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第x話 琥珀の瞳にすべては晒され

 今まで一度も見たことがない光景を、魔法で完璧に姿を隠しながら男──シュエンは少し離れた場所で見ていた。

 三十の骸たちが、一瞬で光の花と化し、爆散する。その現象は美しく、そして恐ろしく不合理だった。秩序だった魔力の流れが、何の前触れもなく内側から崩壊する。詠唱も魔法の構築もなく、ただ「ある意志」によって存在そのものが否定される。まるで神が世界のルールを無視したかのような、許されざる理不尽。


 シュエンの琥珀色の瞳が、微かに光る。

 暗闇の中でも鋭く輝くその目が、惨劇の中心に立つ二人を精密に捉える。分析する。記録する。



「──あの少年か」



 低い声が、吹雪にかき消される。目が細められる。その視線は、研究者的な興味と、深い嫌悪が混ざり合っている。


 緑髪の少年。彼のことは初めて見た。まだ、彼らには仲間がいるのだと、少し前に戦場跡を調べているときに可能性は浮上していたが、やっとそのご尊顔を拝めた。報告書に書かれていた実在しない可能性もあった謎の異能者が、まさに目の前にいる。

 あどけなさを感じる顔立ち。年齢は十五前後か──いや、流石にそれは低く見積りすぎか。長く生きていると、そのあたりの感覚がよく分からなくなる。全員似たような、"若者"でしかない。

 二丁の銃を手にしていたが、それを使えるとでもいうのだろうか。しかし、彼が今行ったのは銃撃などではない。もっと根源的な、法則そのものへの侵犯だ。星溶粒子を直接操作する異能。魔法の体系を完全に無視した、野蛮で原始的な力の行使。


 可愛らしい──それと同時に、忌々しい。異能者たちは、すぐにこうやって、ただの人間たちの努力と知恵を嘲笑う。何年も修行を積み、体系を築き上げた魔法の技術を、生まれつきの才能一つで軽々と超えてしまう。

 先ほどの光景を見たら、魔法を生み出したあの変異体様は、どれだけ怒り、憎悪を示すだろうか。秩序を愛する創造主が、この無秩序な力の行使を見たら──


 ふと、シュエンは自分の顔面の片側だけが引き攣っていることに気付く。左頬の筋肉が無意識に痙攣し、口元が歪んでいる。彼は深呼吸し、ふっと満面の笑みを顔に貼り付ける。仮面のように完璧な、軽薄で能天気な微笑み。宰衡としての顔だ。


 これから"交渉"に行くのに、端から悪そうな顔をしていてはいけない。



 そうこう考えているうちに、二つの影は倒れ込み、雪に埋もれた。少年は明らかに限界に達している。力の反動か、あるいは単なる消耗か。持久力はそこまで高いわけではなさそうだと、頭の中に留めておく。貴重なデータだ。

 女の方――見覚えのある黒髪と深紅の瞳。あれは見間違うこともない、今回シュエンが行動した、大きな目的の一つ。


 死んだあの木偶が、必死に少年を抱きしめている。その光景が、シュエンにとってはなんとも滑稽で、気持ち悪いものに思えた。死者が生者に執着する。道具が感情を持つ。すべてが秩序から外れ、間違っている。

 道具に、心など不要だ。感情は判断を鈍らせるだけの雑音。今、ここから狙撃して、果たして彼女は反応できるのだろうか。少年を庇おうとして、逆に致命傷を負うかもしれない。だが、目的はあの女を殺すことではないから、彼は一歩も動かない。



 そして──時空が軋んだ。期待してもいなかった"好都合"に、シュエンは身を乗り出してそれを凝視する。

 転移魔法特有の、強い時空の歪みが発生する。周囲の魔力が一気に吸い込まれ、雪の降る軌道さえ歪む。空気が密度を増し、耳が詰まったような圧迫感。シュエンは目を凝らす。琥珀色の瞳が、微細な魔力の流れを追跡する。

 その消費量は膨大だ。個人で行うには非現実的な規模。だが、骸たちであれば可能だ。彼らは魔力そのもので構成されており、人間よりも遥かに体内に溜めておくことができる魔力量が多い。環境の魔力を体内に取り入れ利用するのも、効率がいい。



 ──歪みが、元に戻る。二人の姿が雪原から消える。



 二人が消えた後、シュエンはゆっくりと姿を現した。周囲の隠蔽魔法が解除され、白い外套をまとった背の高い男の姿が雪の中に浮かび上がる。雪が彼の肩に積もり始めるが、彼は微動だにしない。外套の上に雪が積もっていく様は、まるで彫像のようだ。

