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第六十三話 星落ちる先に秩序はない - 4

 刹那。


 一粒の魔力が、内側から弾けた。


 爆ぜて、分裂して、増殖して、まるで核分裂を起こすかのように、狂おしいまでの輝きを放った。

 光が、光が、光が。室内の酸素ごと飲み込む勢いで、無数の粒子が溢れ出る。ルイの手のひらから零れた光の奔流は、天井に、壁に、床に、窓に、ありとあらゆる場所に叩きつけられては跳ね返り、また増える。

 窓が軋む。悲鳴のような音をあげて、開放されていたガラス戸が勢いよく全開になった。皓絳の夜空へ向けて、無数の光の粒が解き放たれる。それはまるで、花火のように美しく、そして──あまりに暴力的だった。


 すべてが収まった時、室内はまるで暴風が吹き荒れたかのように荒れ果てていた。


 シュエンの布団はめくれ上がり、枕は床に転がっている。リンファはバランスを崩し、椅子ごと後ろにひっくり返りかけて、必死に足で踏みとどまっている。マキの白い髪は見事にぐしゃぐしゃになり、何本かが顔にかかったまま、彼は呆然と口を開けていた。

 その中で、ルイの後ろに立つシアと響哉だけが、平然としていた。

 シアはどこか誇らしげに微笑み、響哉は「相変わらず派手だな」と呟く。彼らはこの光景を見慣れている。何度も、何度も。



「……え、なに、なに……? どういうこと……?」


 リンファの声は、さっきまでの傲慢さを完全に失っていた。マゼンタの瞳が大きく見開かれ、髪は乱れ、口元は半開きのまま。


「魔力……増やしたぁ……?」


 それは、呟きというより、呻きに近かった。

 ルイは手のひらに残ったわずかな残光を握りつぶしながら、静かに言った。


「これが一つの操り方。他にもある」



 背後で、響哉が微かに息を吸った。空気が変わった。それはほんの一瞬の、呼吸の合図。ルイはその気配に背中で気づく。共に戦う中で、彼の仕草のひとつひとつが、もう骨の髄まで染み込んでいた。

 放たれた魔法。かまいたちのような風の刃が、真っ直ぐルイを狙って飛翔する。空気を切り裂く鋭い唸り。病室の温度が一瞬で下がった。マキの白髪が、風圧で揺れる。


「《支配(ドミネート)》」


 ルイは振り返りもせず、背後に意識を向けた。

 飛来する刃を構成する魔力の粒子を、掌で掬い取るように捉える。それはもう、無意識の動作だった。呼吸をするように。瞬きをするように。


 そして──軌道を変えた。


 風の刃はルイの頬をかすめ、そのまま方向を変え、リンファの鼻先へと一直線に向かう。マゼンタの瞳が、目前に迫る刃を映して見開かれた。彼女の口から、息を呑む音が漏れる。


 数ミリ。


 刃は彼女の鼻先をかすめて窓の外へ消えた。切り裂かれた空気の残響だけが、彼女の前髪を静かに揺らした。


「《削除(デリート)》」


 ルイは窓の外に消えた刃を追うように、指先で軽く払った。

 その先で、魔法を構成していた魔力ごと、風の刃は光の粒となって霧散した。跡形もなく。最初から存在しなかったかのように。夜闇に溶ける無数の光は、まるで蛍のようだった。


 削除のコマンドは、普段は使わないようにしている。代償として、大切な記憶を失った経験があるからだ。

 だが、最近になってようやくわかってきた。自分の力の限界。やって良いラインと、越えてはいけないラインの境界線が、はっきり見えるようになってきた。かつては闇夜を手探りで進むようだった感覚が、今はもう、自分の足で立って歩けるほどに。

 今回は、全く問題がないラインだ。響哉が、それを分かった上で、パフォーマンスのために魔力の出力を調整してくれている。



「あとは暴走(ランページ)のコマンドも。これは使いどころが難しいから、今は実演できない」

「あーあれ……? しなくていいよ~……」


 シュエンがめくれた布団の上で、引きつった笑いを浮かべている。サングラスの奥の瞳が、明らかに泳いでいた。


「アレ、俺見たし。もう二度と見たくないし」


 その脳裏に浮かんでいるのは、ネガイたちが内側から爆散し消滅した、あの光景だろう。彼の声には、冗談を通り越した本物の恐怖が混ざっていた。普段はあれほど飄々としている男が、声の端を震わせている。


