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第x話 死者は還り影は東を向く

 ──かつて東ヨーロッパと呼ばれていた辺りには、強大な能力を持ちつつ安定してその存在を保つ変異体がいる。

 変異体は、辺りに温かな空気をもたらし、崩壊した世界でも人間が活動することができる数少ない場所を作り出していた。


 やがて、その地には異能者が集まり始めた。

 そして生まれたのが──廃墟都市・ヴァルケイア。


 ファロンとミレディーナが支配するこの領域で、先日起きた大騒乱は、都市に棲みつく異能者たちの注意深い観察の的となっていた。

 ファロンといえば、かつてイージス・コンコードの一員でありながら、自らの理想を貫くために大厄災を引き起こした男だ。周辺地域では名高い悪党として恐れられていた。しかし、彼に従っていなければ、当時の最高執行官・黒華珠桜の手にかかっていた──そういう時代が、確かに存在した。ファロンは、多くの異能者にとって命の恩人でもあったのだ。

 だからこそ、彼の動向は常に細心の注意をもって見守られていた。


 そのため──彼の死という報せは、瞬く間にヴァルケイア中に知れ渡った。



 ◇◆◇



「エーゼっ! ボク、ここにくるのすっごく久しぶり! 三日ぶり……くらいだっけ!」

「リタ……三日って、多分久しぶりとは言わないと思うよ……?」


 三日前に騒動が巻き起こったあの屋敷。埃っぽい廊下に、対照的な二つの影が浮かんでいた。

 一つは背の低い、少女の影。もう一つは、対照的に背の高い男の影。


「えへっ、そーおー?」


 明るい、鈴を転がすような少女の声。

 リタ・クレスト。幼い外見の少女が、廊下を後ろ向きでスキップしながら移動する。病的なほどに白い肌。片目は黒いシルクの眼帯で覆われ、もう片方の瞳はアンバーのように透き通っていた。唇の端には、乾いた血の跡がこびりつき、それが不気味なアクセントとなっている。


「そーかなーそーかなー……うわっ!」


 彼女は僅かな段差に躓き、バランスを崩した。

 それに咄嗟に反応し、男が大切そうに抱きしめる。まるで、世界で最も壊れやすいものを受け止めるように。


「……気をつけてよ、リタ。俺……リタが怪我するの……やだ」

「王様!」

「かっこいいおーさま!」


 エゼキエルの足元の影から、子供のような声が湧き上がる。亡霊たちの囁き。


「黙って。消すよ」

「「ひょいぃ!」」


 だが、エゼキエルが一喝すると、影は一瞬で静まり返った。


 リタと共にいるのは、エゼキエル・ファルナスティア。ネイビーの髪にどこか落ち着かない赤の瞳。血の気の薄い、死人のような肌をしている。


 二人もまた、ファロンの庇護下にいた異能者だった。だが──


「ファロン、殺されちゃったねぇ」


 リタが、まるで夕食のメニューを話すような軽い口調で言った。


「ボク、一回くらい操ってみたかった!」

「そうだね……"お友達"にすると、操れなくなっちゃうから……」

「エゼ、どうにかしてー!」

「無理だよぉ……」


 エゼキエルが困ったように眉をひそめる。


「お友達増やしたーいー!」

「うぅん……とりあえず、ちょっと待っててね……」


 その言葉の後に、エゼキエルの瞳が、より赤く、より明るく輝き始めた。



「《Geleit(ゲライト)》」



 静かな、異能の行使。闘の底から湧き上がるような冷気と共に、一つの人の姿が影の中からゆっくりと立ち上がる。

 それは──死んだはずの、ファロンだった。


「わぁー! ファロンだー!」

「……」

「元気ー? 元気だよねー! だって、エゼが蘇らせてくれたんだもんねー!」


 リタがファロンの周りをくるくると回った。だがファロンは、何も答えない──ただ、それは反応できないわけではなく、純粋に、リタの相手をしたくないからだ。

 辛抱強くリタの相手をできるのは、この世界でエゼキエル以外にいない。


「リタ、ファロン様困ってるから……」


 エゼキエルはそっとリタの手を引くと、屋敷の高い窓辺へと歩み寄った。しばらく降り続いていた雨は止み、今は穏やかな星空がヴァルケイアの空に広がっている。ミレディーナがその強大な異能で作り出す、この領域だけの、偽りの夜空。


(ミレディーナお姉様も、落ち着いてくれたみたいでよかった……)


 ふと、エゼキエルの脳裏にこの前出会った二人の顔が浮かんだ。



 緑の瞳の少年と、白銀の髪の少女。



 思わず、彼の口元が緩み、ほのかな笑みが溢れる。それは、リタ以外の者に向けたことのない、珍しく柔らかな表情だった。


(ルイ君とシアさん……また会えるかな)


「エゼー? 何笑ってるのー?」

「……ううん、なんでもない」

「むー、ないしょはダメー!」

「ないしょじゃないよ……ただ、新しいお友達のこと、考えてただけ」

「新しいお友達!? どこどこ!?」


 リタの目が輝く。その輝きには、純粋な好奇心と、底知れない残酷さが同居している。


「……東の方。すごく遠いところ」

「じゃあ、会いに行こうよ!」

「うん……そのうちね。ちゃんと準備してから」


 エゼキエルは静かに頷き、リタの小さな手をそっと握り返した。その背後で、ファロンの亡霊が影のように佇み、無言で虚空を見つめ続けている。



 窓の外、無限に広がる空の下で、世界は何も知らずに眠っている。



 ──不気味に笑う影があることに、まだ誰も気付いていない。

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