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第六十九話 | 狭間 亡霊たちの王冠なき王 - 2

 ──闇から這い出るようにして、すらりとした長い脚が伸びる。

 枯れ木のように痩せ細っている男。骨と皮だけのような体に、どこか形だけ整えたような、ぎこちなさを感じる黒を基調とした上品な衣装。まるで、人間の姿を借りた何かが、無理に人間を演じているかのような不気味さがあった。ネイビーの髪が、重力に逆らうかのようにふわりと揺れる。そして──赤い瞳。底知れぬ昏さを湛えた、狂気すら感じさせる瞳が、ルイを捉えた。


「エゼキエル……!!」


 ルイの喉から、自然とその名が迸った。全身の血液が沸騰するかのような、憎悪と警戒が、一気に彼の内を満たしていくのが分かる。手のひらに、汗が滲む。心臓が、激しく打つ。

 ──マキから聞いた。この男と、彼と共にいた女が、過去に大量の人々を殺したこと。子供の残虐性では言い訳のしようがないほどの、取り返しのつかない出来事。マキに天衡院の書庫で見せてもらったあの映像が、脳裏にフラッシュバックする。


「覚えていてくれたんですね……会いたかったです」


 エゼキエルの声は、甘く、ねっとりとしていた。危険な愉悦がその声音に滲む。まるで、旧友との再会を喜ぶかのような、病的なまでの親しみやすさ。


 言葉が言い終わるか、終わらないかの時──ルイは、銃を構えた。

 動作は無意識だった。一瞬だった。体が、反射的に動いていた。思考より先に、筋肉が、神経が、彼を戦闘態勢へと導く。銃口が、エゼキエルの胸を正確に捉える。コートの内側から引き抜いた双銃の一つが、獲物を狙う蛇のように、静かに、しかし確かに相手を睨んでいた。



 ──静寂。

 ルイは何も言わない。トリガーには既に指が掛かっていた。何かしてくるようであれば、すぐにトリガーを引き絞れるように。指先の感覚が、研ぎ澄まされていく。呼吸を整え、わずかな動きも見逃さない。

 エゼキエルも、しばらくは何も反応を示さなかった。その赤い瞳が、ルイの顔と、銃口とを、ゆっくりと往復する。


 十秒以上。沈黙が続く。

 時間が、異様に長く感じられた。二人の間に流れる空気が、凍りつくかのように重い。ルイの耳に、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。


 ──そして、徐々にエゼキエルの表情が歪んでいった。


 微笑みが徐々に剥がれ落ちる。まるで、張り付けていた仮面が外れたかのように。頬の筋肉が引きつり、口元が震え始める。

 その下から、驚愕、恐怖が覗く。赤い瞳が見開かれる。痩せ細った頬が、微かに引きつる。



「……………………え?」


 彼の予想を、完全に裏切る事態が、今、起きていた。

 エゼキエルの喉から、掠れて、声にならないような音が漏れた。それは、驚愕か。恐怖か。あるいは──理解できない事態に直面した者の、困惑か。彼の手が、わずかに震えているように見えた。


「なんで……? 俺、前にルイ君に道、案内しましたよね? 親切に、しましたよね……?」


 エゼキエルの声は、困惑に満ちていた。まるで、親切にしてあげたのに、なぜそんな態度を取るのか理解できない子供のように。その赤い瞳が、不安げに揺れる。


「ふざけるな」


 ルイの声は、冷たく、鋭かった。銃口は、微動だにしない。


「何が目的だ」

「目的……?」

「どうして皓絳に近付いた。皓絳に近付いた目的はなんだ。皓絳をどうするつもりだ」


 言葉の一つ一つが、刃のようにエゼキエルに突き刺さる。


「ち、違います……!」


 エゼキエルは両手を胸の前で振った。必死だった。その仕草は、まるで濡れ衣を着せられた子供が、無実を訴えるかのようだった。痩せ細った腕が、頼りなく空を切る。


「俺と、親友……リタは……助けてほしくて……来ただけなんです」

「……は?」


 ルイの眉が、わずかに動いた。


「助け……?」

「ファロン様もミレディーナ様も死んでしまって……食べるものもなくて、寒くて……」


 エゼキエルの声が、震える。その赤い瞳に、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。



「このままだと、俺たち……死んじゃいます。なので……人がたくさんいる、ここなら……助けてくれるんじゃないかって」



 ──ルイは体の芯が、一気に冷えるのを感じた。

 終末世界の荒野の夜、そこに薄着で水を被って出たかのような。凍り付くような、痛みすら感じるような寒気が、背筋を駆け上る。心臓が、一瞬止まったかのように錯覚した。息が、うまく吸えない。

 目の前の男が何を言っているのか、理解できない。


 助けてほしい? この男が? 無数の命を奪ってきたこの男が、助けを求めているのか? ファロンが死んで、ミレディーナが死んで、食うものもなく、寒さに凍えて、だから──だから、ここに来た?


 ルイの頭の中が、混乱で満たされていく。理解が、追いつかない。思考が、ぐるぐると同じ場所を回り続ける。


「ああでも……リタは、ちょっと違うかも」


 彼の口調が、一瞬で切り替わった。さっきまでの哀れな子供のような声音から、突然、甘やかすような、愛おしそうな響きへ。


「止めようとしてるんですけど……リタは、自由だから」


 エゼキエルは困ったように笑った。まるで、手のかかる友達の愚行を、それでも愛おしそうに眺めるような、甘やかすような表情で。その笑顔には、一片の悪意もないように見えた。純粋で、無垢で、ただただリタという存在を愛しているだけのように。

 しかし、その無邪気さこそが、彼の異常性を際立たせていた。彼の頭の中では、おそらくすべてが整合性を持っているのだ。自分たちは正しい。自分たちはただ助けてほしいだけ。リタが少々やりすぎるのは、彼女が"自由"だから仕方ない。それだけのこと。殺戮も、破壊も、すべてはその自由の延長線上にある。彼にとっては、何も問題ではないのだ。



 ファロンとミレディーナを殺したのは、紛れもなくルイ達だった。つまり──今回の襲撃は、ルイ達が原因だったということか?

 その考えが頭をよぎる。しかし、ルイはそれ以上を考えることを止めた。確かにあの時ファロンとミレディーナを殺さなければ、今頃世界全てが滅んでいたかもしれない。あの二人が死んだことにより怨嗟が生まれていたとしても、それは仕方ないと、割り切るべきだ。あの二人が負けて、ルイ達が勝った。ルイ達の描く未来が、貫き通された。それだけに過ぎない。


 ──でも、もっと違う状況のときにこの話を聞いていたら、少しは後悔や罪悪感に喘ぐこともあったかもしれない。


 だが──無理だ。

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