ある朝目覚めたら家がダンジョンになっていた件〜部屋ごとにトラウマと戦わされるんだが、妹と猫が可愛いのでなんとかなる気がする〜【short short story】
家は、心のかたちをしていた──
目を覚ましたその日から、扉の向こうは終わらない迷宮。
目を覚ますと、天井が高すぎた。
壁は石造り、窓はなく、空気は妙に冷たい。
だが、布団の質感や部屋の匂いだけは間違いなく「自分の部屋」だった。
「なんだこれ……夢?」
ベッドから降り、扉を開けると、そこはもはや家ではなかった──
歪んだ回廊、重く軋む床、そして不気味な静寂。
コトラ(猫)を抱えた妹の美咲が、廊下の先から顔を出した。
「お兄ちゃん、起きた? ダンジョン化、進んでるみたい」
「……進んでる? これ夢じゃないの?」
「多分、ううん、絶対に違う。ここは家が全部、迷宮になってるんだよ」
意味がわからなかった。
でも、扉を開けるたびに現れる風呂場や子ども部屋、物置や押し入れの一つ一つが、妙に懐かしく、重苦しかった。
風呂場では、沈んだ表情の“自分”がいた──
就活に落ち、風呂に沈んだ夜。その時の自分が、濡れた服のままこちらを睨みつけていた。
「逃げたんだよな、あの頃の俺は」
妹が手を伸ばした。
コトラも小さく鳴く。
その瞬間、風呂場の“自分”が霧のように溶けて消えた。
次の部屋は、書斎だった。
机の上には、破かれた日記と「才能がない」と何百回も書かれたメモが並ぶ。
「ここでも諦めたよな」
そう呟くと、また別の“俺”が現れた。
無気力な顔、空っぽの瞳──その姿を見て、ようやく気づいた。
──この家は俺の心そのものだ。
部屋を出るたびに過去と向き合い、感情を整理し認めるたびに扉が開いていく。
何かを倒すでもなく、戦うでもなく“受け入れる”。
やがて、玄関が見えた──
鉄の扉。
そこだけは、異様に閉じたままだった。
張り紙にはこう書かれていた。
────
「この先に進むには、“最後の記憶”が必要です」
────
妹が静かに言った。
「開けられるの、お兄ちゃんだけだよ」
俺はゆっくりと扉に手を伸ばした。
思い浮かんだのは、あの冬の朝。
親の言葉に傷ついて、学校をサボった──
友達に会わせる顔がなくて、家に閉じこもった。
怖くて、玄関を開けられなかった。
──あの日、閉じたままのドア。
「……俺は、あの時の自分を許せなかったんだな」
でも、もういい。
鍵はなかった──
ただ、手をかけて、押しただけだった。
きぃ、と音を立てて扉が開く。
外の世界が、光に包まれて広がっていた。
冷たい風が、顔を撫でる。
後ろを振り返ると、家の中にはまだ数えきれない部屋があった──
だけど、それはもう、俺を縛るものじゃなかった。
妹が小さく笑った。
「おかえり、お兄ちゃん」
俺は小さく息を吐いて、外へ一歩踏み出した。
ダンジョンは、もう家ではなくなっていた──
この家がもしあなたの心だったら、どんな部屋が現れるんだろう。
嬉しかった日も、逃げたかった夜も、きっとどこかの扉の向こうにあって。
また別の物語で、どこかの扉で会えたら──