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第五十九話 涙は乾き、未来を守るために往く - 1

「アレ? 仲間割れ? オレ、一つも手出ししてないよ」


 男の戯けた声が、重苦しい空気を切り裂く。重苦しい静寂をぶち破る。その軽薄な調子が、倒れた三人の無残な姿や、琴葉の血まみれの手と、そこに突き刺さった響哉の短剣といった光景と、残酷なまでに不釣り合いだった。

 ルイは、状況を飲み込もうとする。珠桜、響哉、律灯。彼らが倒れている。琴葉の掌を貫く短剣。そして、血まみれながらも薄笑いを浮かべる侵入者。脳内で情報が激突し、混乱と焦燥が胃の底で冷たく鋭い塊となって突き刺さる。


 何が起きた? 珠桜たちが倒れているのは、侵入者の仕業なのか?

 であれば、なぜあれほどまでに侵入者は重傷を負っているのか? 琴葉の手に刺さった短剣も、なぜああなった?

 ──それらの疑問が、全てを逆に考えたときに、すんなりと解けるように分かってしまう。琴葉は、刺された。刺されるようなことをしたのだとしたら、珠桜たちが倒れているのは、もしかして。侵入者が怪我を負っているのは、珠桜か、誰かがやったのだろう。


 琴葉が、澄幽を裏切ったのか?


「……るさい」


 琴葉の声が、かすれて、それでいて鋭く響く。その声には、ルイたちがこの広場に来る直前に聞こえてきた動揺や悲鳴の痕跡はない。震えはしているが、それは疲労か、極度の緊張によるものだ。彼女の目は、男をしっかりと捉えていた。深紅の瞳の奥に、ルイが診療室で目にした脆さや迷いは、完全に消えていた。代わりに、冷たく研ぎ澄まされた何か──戦士としての、しかしどこか危うい均衡を保った意志が、再点火しているのを、ルイは確かに見た。


「うるさい……早く、目的を話しなさい」

「琴葉ちゃん……?」


 ルイの隣で、シアが微かに琴葉の名を呼んだ。彼女の声には、混乱と動揺が滲んでいる。眼前の現実──仲間が倒れ、琴葉が傷つき、見知らぬ男がにやついているという、理解を超えた光景を、まだ何一つ消化できていない。


「なぁに、ココでは琴葉ちゃんって呼ばれてるんだ」


 男が、口元に滴る血を気にも留めず、にやりと笑った。その笑顔は、苦痛を感じている様子と奇妙に調和し、不気味な余裕を放っている。


「いいよ。そう呼ぶことにしてあげよっか。琴葉チャン♪」

「茶番はいい。早く目的を話せ」


 琴葉の声が、低く、しかし明確に男の言葉を断ち切る。その口調には、もはや一切の揺らぎがない。ルイは、彼女がわずかに背筋を伸ばし、傷ついた手さえも気にせず、完全に戦闘態勢に移行するのを目撃する。

 彼女は一歩前に出る。その動きは、倒れた仲間たちを背後に守るように、そしてルイとシアを隔てるようにも見えた。


「勘違いするな。私は貴方を助けたわけじゃない」

 琴葉の言葉は、研磨された刀身のように冷たく、空気すら切り裂くように鋭かった。その声には、一切の感情の襞が見えない。あたかも、さっきまで己の掌を貫いて仲間を倒したのが別人であるかのように。

「貴方が澄幽に本当に害があると分かったらその瞬間に殺す。貴方が今生きているのは、交渉内容を聞くため。ただそれだけだから」


 ルイは、その宣言が誰に向けられたものかを見抜いた。それは眼前の男へに対するものである以上に、背後に倒れる仲間たち──否、もはや「過去の仲間」となってしまったかもしれない者たちへ、そして何より、自らを縛り付けるために発せられた、緊迫した弁明だった。境界線を引かねば、自分がどこへ流されてしまうかわからない、という必死の線引き。


「あくまでそっちの味方っていうのは変わらないってこと?」男が、興味深そうに眉を上げる。血まみれの顔に浮かぶその表情は、琴葉の内なる葛藤を楽しんでいるかのようだった。

「当然」琴葉の返答は、鋭く、速かった。その間に、一瞬の躊躇もない。だが、ルイは彼女の背筋が一瞬、微かに硬直するのを見逃さなかった。その言葉が、自らの胸をも貫いていることを。


「……ハイハイ、いいよ」


 男は、小さく肩をすくめた。苦しそうに呼吸を整え、肩の深い傷に手を当てるが、その目は相変わらず鋭い。琴葉からルイへ、そしてシアへと視線が移る。それは、単なる観察ではない。戦力評価だ。計算するような、取引の材料を量るような、冷徹なまなざしだった。


「やぁっとこれで説明できるね」


 彼は、片膝をついたままの姿勢で、わざとらしく──しかし、どこか古式ゆかしい、宮廷における謁見の儀礼のように深く頭を下げた。

 首筋から滴り落ちる血が、月光に照らされた石畳に、暗い朱の紋様を描いていく。この惨劇の只中で繰り広げられる形式ばった礼節が、かえってその男の危険な異質さを浮き彫りにした。


「まずは、ご挨拶から」


 口調が、水底から湧き上がるように低く、明確に変わる。戯けの仮面が剥がれ、その下から現れるのは、確かな権威を帯びた本質の声だ。


「こんばんは」


 彼はゆっくりと顔を上げる。サングラスの奥で、鋭い目が琴葉を捉え、ルイとシアをも確かに視野に収める。月光がサングラスの縁に冷たい光を帯びさせ、その下の表情をなおも謎めいたものにしていた。


