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第四話 優しさは、灼けた金に溶けて - 1

※残酷な描写が含まれます。苦手な方はブラウザバック推奨です※

 先ほどまで、確かにルイは星骸と戦っていた。

 戦いの余熱がまだ皮膚に張り付き、指先には星骸の装甲を砕いたときの余韻が残っている。心臓は速く脈打ち、血液が燃えるように体内を駆け巡っている。戦っていたことは夢でも幻でもない。確かに、現実のものだ。


 ――そのはずなのに。


『見、ツ、ケ、タ。』


 その声が耳元で聞こえた後、世界から色が消えて。

 ルイの知覚する世界が、変わった。


 ――一体これはなんだ?


 ただでさえ、色彩を失った灰色の地球。それが、今は完全に黒に塗りつぶされて――いや、どうにも、"黒"と呼ぶのも違う気がする。

 『色がない』。冷たい、温かいといった色相も。鮮やか、濁っているといった彩度も。さらには明るい、暗いといった明度までも、何も感じない。冷たくなくて、でも温かくもなくて。鮮やかでなくて、でも濁ってもいなくて。明るくなくて、でも暗くもない。

 自分の思考が滅裂であることは、ルイも自覚している。でも、本当にそうなのだ。

 目の前に広がる世界に、何も"掴めない"。視覚では確かに捉えているのに、"見ている"という実感がない。まるで、"無"を直視しているような――


 喉が詰まる。息ができない――いや、それも確かではない気がした。この空間で、一度でも呼吸ができていたか? いや、でも呼吸ができていないわけがない。呼吸ができていないのだとしたら、きっともっと苦しいはずで。だが、"息をしている"という実感がない。


(……異能か、魔法か?)


 異能者か魔法士から奇襲を喰らったのかと、ルイはすぐに疑った。盲目や、感覚遮断系の効果か。


(……違う。視界を奪われたわけじゃない)


 可能性を疑いだしてすぐに、ルイはそれを否定した。

 確かに、自分は”何か”を見ているという確信があった。視覚がなければ、きっとそんな実感を得ることはできないはずだ。

 目に飛び込んでくるものは"無"でありながら、確かに何かがあるように感じる。だが、決して見えない。


 脳が混乱する。理解が追いつかない。考えれば考えるほど、よくわからなくなっていく。


 "ある"のに、"ない"。

 "見ている"のに、"見えていない"。


 不気味で、不気味で。思考が歪み、これ以上考えたくない、これ以上は踏み込むなと、現実を受け止めることを頭が拒否しているような感じがした。


(……何かに、閉じ込められた?)


 ふとそう思ったが、ルイはそれも信じられなかった。そんな、”閉じ込められた”なんて次元じゃない。だって、この場所は"閉鎖的"な場所じゃない。どこまでも、どこまでも広がっている感じがする。


 それだけじゃない。

 ルイは足を、前に出そうとした。普通なら、それで足が前に出て、地面の固さが感じられるはず。


 出なかった。


(――ッ!?)


 体すら動かせない? 違う。"動かしたはずなのに、動いていない"のだ。ルイは確かに足を前に出したはずなのに、"足が前に出る"という結果がない。

 地面があるはずなのに、その感触がないことにも、気付いてしまった。"落ちている"感じがしないのに、"地面に立っている"感じもしないのだ。膝にかかる重さもない。ブーツが、どこかの面に接している感触もない。


 何かがおかしい。何もかもが狂っている。

 視界がぼやける。焦点が合わない。


 歪んでいる。


 ここが、”正しい世界”なわけがない。ここが、地球なわけがない。


 ふと、ルイの頭に一つの可能性がよぎった。

 別の世界に、別の空間に迷い込んでしまった可能性。


 ただ、それを信じたくはなかった。異能で、別世界や異空間を作り出すことができる者は確かにいるだろう。だが、ここまで歪んで、恐ろしいものを作り出せてしまうなんて。


 巻き込める人数に、限度はあるのか? この場所から、脱出する方法があるのか?

 もし、澄幽全体、ひいては地球全体を飲み込めるほどの、強大で、圧倒的な異能だったら?


