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END OF HOPE:21xx - Last Call  作者: 久遠-kuon-
Interlude III: 21xx - Red Eve
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Interlude III: 21xx - Red Eve 獅子奮迅

 部屋から出た時、そこにマキが俯きがちに待っていた。

 黒い石の扉が閉じ、重厚な金属音が響いた後、広間の空気がわずかに緩んだ。先ほどまでの張り詰めた緊張が、嘘のように溶けていく。灯篭の橙の光が、穏やかに空間を照らし出していた。長く伸びた影が、床の上で静かに揺れている。


「……皆様、お疲れ様でございました」


 マキの声は、か細く、しかし確かな思いやりが込められていた。彼の深紅の瞳が、重そうに持ち上がり、ルイたちを見る。その瞳には、長く待っていた者の疲労と、そして無事に戻ってきたことへの安堵が浮かんでいた。白い髪が、わずかに乱れている。ずっと同じ姿勢で、彼らを待っていたのだろう。


「戻りましょう……移動のお時間ですよね」


 マキはそう言って、転移の式が刻まれた羽根を掲げようとした。金の軸が、灯りの下で鈍く輝く。漆黒の羽根が、彼の細い指の間から覗いていた。


「ああ、待った」


 響哉がふと口を挟んだ。

 先程、院主の前で見せていた鋭い彼の一面は鳴りを潜めている。銀灰色の瞳は穏やかで、紫檀色の髪も緊張で跳ねることはない。むしろ、どこかリラックスしたような、普段の飄々とした雰囲気が戻っていた。

 彼は静かにマキに近付いていき、手を伸ばした──



 その瞬間に、ポーランが横から割り込み、響哉の腕を掴んだ。

 空気が、一瞬で張り詰める。先ほどまで緩んでいた広間の空気が、一瞬だけ再び氷のように冷たく引き締まった。


 ポーランの紫色の瞳が、鋭く光る——しかし、それは本当に一瞬のことだった。すぐにその表情は柔らかみを取り戻し、掴んだ腕にも必要以上の力は込められていない。ただ、確かに「止めた」という事実だけが、そこにあった。


「……?」


 マキが不思議そうに響哉を見ている。彼の白い顔に、困惑の色が浮かんだ。深紅の瞳が、響哉とポーランを交互に見つめる。何が起きたのか、理解できていないようだった。


「……どうしたんだよ。肩に毛がついてたから、払おうとしただけだよ」


 響哉は、少し呆れたように笑った。その表情には、からかいの色さえ混じっている。銀灰色の瞳が、ポーランを見つめる。その瞳の奥に、何かを探るような、かすかな光が走った——気のせいかもしれない。しかし、その一瞬の光を、ポーランは確かに受け止めた。


「……すまぬ。屈強な其方が胡典司に触れれば……彼が、怪我をせぬかと案じたのだ。無礼を詫びよう」

「ハハ。過保護な将軍サマだってこと」


 ポーランは、そう言って深く頭を下げた。それに対し、響哉は、ポーランの肩をポンポンと叩いた。その仕草は、まるで長年の友人のようだった。ついさっきまで、魔法士たちへの憎悪を瞳に宿していた者とは、思えないほどに。

 マキは、そのやり取りをぼんやりと見つめていた。彼の深紅の瞳が、わずかに細められる。何かを考えているようだったが、すぐにその表情は消え、元の無表情に戻った。ただ、その白い指が、わずかに震えたような気がした——緊張か、それとも何か別の感情か。それを知る者は、誰もいない。

 ルイやシア、琴葉にも、響哉の行動の真意はわからない。顔を見合わせて、首を僅かに傾げた。


 再び魔法式に刻まれた転移の式が、現実に呼び起こされる──光が彼らを包む。



 ◇◆◇



 武衡局に戻ってきた。

 広場には、ポーランの号令を待つ魔法士たちが、既に整然と並んでいる。月明かりの下、その列は闇に溶け込むように長く続いていた。数は、ざっと見渡しただけでも三百を超える。別の場所にも、たくさんの者が待っていることだろう。

 武装しておらず、大きな荷物を抱えた者も散見できる。彼らは後方支援を担当するのだろう。医薬品の箱らしきものを抱える者、魔法式が刻まれた石板を運ぶ者、通信機器を抱えた者——それぞれが、自分の役割を果たすために、ここに集まっていた。彼らの足元には、これから戦場へ運ばれるであろう無数の物資が積まれている。箱や袋が、所狭しと積み重なっていた。

 彼らの表情は、緊張と決意に満ちている。しかし、そこに恐怖の色はない。七年間、この国を守り抜いてきた者たちの、誇りがそこにあった。唇を引き結び、前を向くその姿勢は、まさに戦士のそれだった。月明かりが彼らの横顔を照らし、長い影を地面に落としている。

 ポーランが、一歩前に進み出た。彼は広場の中央に設えられた石段をゆっくりと上り、一段高い場所に立った。月明かりが、彼の巨体を照らし出す。紫檀色とは異なる、深みのある影が彼の足元に伸びる。その姿を見た瞬間、魔法士たちの背筋がさらに伸びた。誰もが、彼の言葉を待っている。呼吸さえも、ひそめられている。


 静寂が、広場を支配した。夜風が、旗を揺らす音だけが、かすかに聞こえる。遠くでは、何かの準備をする物音が微かに響いているが、それもまた、この静寂を際立たせるだけだった。三百を超える者たちの呼吸が、一つに重なるかのような、不思議な一体感がそこにはあった。

 ルイ達はその姿を、段の下から見つめていた。



 ポーランは、ゆっくりと魔法士たちを見渡す。その紫色の瞳が、一人ひとりを確かめるように動く。正面の者、左翼の者、右翼の者——すべての者を見渡し、その覚悟を確認するかのように。彼の視線が通るたび、魔法士たちの眼差しがさらに強くなる。


