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END OF HOPE:21xx - Last Call  作者: 久遠-kuon-
Interlude II: 21xx - Inhale Exhale
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Interlude II: 21xx - Inhale Exhale "未明"

 その夜、自室で眠っていたルイだったが──ふと、まだ夜が深いうちに、浅い眠りからはじき出されるように目覚めてしまった。

 時計を見れば、日付は確かに変わっていた。つまり、今日。数時間後には、琴葉や響哉と共に、訓練を兼ねて澄幽の外へと足を踏み出すことになっている。シアも同行する予定だ。今回の目的は日帰りの実地訓練であり、同時に澄幽周辺の見張りも兼ねている。

 ただ──眠りが十分に取れないことは、不安の材料となる。ルイはこめかみを指で押さえ、深く、重い溜息を吐いた。吐息が冷たい室内の空気で白く霞む。


 ──あの遠征で、記憶を取り戻してからだ。

「守りたい」「強くなりたい」という焦燥感が、心の奥で絶え間なく燻り続け、眠りは浅く、見る夢も、かつての断片的な光景や、漠然とした不安に満ちたものばかりになっていた。


 ルイはベッドから静かに起き上がり、窓の外を見た。偽りの星空が、相変わらず無機質に、しかし美しく瞬いている。だが、その光は、何も答えを与えてはくれない。


(……少し、外の空気を吸いにいこう。落ち着くかもしれない)


 そう決めると、ルイはベッドサイドに掛けてある上着を手に取り、それを羽織る。布地が肌に触れる感触は、少しひんやりとしていた。

 できるだけ音を立てないよう、慎重に部屋のドアを開け、暗い廊下へと一歩を踏み出した。



◇◆◇



 澄幽の夜は、静謐そのものだった。

 虫の声も、風の音も、すべてが穏やかに響いている。ルイは霧渡りの橋へと向かった。橋の上から見る景色が、いつも心を落ち着かせてくれるからだ。


 橋を渡り、ぼんやりと歩き続け──足が止まったのは、試刃院の前だった。


(……来てしまった)


 無意識に試刃院まで足が向いてしまった自分に少し戸惑いながらも、ルイはその場に立ち尽くしていた。



「──ねえ」


 その時、建物の奥──おそらくは中庭か、開け放たれた縁側からか、ひそひそと、しかし夜気を切り裂くほどに水晶のように澄んだ声が風に乗って流れてきた。間違いない、琴葉の声だ。

 呼びかけだったが、それはルイに向けたものではない。まだ、琴葉はルイの存在に気付いていない。

 ルイは反射的に、近くにある老いた梅の木の陰へと身を隠した。冷たい樹皮が背中に触れる。息を殺し、鼓動の音さえ聞こえないように耳を澄ませる。


「……お願い。あの子たちは……絶対に、死なせたくない。どうしても守りたい。貴方も協力して」


「──協力?」


 ざらりとした、低く、冷たく、普段の飄々とした響きとはまるで異なる声。一瞬、それが誰なのか判別できなかった。


「ハッ……おかしなこと言うな。俺が、いつお前の味方じゃなかったって?」

(響哉……か? でも、この声……)


 それは、ルイが知っている、軽口を叩き、時に茶化すような響哉の声ではなかった。刃物の峰でこするような、研ぎ澄まされ、どこか神経を逆なでするような苛立ちと、拭いきれない深い諦念が混じり合った、重苦しく陰鬱な響きだった。夜の静寂が、その声の荒々しさをいっそう際立たせている。

 様子が気になる。だが、動けば確実にどちらかはルイの存在に気付くだろう。ルイはその場に縛り付けられたかのように、冷たい梅の木の幹に寄りかかり、動けなくなった。



「いつだって、俺も、お前も、味方のことは全力で守ってきただろ。それでも全員死んだのは、あの時の連中が甘かったせいだって、何度も言ってんだ」

「違う……違うわ。もっと、私たちにできたはずなの。あの時、もっと早く気づいて、もっと強くて……!」

「いつまでも過去のことの"もしも"を噛んでんじゃねえよ。……ああ、でも、確かにできたはずっつーのはそうかもなぁ」


 響哉の声が、さらに低く、危険な含みを帯びて続く。


「お前が、"本来あるべきように"、異能者も魔法士もそれ以外も、見かけ次第ぶっ殺してたら、こうはならなかったもんなあ。『見逃す』って優しさが、結果的に墓穴を掘ったんだ」

「……っ!」


 琴葉の、息を詰まらせるような小さな声が聞こえる。それは、否定ではなく、痛烈な真実を突きつけられた苦悶の音だった。


「……もう、あんな風には躊躇わないわ。"あの時の私が間違っていた"って、認めたでしょう!」

「信用できねえなあ。だってお前は、過去の自分の決意を、今まさに裏切ってんだから」


 一瞬、沈黙が流れる。その重さが、夜気をさらに冷たく感じさせる。


「『もう二度と、外に出さない』。あれは、誰よりもお前自身への誓いだったはずだ。でも、アイツら二人――"ルイ"と"シア"を外に出すことを、お前は許容している。いや、積極的に推し進めてる。


 まあ、俺個人としてはいいんだぜ? アイツらが外の世界を見たい、強くなりたいって望んでんだから、好きにさせてやったらいい。人生一度きりなんだからな、思いっきり生きて、そこで死んじまったら、それは自分で自分を呪えって話だ。

 だが、な。それで死んだら、終わりだ。戻ってこない。もう二度と……あのバカ笑いも、ギャーギャー騒ぐ声も、聞けなくなる。それが、お前の望む結末か?」



 長い、苦い沈黙。


 ──そのあと、微かに床の板材が軋む音が聞こえてきて、ルイの心臓が一瞬止まりそうになった。

 二つの足音が、こちらに向かってきている。近づいてくる。だが、まだ立てない──いや、ここから去りたくない。何が起こるのか、最後まで知りたいと、理性を押しのける本能が叫んでいる。


