お嬢様は純粋な疑問を投げかけた。
確かにアンスも、二つ名を付けられている。
「残念だけど、僕は弱いよ。特技は生き残る事だからね。さあ寝よう。夜更かしすると、肌が荒れるよ」
アンスはポケットから白色の湿った紙を出し、自分の顔に張り付けていた。
先程からも、話しながら体中に謎の液体を塗ったり、変な姿勢で体を伸ばしたりしていた。
何の効果があるのかは分からないが、彼女なりの習慣というやつだろう。
もちろんお嬢様にも、寝る前の習慣がある。
森の中に、美しい歌声が響き始めた。繰り返されているのは、一つの言葉。
『ですわ~、ですわ~』と、完璧な旋律が紡がれる。
即席の独唱会は、短く濃い時間を生んだ。
お嬢様は丁寧なお辞儀をして、幕引きとなる。
「なにそれ?」
地面に敷かれた布団の上で、アンスが欠伸をしながら聞いた。
「ですわの歌、ですわ。私の精神を落ち着けてくださるの。では、ごきげんよろしゅう」
視界が闇に染まる。
お嬢様がふかふかの布団で寝るのも、久しぶりのことだ。
熟睡の後、怪鳥の鳴き声で目を覚ます。
お嬢様は飛び起き、辺りを見渡した。両手が軽く開かれた、完璧な脱力と共にだ。
「おはよう。朝ごはんは食べるよね」
先に起きたアンスが、食事の準備をしていた。
「もちろんですわ!」
お嬢様は笑顔で頷く。
食って寝て、また食う。
これほどまでに幸せな生活はあるだろうか。
幻想界の中とは思えないほど普通な、朝のひと時が終わった。
ハンターというのも、意外と悪くないかもしれない。
お嬢様の身を常に案じている私は、少し、ほんの少しだけ安心した。
探索の旅は再開され、森を進む。本当に何も無い、順調すぎる旅路だ。
道中、お嬢様が急に止まる。
高い木々に囲まれた、少し開けた場所だ。
「ここですわね」
お嬢様は靴先で地面の土を叩いている。
じっくりと感触を確かめ、違和感を確信した。
「正解」
アンスが満足そうに頷いた瞬間、お嬢様が……落ちた。
気がつけば、空の上。
先ほどまで薄暗い地面に立っていたはずだ。
しかし、今は青々と明るい視界が、脳に情報として伝えられている。
「自由落下ですわ~」
お嬢様は楽しそうに両手を広げた。
彼女の視線の先、そこには”森”があった。
流石は幻想界、始まりから期待を裏切らない。