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第十九話 血潮に染まる破綻した献身 - 2

「……シケた顔すんなよ。俺は大丈夫だ。すぐ治る」


 響哉の声に優しさが滲んだ。茶化すような雰囲気も、何もない。純粋な温かさが垣間見える。戦場で数えきれない死を見てきた男だからこそ、生きている命の尊さを誰よりも理解していた。


「だからって……痛むだろ? 傷跡だって残るだろうし……」


 ルイの声に、やりきれない苦悩が込められていた。響哉が受けた傷は、本来ルイが負うべきものなはずだ。それを肩代わりしてもらったという事実が、胸に重い石のようにのしかかっている。


「いいや?」


 響哉の即答に、ルイとシアは困惑を覚えた。その断言的な口調には、まったく迷いがない。


「そんな強がらなくても……」

「別に、強がってねえ。痛くねえし、傷跡だってどうせ残らねえよ」


 そう言って、響哉はナイフを取り出した。シンプルな戦闘用ナイフ。ただ、刃の部分に僅かな錆も欠けもない、完璧に手入れされた逸品だった。


「響哉さん!?」


 シアが驚愕の声を上げる。ルイも身を乗り出した。まさか自傷行為に及ぶつもりではないだろうかという危惧が脳裏をよぎるが――その予感は残念なことに的中してしまう。


「よく見とけ」


 響哉は躊躇なく、自分の左腕にナイフの刃を埋めた。鋭利な刃が皮膚を裂き、一筋の血の線が浮かび上がる。鮮血の雫が、ぽたり、ぽたりと絨毯の上に落ちて、複雑な幾何学模様に小さな染みを作った。ルイとシアは息を呑み、身動きできずにその光景を見つめていた。

 そして――数秒後。

 響哉が親指の腹で血を拭うと、傷口は既に綺麗に塞がっていた。まるで最初から何もなかったかのように、滑らかな肌が戻っている。魔法でも、薬でも、高度な医療技術でもない。ただ時間が巻き戻ったかのような、"この世の理を超越した"不可思議な現象だった。


「な!? まさか、もう治ったのか!?」


 ルイの声が裏返った。目の前で起きた現象が、あまりにも常識を逸脱していたからだ。


「おう。珠桜様の異能の効果だよ」


 響哉の手元に、重厚な存在感を放つ巨大な槌が現れた。《暴槌》――ルイも、ミレディーナとの戦いで目にしたことがある武器。その禍々しいまでの迫力と、同時に神聖さを併せ持つ複雑な存在感に、部屋の空気が震えるような錯覚を覚える。


「俺のコレ、律灯の天弓、そして琴葉の絶刃。全部、俺たち自身の異能じゃない」

「え!?」

「実は、珠桜様の異能なんだよ、全部な」


 ルイとシアは大きい声を上げた。うるせ、と響哉が苦笑いしている。

 これまで珠桜の異能について、二人は聞いたことが一度もなかった。勝手に珠桜は異能者なんだろうなと推測していたが、まさか本当に異能者だったとは。しかも――


「誰かと共有できる異能ってあるんですか!?」


 シアの声に、純粋な驚きが込められていた。


「どうやらあるらしいねえ。そのおかげで、俺と琴葉は魔法を使えるし、律灯は実質二つ異能を持ってる」

「二つ!?」


 これもまた初耳だった。異能の常識を覆すような話に、ルイとシアは戸惑いを隠せない。


「珠桜様の異能はこの三つの武器と、副次効果の共有」


 響哉は暴槌を軽々と持ち上げながら説明する。


「たとえばコイツは『万物を分解する』異能武器だ。岩だろうが、鉄だろうが、異能の壁だろうが――触れたもの全てを粉々に砕く」


 暴槌の表面で、微かな光が脈打っている。それは生きているかのような、不気味な生命感を放っていた。


「だが代償として、使用者の体が内側から崩壊していく。骨が砕け、内臓が破裂し、血管が破綻する。普通なら一撃で死ぬような代償だ」響哉の声に、どこか諦観に似た響きがあった。「しかし同時に、身体の再生能力が飛躍的に上がる。崩壊と再生が同時に起こることで、結果的に死なずに済む。まあ、痛みは半端じゃないがな。昔の話だけど」


「他の武器の副次効果も、戦闘に必要な能力の底上げが主だ。武器は俺たちしか扱えないが、副次効果については珠桜様も含めて全員に共有されてる」


 詳しくは忘れた、と響哉は雑に言った。


「さっきの火傷だって、既に少しはマシになったはずだ。水ぶくれくらいにはなったんじゃねーの」


 火傷痕は本当にひどかった。シアが一度も直視できないほどに凄惨で、見ているだけで吐き気を催すほどだった。それが少しでもよくなっているのであれば――と、心の底からシアは安堵していた。


