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第二十四話 灰燼に燃ゆる愛憎 - 2

 ナターシャの目に、激しい憎悪の炎が灯った。


 次の瞬間、ナターシャが床を蹴った。涙で曇った視界のまま、ルイへ向けてまっすぐに駆け出す。彼女の手には、懐から取り出した短剣が光る。刃が廊下の光を反射し、鋭く煌めいた。

 ルイも反射的に両手の双銃を握り直し、応戦の構えを取る。手のひらで回転させ刃を展開した時、清らかな金属音が廊下に響いた。


「らぁああッ!!」

「待て……!」

「待つわけがないでしょう!!」


 ルイの叫び声は、ナターシャの怒りに掻き消される。

 刃が空気を裂く。ルイは咄嗟に身を引き、ナターシャの攻撃を回避する。刃が壁を削り、石の破片が舞い散った。


「待ってって……! 落ち着け!」


 ナターシャの攻撃は粗削りだった。むしろ、体術は苦手なように思えた。"捨て身の特攻"という表現が正しい。感情が先走り、技術が追いついていない。

 ルイは冷静に呼吸を整え、ナターシャの乱れた攻撃を一つひといなしていく。


「あなたのせいで……すべては、あなたのせいで!!」


 ナターシャの声は泣き声を帯び、刃の動きもさらに乱れる。涙が頬を伝い、床に落ちて小さな染みを作った。その一粒一粒が、失われたものの重みを帯びている。


「ファロンの計画だって、さっき初めて知ったんだ! それに、俺にだって大切な人が……!」

「ああぁぁああああああッ!!!!」


 ナターシャが絶叫しながらナイフを振りかぶる。その顔には、もはや理性の影はなかった。刃が、真っ直ぐにルイの心臓を目指して突き進む。

 ルイは唇を強く噛み、心の中で小さく謝罪した。そして――姿勢を低くし、ナターシャの懐へ滑り込む。刃が頭上を通り過ぎる瞬間、ルイの刃が閃いた。


 一瞬の交錯。

 金属音が、鋭く響く。


「──あっ」


 ナターシャの短剣が、宙を舞った。

 そして、ルイの刃が──足首の腱を、正確に突く。


「ぎっ……!」


 ナターシャが足首を抑えてその場に崩れ落ちた。膝から床に倒れ込み、彼女の体が小さく弾む。

 手元から離れたナイフが、廊下の床を滑った。ルイはすかさずそれを廊下の奥へ蹴り飛ばす。金属が床を滑る音が、虚しく廊下に反響する。その音は、敗北の宣告のようにも聞こえた。


 勝敗は決した。


 罪悪感はもちろんある。ミレディーナとは違い、彼女たちはまだ澄幽を滅ぼさんとするような敵意までは示していない。しかし、無防備に放置することもできない。いつ彼女たちが澄幽に牙をむくか、誰にもわからない。攻撃を受けないという保証はどこにもないのだ。


 シアを、珠桜を、澄幽のすべての人々を守るためには――


 ナターシャは何も言わず、俯いたままだった。その肩には、すべてを諦めた者の無力感がにじんでいる。もう、自分は死ぬのだと──そう悟ったかのように。抵抗する力も、逃げる気力も、もう残っていなかった。



(……異能を消去すれば、これ以上傷つけ合わずに済むかもしれない)


 危険極まりない賭けだ。成功する保証はどこにもない。

 しかし、メディアが語ったファロンの計画の中に、「異能の削除」という言葉があった。もしかすると、自分にはそれができるかもしれない。


 ルイは静かに目を閉じ、異能の根源を探り始める。星溶粒子の流れを感じ取り、その核心へと意識を集中させる。視界の端で、淡い光が揺らめき始めた。

 ナターシャの内に眠る異能の「核」が見える──優しく、しかし深く根付いた輝き。それは彼女の存在そのものと結びついた、切り離すことのできない光だった。過去を取り戻す力。失われたものを蘇らせる力。その温かな光が、今は儚く揺れている。


(……実験台にするようで悪いけど)


 ルイは自身の異能を発動すべく、意識を集中させようとした。呼吸を整え、星溶粒子の流れに身を委ね──


 その時、ふとナターシャが口を開いた。



「……ナサニエル」

「ん……?」


 聞き覚えのある名前だ。断片的な記憶の中で、何度も聞いた名前。


「『ナサニエル・クレルヴォー』。あなたと同じ、異能操作の力を持つ……あなたの父」


 ナターシャの声には、複雑な感情が織り交ざっていた。畏敬の念、恐怖、そして──深い哀れみ。


「……その彼が、なぜ"死んだ"のか知っていますか?」


 ルイの呼吸が止まる。やはり、父は死んでいたのか。

 もう、会うことは叶わないのだという現実が、冷たい刃のように胸を突き刺す。どこかで──どこかで、まだ会えるかもしれないと思っていた自分がいた。記憶を取り戻せば、父に会えるかもしれないと。


「……知らない」


 ルイは小さく答えた。その声は、自分でも驚くほど掠れていた。


 その瞬間から、ルイは不思議と焦っていた。現実から目を背けたかったのかもしれない。ナターシャが時間稼ぎをしているのかもしれないと思った。なぜか、そうやって自分に言い聞かせようとしていた。

 この先を、聞きたくない。そういう予感がして。


 胸の奥で、何かが冷たく凍りついていく感覚があった。心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえる。




「……あなたの父は……殺されたんですよ。あの男に……」



 聞きたくない。


 ルイの鼓動が耳元で轟く。手足の先から冷たさが広がり、息が浅くなる。

 聞きたくない。理由はない。


 でも、聞きたくない、聞きたくない──


 ルイはナターシャの異能の根源へ意識を集中させた。星溶粒子の流れが、視界の端で淡く輝き始める。思考を遮断する。感情を押し殺す。ただ、異能だけに集中する。


 早く、やってしまおう。ものは試しだ。他のメイドたちに邪魔される前に。これ以上、聞く前に──



「《削除(デリート)》」


 言葉を発した瞬間、ナターシャの唇が動いた。


「黒華、珠桜に」



 ――バツン。



 脳髄を貫くような衝撃。それは異能の行使というより、自身の存在の一部を引き裂かれるような感覚だった。視界が一瞬歪み、耳元で何かが砕ける音がする。まるで世界の一部が崩壊していくような、恐ろしい音。


 ナターシャの最後の言葉が、まだ耳に残っている。



 黒華、珠桜──



 ルイの思考が、一瞬で真っ白になった。


 なぜ。

 どうして、珠桜さんの名前が。

 珠桜さんが──父さんを?

 いや、違う。そんなはずがない。そんなはずが──


 ルイの意識は火花のように散り、その場に崩れ落ちる。膝から床に倒れ込み、頬が冷たい石畳に触れた。

 最後に感じたのは、冷たい床の感触と、遠くで自分と同様に崩れ落ちたナターシャの衣擦れの音。


 そして──脳裏に焼き付いた、あの名前。


 黒華、珠桜。

 恩人の名前。

 澄幽を守る、あの人の名前。



 父さんを殺した──?



 思考が、そこで途切れた。

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