 そして、深く息を吸い込んだ。


「諸君」


 声は、低く、しかし確かに全員の耳に届いた。闇に響く重低音が、魔法士たちの心臓を打つ。


「今夜、我々は出立する」


 ポーランの言葉が、静寂を切り裂く。その瞬間、空気が変わった。ただならぬ決意が、広場全体を包み込む。


「七年前、我々は多くの同胞を失った。守れなかった命がある。届かなかった手がある。その無念、其方らは忘れたか?」

「「「忘れていない!」」」


 揃った声が、夜の闇に轟いた。三百を超える魔法士たちの声が、一つの塊となって空間を震わせる。その声は、単なる応答ではない。七年前の悔しさを、今も胸に刻み続けている者たちの、魂の叫びだ。武衡局の壁が、その轟きに呼応するかのようにかすかに震え、月明かりの下で長く伸びた影が揺れた。


「よし」


 ポーランは、満足げにうなずいた。紫色の瞳が、わずかに細められる。その表情には、将としての誇りと、そして戦士たちへの信頼が滲んでいた。


「明日、異能者が攻めてくる。奴らは、我々の日常を、我々の大切な人々を、再び奪わんとしている。だが——我々は、もはや七年前と同じではない」


 彼の声が、力強さを増す。


「我々には魔法がある。力がある。そして——

 共に戦う仲間がいる」


 ──ポーランは、振り返ってルイたちを見た。その瞳には、確かな信頼が宿っている。紫色の瞳が、一人ひとりを順に見つめる。ルイ、シア、琴葉、響哉。その視線は、言葉以上のものを伝えていた。


「彼らは異能者だ。魔法は使えぬ。されど、彼らには我々にない力がある」


 ポーランが、再び魔法士たちに向き直る。彼の大きな背中が、月明かりに照らされて、一層大きく見えた。


「その力を、我々は信じる。そして共に戦う。我々の使命は、この皓絳を、この国に生きる一億の人々を守ることだ。そのために、我々はここにいる」


 彼の声が、さらに大きくなる。夜の静寂を切り裂くかのような、力強い声音が、広場全体に響き渡る。


「諸君。これより防衛拠点へと移動する。そこで最後の準備を整え、敵を迎え撃つ。

 決して、一人で無理をするな。仲間を信じよ。そして——必ず、生きて帰って参れ」


 ポーランの言葉が、魔法士たちの胸に響く。一言一言が、重みを持って彼らの心に刻み込まれる。それは、命令であると同時に、願いでもあった。戦場に立つすべての者に向けた、将としての、そして一人の戦士としての、魂の叫びだった。



「「「御意に!」」」



 三百を超える声が、一つになった。その轟きが、夜の闇を切り裂き、武衡局の壁を震わせる。声の主たちの決意が、目に見える形となって空間を満たした。まるで、地面そのものが共鳴しているかのような、深く響く振動が足元から伝わってくる。

 ポーランは、満足げにうなずいた。紫色の瞳に、かすかな笑みが浮かぶ。



 そして──大きく手を振りかざした。


「出立だ!」



 その瞬間、広場が動き出した。まるで、長く止まっていた時計の針が、一気に動き出すかのように。魔法士たちが、それぞれの持ち場へ繋がる転移の式を起動する。足音、道具のぶつかる音、かすかな号令——すべてが、一つの大きな流れとなって、光の中へと消えていく。魔法陣の輝きが、次々と夜闇を彩り、一瞬の閃光を残しては人々を運び去っていく。

 ルイは、その光景をただ見つめていた。一つの国が、動き出す瞬間。その重みが、彼の全身にのしかかる。たくさんの命が、明日、戦場に立つ。その一人ひとりに、家族があり、守りたいものがある。その事実が、彼の胸の奥深くにずしりと響いた。魔法士たちの真剣な横顔が、次々と光の中に消えていく。


「ルイ」


 隣で、琴葉が静かに声をかけた。


「行くわよ」


 彼女の深紅の瞳が、まっすぐにルイを見つめている。その瞳には、迷いも、恐れもなかった。ただ、戦う者の覚悟だけがあった。白いドレスが、夜風に揺れる。その姿は、戦場に立つ女神のように神々しくさえあった。


「ああ」


 ルイは、深くうなずいた。深緑の瞳に、強い光が宿る。隣ではシアが、彼の服の裾をそっと掴んだ。その小さな手の温もりが、確かに伝わってくる。彼女のアメジストの瞳は、しっかりと前を見据えていた。震えは、もう止まっていた。

 響哉は、無言で月明かりを見上げていた。その横顔は、普段の不敵さを潜め、どこか遠くを見つめるかのようだった。紫檀色の髪が、夜風に揺れる。彼が何を想っているのか、誰にも分からない。ただ、その瞳の奥に、確かな決意の光が宿っていることだけは、ルイにも感じ取れた。


 月明かりの下、彼らもまた、それぞれの持ち場へ向かった。

 皓絳の街が、静かに見送っている。白亜の建物の窓の向こうで、無数の人々が彼らの出立を見守っているのかもしれない。その思いが、背中に温かく感じられた。戦うのは、自分たちだけではない。この街の誰もが、それぞれの場所で戦っている。


 遠くで、夜明けを告げる鐘が鳴り始めていた。ゴーン、ゴーン——重く、澄んだ音が、皓絳の街全体に響き渡る。それは、別れの鐘ではなく、新たな戦いへの旅立ちを告げる、希望の鐘のように聞こえた。その音が、彼らの背中を押すかのように、夜空に長く余韻を残していた。

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