 彼は優雅に、ほとんど滑るような足取りで二人がいた場所へ歩み寄る。膝を折り、かがみ、手袋をはめた指で雪を払う。その動作は儀式的なまでの丁寧さで、考古学者が古代遺物を扱うようだった。

 指先が黒い液体の染みに触れる。死者の血だ。冷たく、生々しい粘性がある。そしてその傍らには、転移魔法の残滓が微かに光っている。魔力の痕跡は、消えかかっているが、まだ完全には散っていない。普通の魔法士には感知できないレベルだが、十分に鋭敏な存在なら追跡可能だ。


「さあて、どこかなぁ……」


 シュエンの琥珀色の瞳が、暗闇の中で明るく煌めき始める。月明かりに照らされた獣の瞳のようだ。唇の端がゆっくりと、不気味なまでに滑らかに持ち上がり、笑みを浮かべる。

 そして彼は、虚空に語りかけるように声を発した。声は吹雪に掻き消されそうな微かな音量だが、確かに届けるべき存在には届く。声の波動が、通常の音声とは異なる次元を震わせる。



「"黑曜様"。彼らの行先──どこですかねぇ?」



 問いかけが虚空に吸い込まれる。

 一瞬の沈黙。吹雪の音だけが響く。



 そして──応答が来た。



 音としてではない。言葉としてでもない。物理的な現象ですらなく、存在そのものが発する情報の直接伝達だ。


 シュエンの瞳の奥に、深淵のような黒い閃光が走る。視神経を焼くような鋭い痛み──いや、痛みというより、過剰な情報が神経を駆け抜ける感覚。思念が脳髄に直接焼き付けられ、理解を超えた方法で知識が移植される。

 鮮明すぎる地図が心の網膜に焼き付く。三次元の座標系が浮かび上がり、精確な距離が瞬時に計算され、絶対的な方位がコンパスの針のように指し示す。すべてが一瞬で、混乱も誤解もなく伝達される。言語という不完全な媒介を介さない、純粋な理解。これが「黒曜様」と呼んでいる──あの変異体との、通信方法だ。



 長年探し求めていた地図が、心の目に鮮明に浮かび上がる。欠けていた最後のピースが埋まり、完全な絵となる。七年間、幻のように捉えどころのなかった場所。噂だけが囁かれ、実在するかさえ疑われていた幻想郷の位置と思われる座標を──掴んだ。


「……ついに」


 声には、長い年月を経た達成感が滲む。七年。組織の任務に忙殺され、集中して探していなかった時期もある。危険を冒してまでわざわざ接近したのも今日が初めてだ。それでも、幻のように逃避し続けていた場所が、ついに手中に収まった。

 シュエンはそっと拳を握りしめる。革手袋がきしむ音。雪がその手の甲に積もり始めるが、気にしない。寒さなど、もはや感じない。


 やっと、そこまでの切符を掴んだ。"防衛計画"のためのすべての手が、もうすぐ揃う。


(ほうら、詰めが甘くなる……)


 内心で嘲笑う。完璧を目指す者が、最後に感情に流されれば、こうして痕跡を残す。女が少年を守ろうとしたその情動が、彼らの隠れ家を暴く手がかりとなった。

 皮肉なものだ。秩序にのみ従い、感情を排していれば、こんな失態は犯さなかっただろうに。だが、それが生き物の限界か。いや、彼女はもはや生き物ですらなく、それでも「感情」という枷から逃れられない。


 彼はゆっくりと立ち上がる。背筋を伸ばし、雪が外套からざらりと落ちる。白い粉雪が舞い、すぐに吹雪に消える。


「……では、ご挨拶に行くとしますか」


 呟きと共に、シュエンの体が雪の中に溶けるように消える。今度は自身の転移魔法を発動させる。空間を超えるものではない。より単純で、痕跡を残さない方法だ。彼の周囲の空気が揺れ、次の瞬間には何もいない。吹雪が彼のいた跡形も残さず覆い隠す。


 呟きと共に、シュエンの体が雪の中に溶けるように消えていく。今度は自身の転移魔法を発動させる。大規模な空間転移ではない。より洗練され、痕跡を残さない局所移動だ。彼の周囲の空気が微かに揺らぎ、密度を変え、次の瞬間には何もいない。吹雪が彼のいた跡形も残さず覆い隠し、すべてを白一色に戻す。



 残されたのは、雪上の黒い染みだけ。死者の血の証と、転移の微かな残滓。そして、琥珀色の瞳に刻まれた確かな座標。


 狩りではない。そんな野蛮な行為ではない。

 あくまで──人々を守るための、秩序をもたらすための、友好的な話し合いのために。


 シュエンの笑みが、最後に闇に消える。



 計画は完了に向かって動き始めた。

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