「オレは(チェン)雪安(シュエン)。ニホン人なら、"シュエン"って呼び方が呼びやすいんじゃないかな。此処より西、海を隔てたる大地──『皓絳(ハオジャン)』から、君たちの力を拝借したくて来た」


 彼は、傷ついた肩に手を当てたまま、僅かに微笑んだ。その笑みには、痛みも、余裕も、全てが計算ずくで配置されているような不自然な完璧さがあった。

『力を借りたい』。彼女が知る皓絳という国ではあり得ないその言葉に、琴葉の眉が微かに、しかし確実に動いた。ルイとシアの間に流れる緊張が、ほんの一線、緩んだのを、シュエンは鋭敏に察知する。

 彼の目が一瞬細くなる。『聞く耳を持っている』。その確信が、彼の次の言葉に確かな熱を込めさせた。


「現状説明は手短にすることを許してほしい。こちらも、最早"猶予"と呼べるほどの時間は残されていなくてね」


 シュエンの声が、それまでの軽妙さから、芯のある重い響きへと変わった。作り物の余裕の皮が剥がれ、その下から現れたのは、巨大な責任に押し潰されそうな者特有の、乾いた焦燥だった。その変化が、かえって彼の言葉に凄まじい現実感を与え、ルイの背筋に冷たい電流を走らせる。


「単刀直入に言うと、今、皓絳は"存亡の危機にある"」

「……どういうことだ?」


 ルイが前に一歩出て、怪訝そうに問うた。警戒を解くつもりはない。だが、情報は必要だった。


「そのままの意味」シュエンの声は平板になる。「皓絳に生きる一億人が──あと一週間もしたら、全滅するかもしれないっていうハナシ」

「なっ!? どうして……! そんな、無茶苦茶な……!」


 シアの声が裏返った。一億人。その数字の膨大さに、ルイも息を詰まらせた。

 澄幽の奥にどれだけの人数が匿われているか、ルイとシアは知らないが、少なくとも表にいるのはルイとシア、珠桜と律灯、響哉と琴葉、そして片手で数えられる程度の保護対象のみ。比較にならない規模だ。

 そんな莫大な数の人間が、まだこの廃墟と化した星に生きているというのか。そして、それだけの数を管理できる秩序があり、それが魔法であるのかと、衝撃を受ける。


「そうそう、無茶苦茶なんだよ。遠征や調査に出ている魔法士を全員召還し、国中の戦力を結集しても抑えられる見込みが立ってなくてさあ……」


 シュエンのため息は、演技ではない本物の疲弊を滲ませていた。しかし、その目は依然として琴葉を、そしてルイを捉えている。計算は止まっていない。



「もっと詳しく話せ。何が起きているんだ」


 ルイの声は、自らも驚くほど低く、冷たくなっていた。危機の匂いが、彼の嗅覚を刺す。

 ルイは静かに、しかし確実に一歩を踏み出した。琴葉の脇を通り過ぎる時、彼女の指が微かに震え、かすかに彼の袖に触れた。行かないで、という無言の訴えか。しかしルイは、ほんの一瞬目を合わせるだけで、柔らかくしかし確実にその触れ合いを解き、シュエンの前に進んだ。

 彼は、シュエンの前で片膝をついた。傷ついた男を見下ろす、一見して配慮のある姿勢。だが、その動きはすべて計算されていた。


「あはは、助かるよ……顔を上げてるのも大変で……」


 シュエンが小さく、苦痛を込めて笑うが──次の瞬間、その笑みが顔中で凍りついた。

 ルイは、自分の体を巧みに遮蔽物として使い、琴葉の視界から死角となる位置で動作を完結させていた。彼の手には、いつの間にか握りしめられた拳銃が、シュエンの眉間を冷たく覗き込んでいる。


 さらに、ルイの深緑の瞳が、ほんの一瞬だけ──鮮やかなライムグリーンに色を変えた。異能発動の徴だ。

 その途端、シュエンの顔から一気に血色が失せた。体内を駆け巡り、傷を癒し、魔法の源泉となっていた膨大な魔力が、まるで底の抜けた桶のように、急速に体外へと引きずり出され、霧散していく感覚。虚脱。魔法士にとって、それは血液を抜かれる以上の恐怖だった。

 琴葉がかつてシアに対して、"本物"の魔法発動の仕掛けを説明していたことがある。体内の魔力が足りない場合は、環境中の魔力を一度体内に取り込み、精製して使用すると。体内の魔力が枯れれば、次の術を繋ぐまでに、鍛錬を重ねれば重ねるほどスムーズになるとは言えど、一秒弱のラグが必ず存在していまうのだと。

 ルイは銃口を微動だにさせず、シュエンの引きつった顔を、真っ直ぐに見据えた。その瞳には、同情も、怒りも、恐れもない。あるのは、必要なことを実行するという、澄み切った冷たさだけだ。


「一瞬でも怪しい動きをしたら撃つ。魔法を使う前に、引き金を引く」


 声は低く、平坦で、絶対的な宣言として響いた。


「続けてくれ」


 それは命令だった。交渉ではなく、脅迫ですらなく、ただ「話せ」という、銃口が補完する絶対的な要求。ルイは、この男の言葉が真実かどうかを、彼自身の命を天秤にかけて確かめようとしていた。

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