「……守るためなら、私はどうなっても構わないわ」


 声が近付いてきた。


「絶対に守る。守るためなら、なんだって犠牲にする。盾にだって、なんだってなる」

「それじゃ足りねえよ。いつもお前は後手に回ってばっかり。お前のいないところで、たくさんの奴が死んだ」

「澄幽を離れた二年、ずっと狩ってきたじゃない! これからもそれを続けるわ。守るためなら……この手を、どんなに汚したっていい!」


 その時、ドンッ! と、鈍く重い音がして──ルイはその瞬間、自分が身を隠しているということも忘れ、反射的に飛び出していた。



 試刃院の玄関口に一歩踏み入れ、暗がりの奥の方に、響哉の幅広い後ろ姿が見えた。琴葉の姿は直接は見えない──いや、響哉と壁の隙間に、彼女の白いドレスの裾が、まるで捕らわれた蝶のように、無力に、微かに揺らいでいるのが見えた。


「……あんま適当なことばっか言ってんじゃねえぞ」


 響哉の声は、氷の刃のように低く鋭い。思わず、ルイも喉が詰まり、呼吸を忘れた。胸の鼓動が耳朶を打つ。


「覚悟が決まってんなら、ルイとシア、律灯と珠桜様も連れて、ヴァルケイアの亡霊の方の領域を潰す。その後で、東のあの魔法士の国も、根こそぎ潰しに行く。お前の魔法と、シアの異能、それに珠桜様の力があれば、できんだろ。一気に片付けちまえ」

「……駄目、それは危険すぎる……っ、そんな無謀な……ッぐっ!」


 琴葉の反論が、苦しげな呻きと共に歪み、途中で潰れる。

 夜目が徐々に暗闇を浮かび上がらせる。──響哉の大きな手が、琴葉の黒いジャケットの襟元を鷲掴みにし、軽々と彼女の体を床から引き離す。琴葉の足が、無様に虚空を蹴るのが、ぼんやりと、しかし痛々しく見て取れた。



「危険になったら、お前が庇って死ねばいい。何回でも俺が直してやるからよ。

 何回でも何十回でも何百回でも。俺たちの代わりにお前が死ね。お前はそれを望んでるだろ?」


 そのあまりに非情で、琴葉の存在を道具のように扱う冷徹な言葉が終わった時、響哉は掴んだ手をぱっと離す。ドサッ! と、重い物音と共に、琴葉の体が床に無造作に、崩れ落ちるように落ちた。


 ゆっくりと、何かに抗うように彼女が顔を上げたとき──乱れた黒い前髪の隙間から覗く、その深紅の瞳が、玄関口に立ち尽くすルイを鋭く捉える。完全に、はっきりと、逃げ場のないまでに。

 視線が交わる。一瞬、時間そのものが凍り付き、全ての音が消え去った。

 ──そして、彼女のガラス玉のような目を濁らせる、狼狽、羞恥、そして深い絶望の色を、決して見逃すことはできなかった。


「……さっさと覚悟決めろよ。それか、お前が、俺と二人で、その全部潰せばいい。どっちも、ここ見つけたらすぐにぶっ壊しに来るぞ」


 ──琴葉の凝固した視線を追って、響哉が振り返った。その銀灰色の瞳が、暗がりの中でも微かに光り、玄関口に立つルイの姿を認めると、僅かに──しかし確かに、驚きの色を宿して目を見開いた。



「……おっと。なんだ、"ルイ君"。随分と早起きだなあ、おじいちゃんかよ」


 響哉の声は、先ほどの重苦しく鋭いトーンから一転、あたかも何もなかったかのように、普段のどこか軽薄で人を小馬鹿にしたような茶化した調子に戻っている。

 ──だが、その口元に引っ掛けた笑みは、目元には一切届いていない。


「まだ起きるには早いぜ? あ、もしかして寝れなかったか? だったら一緒に寝てやろうか、俺の布団なら広いぜ? 任せとけよ。ちっちゃい時は律灯のこと寝かしつけたりもしてたんだぜー?」


 ──動けない。ルイの足は地面に釘付けだ。まだ床に座り込んだまま、白い拳をぎゅっと握りしめ、肩を細かく震わせている琴葉から、目が離せない。

 それを察したのか、響哉は大袈裟に息を吐いた。


「……まー、なんだ」


 響哉が、大きく伸びをして、首をポキポキと鳴らす。その乾いた音が、張り詰めた沈黙を破り、緊張した空気をさらに鋭く切り裂いた。


「お前のセンセーだって、完璧超人じゃないんだ。悩んで、迷って、時にはダサいこと言っちゃうことだってある。そういう時は、優しい目で見逃してやってよな、ルイ君。先生ってのも大変なんだからさ」


 その言葉は、ルイへの気楽な言い訳のようにも、琴葉への追い打ちのようにも聞こえた。

 彼はだらりと片手を上げ、ルイの頭の上へ。一瞬、ルイは身構えたが──それは、乱暴そうでいて意外に軽い力加減で、ポンポンと髪を二、三度撫でるだけだった。その手は、冷たかった。



「んじゃ、おやすみ」


 ひらひらと、投げやりに手を振り、響哉は闇の中へと歩み去っていった。足音はすぐに消え、彼の気配も霧散する。

 残されたのは、ルイと琴葉だけ。そして、響哉が残していった、淀み、重く沈殿するような空気だけが、その場所を支配していた。

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