「クソっ、どうなってるんだ……」


 呟いた。だが、声が出た気がしない。

 鼓膜に届くはずの自分の声が、どこにもない。声帯を震わせたはずなのに、"発した"という感覚がない。


 驚いて喉を触ろうとして――

 その手は、”自分のもう片方の手を握っていた”。


「……は?」


 どういうことだと、考えるよりも前に。

 今度は、両手が、自分の首にかかっている。爪が食い込んで――


「……っ!!」


 ――それも、違う。今は、地面に膝をついて、手は力なく下ろされている。


 何なんだ。


「なんなんだよ……これ……!」


 声を出したはずなのに、またその音は聞こえなかった。


 息を吸った。喉を動かした。

 ……何も変わらない。


 もしかして、音という概念すら存在していないのではないか。もしくは、音そのものが何かによって無理矢理捻じ曲げられているのではないか?



 ”自分しかいない”。


 植物も、岩も、星骸も、何もかもが、ここにはない。

 空白。沈黙。虚無。何もない場所になら本来存在するであろうそれらも、ここには無いように思える。


 無さえもない、空間。


(……やばい。やばい。やばい)


 意識の奥で、"何か"が削れていく感覚がする。じわじわと、何かに侵食される。

 

 色も、音も、空間も捻じ曲げられているここの場所で。"自分"は、まだ"自分"か? "自分"という概念は、まだ保たれているのか?



 ……脳が、警鐘を鳴らしていた。


『今すぐ、ここから逃げろ』


 ――だが、"逃げる"とは?


 "ここ"に、出口はあるのか? 

 そもそも、"ここ"に内と外は存在しているのか?


 ふと、空気が揺れた。


(――"何か"がいる……っ!)


 "感覚"が、触れる。空間のどこかから、確かに何かの気配を感じた。

 しかし、それは"どこから"なのか、わからない。


 前か?

 後ろか?

 上か?

 下か?


 ――いや、そもそも、"方向"という概念がここにあるのか?


 わからない。

 わからない。


 誰かに、見られている。


 影がない。"視線"だけが突き刺さる。

 形がない。なのに、"そこにある"と脳が告げる。

 名を持たぬ"何か"。それが、ルイの存在を"知覚"している。


「――誰だッ!! 隠れているなら出てこい!!」


 叫んだ。はずだった。だが――また、"声を出した"という確信がない。


 世界がさらに歪んでいく。


(……本当に、ここはどこなんだよ……!)


 ルイは奥歯を噛み締めた。が――その"感触"は、また、なかった。

 逃げ場がない。避けられない。呼吸が浅くなる。心拍が乱れる。


 何かに"侵食されている"。

 世界ごと、自分ごと、飲み込まれかけている。


 ――その時。


 無から、金の糸が滲み出た。



 無に、裂け目が生まれる。


(……違う。今、裂け目が生まれたわけではない)


 "裂け目は、最初からそこにあった"。


(……いや、いやいや。そんなはずが)


 急速に、体が芯から冷えていくのを感じた。

 裂け目が最初からそこにあったというのなら、今まで感じていた"無"へ対する恐怖はなんだったのだ。偽物なわけがない。先ほどまで、そこには確かに何もなかったはずなのに。


 知覚がねじ曲げられた。"最初からそこにあった"と、脳が錯覚させられた。

 きっとそうだ。でも、それなら……どこかに、自分に錯覚を与えた、"支配者"がいる。その事実が、さらにルイに恐怖を植え付けてきた。


 裂け目から、何かが這い出す。金糸が絡まり、捻じれ、もつれ、形を成していく。無音のまま、ゆっくりと、静かに。

 やがて、織り上げられたのは――


 "女神"の貌だった。



 "美しい"。


 だが、それは人間の認識する美ではない。


 金糸で織り上げられたその顔は、微細に震えながら絶えず"編み直されて"いる。瞬きをするたび、その顔は"別の誰か"になる。見たはずの形が、見たはずのままでいられない。認識する前に、顔が変わる。

 美しいとは思えなかった。奇妙で、不気味で、悍ましいもの。その"女神"は、歪んでいる。


 そして。次にルイが瞬きした、その刹那。



 "距離が消えた”。

 女神は、眼前にいた。

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