 そして、ルイは床でひっくり返ったままのリンファに手を差し伸べた。



「これが俺の異能」



 ぽっかりと口を開けたまま、リンファは動きを止めていた。

 乱れた前髪が額に張り付いているのも気にせず、マゼンタの瞳はルイの手のひらと、その奥の顔とを交互に見つめている。さっきまでの傲慢さは、完全に消え失せていた。


 代わりに浮かんでいたのは──困惑か、驚嘆か、それとも。


 彼女の指が、わずかに震えていた。



 ──沈黙が、数秒。



「……す、すごいねー」


 シュエンが引き攣った笑みのまま、ぎこちなく話題を変えた。


「そっちの、シアちゃんはどうなのかな?」


 彼の視線が、ルイの背後に立つ少女へと向けられる。

 シアは、無邪気に、少し悩むように顎に指をあてた。長い睫毛が伏せられ、窓からの月明かりを浴びて銀色にきらめく。


「何を見せればいいかな……? あ、ちなみに治癒魔法って?」

「治癒魔法……?」


 シュエンがぱちぱちと瞬きをした。


「あー、琴葉ちゃん教えなかったんだ……まあそりゃ、できないモンねえ……」


 シュエンがベッドの上で体の向きを変える。点滴の管がカチカチと小さな音を立て、彼はそれを器用に避けながら、話しやすい体勢を探った。腹部の包帯がわずかに軋む。



「治癒魔法はねぇ、この、今ここでひっくり返ってるリンファサマ以外成功させたことがない、人間の傷を治す魔法だよ」


 ベッドの傍ら、床の上。

 リンファはまだ、ひっくり返ったままの姿勢で座り込んでいた。マゼンタに染めた髪はぐしゃぐしゃに乱れ、白い長衣の裾は床に広がっている。愛用の杖は、手の届かない隅っこに転がったまま。

 しかし、彼女はそれを直そうともしない。ただ、マゼンタの瞳を見開いたまま、宙の一点を見つめている。さっきまでルイの手のひらにあった、あの光の奔流が消えた虚空を。唇が微かに開いては閉じ、また開く。言葉にならない驚愕が、そこに貼り付いて剥がれない。彼女は瞬きすら忘れていた。


「口で言うと簡単そうだけど……」シュエンは続ける。彼の声だけが、沈黙したリンファをよそに、軽やかに病室に響く。


「組織一つ一つを修復して、繋いでいく明確なイメージを作れないと、魔法は失敗しちゃうんだよ」


 彼は両手を胸の前で組み、まるで見えない何かを包み込むようにした。


「ここが血管、ここが神経、ここが骨の断面。それを顕微鏡みたいに拡大して、一本一本、一層一層、元の形を思い浮かべながら積み重ねていく──」


 彼の指が、そっと空中をなぞる。


「人間を超えたトンデモない技。お嬢はさらに、蘇生的なことまでできちゃう」


 彼は顎でリンファを示した。だが、リンファは反応しない。


「でも、さすがにこの世界の理に反した、神の領域に足を踏み入れたものっていう判定みたいで……使うたび、お嬢は代償を支払わなきゃいけない」


 シュエンの声が、ほんの少しだけ低くなり、そして。


「おかげでこちら。杖生活~」


 シュエンが笑う。しかし、その笑顔の奥に、ほんのわずかな陰りが見えた。それは冗談の形を借りた、痛みのようなものだった。

 いつも彼女のそばにあるはずの杖。今は床に転がり、窓からの月明かりを冷たく反射していた。



 シアが、僅かに俯いた。長い睫毛が影を落とし、その表情を隠す。掌が、無意識のうちに自分の胸の前で重ねられた。


「他の人は……琴葉ちゃんも、できたことがないの?」


 シアの声は、小さく、それでいてはっきりしていた。


「だーれもできないよ」


 シュエンはあっさりと、断言した。


「……」


 沈黙が、病室を満たした。窓の外では、先ほどルイが放った光の粒子が、皓絳の夜空にまだ名残のように漂っている。それはまるで、無数の星屑がゆっくりと降り積もる冬の夜のようだった。ひと粒、またひと粒と、闇に溶けていく。


 シアはゆっくりと、目を閉じた。


 その間、わずか三秒。


 まぶたの裏で、何が描かれたのか。誰にもわからない。ただ、彼女の呼吸が、一度だけ深く整えられた。



「じゃあ、それをやる」

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