「でも痛みは……」


 ルイの声に、心配が滲む。


「慣れっこだ。それに、コイツのせいでいくらか神経がやられてるから、痛覚には鈍感なんだ」


 暴槌の柄を軽く弄びながら、響哉は言った。その口調は軽いが、内容の重さは計り知れない。


「でもさ、もう二十年近く戦ってる。そんくらいの代償で済んでるのがラッキーだと思わねえ?」


 響哉の笑顔には、諦めと受容が混じり合っていた。それは絶望ではなく、むしろ達観に近い境地だった。

 神経の損傷というのは、決して軽視できる問題ではない。それは彼が背負い続けている、目に見えない傷痕なのだ。

 それでも、響哉は笑っている。その笑顔の奥に、どれほどの痛みと苦悩が隠されているのか――ルイとシアには、想像することもできなかった。



「……どうして……どうして、笑ってられるんだ?」


 ルイの声は低く、落ち着いていた。震えはない。ただ、響哉という人間の深淵を理解しようとする、真摯な探求心があった。


「ええ?」


 響哉は首を傾げるが、その目の奥に一瞬だけ、深い影が差したのをルイは見逃さなかった。


「……俺だったら、怖くてたまらない」


 その告白は、ルイの心を支配する真実だった。身を少し乗り出しながら、率直に続ける。


「今だって、怖い。でも——」


 ルイは響哉を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、恐怖と同時に、この人から学びたいという強い意志が宿っている。


「教えてくれ、響哉。どうやって戦い続けられるんだ」

「……はは。そうでもしねえと、この世界で戦ってられなかったんだよ」


 響哉の声が、静かに部屋に響いた。いつもの軽妙な調子は完全に影を潜めている。


「俺も、律灯が育つまでは珠桜様に仕えてた。従者が主人に守られてどうするんだってな」


 響哉がゆっくりと立ち上がった。血色に染まった窓の方まで歩き、静かに手をつき、異様な空を見上げた。その横顔に感情は一切なかった。疲労も、絶望も、諦観すらも——何もない。まるで魂が抜け落ちた人形のような、完全な無表情がそこにあった。

 窓の外の血色の空が、響哉の顔を不気味に照らしている。その光の中で、彼の表情は石膏の仮面のように無機質だった。。


「最初は怖かったさ。死ぬのも、痛いのも、失うのも――全部怖かった」


 響哉の声は平坦だった。感情という概念が存在しないかのような、音の羅列。


「毎晩、悪夢を見た。珠桜様を守れずに死なせてしまう夢。世界が消えてなくなる夢」


 淡々と事実を述べているだけだった。まるで他人の体験談を読み上げているかのように。


「けど、恐怖ってのは慣れるもんだ。毎日毎日、死と隣り合わせで生きてりゃ、いつかは麻痺する。

 最初の頃は、一人殺すたびに吐いてた。手が震えて、まともに飯も食えなかった。でも――」


 響哉の声が一度途切れる。しかし、それは感情の高ぶりではない。ただ単に、記憶をたどる時間が必要だっただけ。


「珠桜様を守るためだ。律灯を守るためだ。澄幽の皆を守るためだ。そう言い聞かせて、少しずつ慣れていった。百人殺した時、もう数を数えるのをやめた。千人を超えた頃には、それが日常になっていた。」


 響哉が振り返る。その瞳に、ルイは何も見なかった。光も、闇も、感情も——完全に空虚な穴が二つ、響哉の双眸に開いているだけ。


「今は何も感じない。何も


 その告白は、あまりにも静かで、あまりにも絶望的だった。


「朝、ルイ君と話した時、ルイ君には死を恐れる気持ちを忘れるなっつったけど……」


 響哉の声に、自嘲の響きが混じった。


「俺は長生きしたいとも思わんし、生きてる必要もないと思ってる。だから、恐れる気持ちは捨てた。

 持てる力全て使って、未来があるお前らを守って、守りきったら用済みの俺はテキトーに死ぬ。それで全部から解放されて終わりだ」


 響哉の言葉は淡々としていたが、その内容はあまりにも重かった。彼が自分の命をどれほど軽く見ているか、だが深い覚悟をしている姿がルイとシアの心を打った。


「俺はやること全部やって綺麗に死ねれば、ぜんぶ満足」


 窓の外の血色の光が、響哉の顔をより一層不気味に照らす。その表情は穏やかだったが、同時に限りなく悲しかった。

 ルイは静かに響哉の言葉を受け止めていた。震えも動揺もない。ただ、この人が背負ってきたものの重さを理解しようと努めている。


「コイツの使い過ぎで体砕け散って汚く死なねえよう、そのくらいは頑張ってくれよ。ガキども」


 響哉が振り返った時、その顔には普段の飄々とした笑みが戻っていた。だが、ルイとシアにはもうわかっていた。その笑顔の奥に、どれほど深い闇が潜んでいるのかを。


「さ、お話は終わりだ。ここから出る方法を探すぞ」

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