Interlude II: 21xx - Inhale Exhale "錬身" - 3
「最後、ルイ君」
珠桜がルイを、目元に優しい笑みを浮かべて手招きする。ルイは緊張した面持ちで、深く一度深呼吸をし、前に出た。白砂が靴の下でかすかに軋む。
「頑張れー、ルイ!」
シアが、縁側から身を乗り出し、両手を小さく握りしめて精一杯の声援を送る。ルイは彼女の方へ一瞥し、緊張をほぐすように小さく頷き、珠桜と真っ向から向き合った。琴葉は鋭い観察眼を、響哉は興味深そうな視線を、律灯は静かな期待を、それぞれルイに注いでいる。
「準備はいい?」
「……はい! よろしくお願いします!」
ルイの踏み込みは、琴葉の「静謐な疾風」ほどの超絶的な速さはなく、響哉の「地を揺るがす重歩」ほどの圧倒的な重さもなかった。だが、その動きには独特の軽やかさと、どこかしら野生の「狩り」を思わせる、隙を伺い、機会を虎視眈々と狙う滑らかさがあった。足音を極限まで殺し、珠桜の懐へと、風に乗る枯葉のように、しかし確実に隙を縫って滑り込む。
右の拳が、珠桜の顔面を狙う。珠桜はそれを手の平で流すように払い、ほぼ同時にルイの腹部へ掌底を放つ。一瞬の遅れもない連撃。
ルイは体を鋭く捻り、それを紙一重でかわす。そして、避けた勢いと反動を利用し、まるでバネのように珠桜の脇腹へ蹴りを放つ。
珠桜は腕を下ろし、しっかりとその蹴りを受け止める。衝撃を吸収すると同時に、そのままルイの足首を鷲掴みにする。
──だが、ルイはその瞬間、掴まれた足を軸に跳んだ。もう片方の足で珠桜の側頭部を蹴ろうとする、大胆な反撃。
「おっ」
珠桜が、本当に予想外だったかのような、かすかに驚いた声を上げ、顔を素早く引く。ルイの足先が、珠桜の漆黒の髪をかすめ、鋭い風を切る音だけを残して虚空を斬った。縁側から、シアが思わず「わあ!」と小さく声を上げた。
ルイは着地と同時に、躊躇うことなく再び踏み込む。今度は腰を深く落とし、低い姿勢から下段への蹴りを鋭く入れ、珠桜の足元を崩そうとする。
珠桜はそれを軽やかに跳んで避けるが、ルイはそのまま体を回転させ、遠心力を利用した強烈な回し蹴りを放つ。白砂が舞い上がる。
珠桜は両腕を前に突き出し、しっかりとそれを受け止める。「ドン!」という鈍い音が響き、衝撃が珠桜の腕を通じて体に伝わる。だが、その瞬間──
珠桜の左拳が、ルイの無防備に開いた腹部──蹴りを放った反動で守りが手薄になった急所に、吸い込まれるように、しかし決して殺傷力のない程度に確かに沈み込んだ。
「っ……ぐはっ!」
ルイの目が大きく見開かれる。鋭い、しかし短い痛みと共に息が詰まり、体が一瞬硬直する。膝が折れ、うずくまりそうになる衝動を抑える。
「今、攻撃一点に集中しすぎて、胴の守りが完全にお留守だったよ。蹴りを放った後の体勢、崩れすぎだ」
珠桜が静かに、しかし明確に、戦場を想定した冷徹な指摘をした。ルイはその場で膝をつき、額に汗を浮かべながら、必死に荒い息を整えようとする。腹には鈍い痛みが残り、動作の甘さを痛感させられる。
「俊敏な動きと、隙を突く発想、それから不利な状況でも反撃を狙う貪欲さはすごくいい。琴葉の理論的な完璧さと響哉の実戦的な強さの、いいとこ取りを目指してる感じがするね。頭を使う、響哉って感じ」
「俺だって頭使って戦ってるが?」
「君の素敵なところは、理屈じゃなくて、『何が何でも沈めに行く』っていう本能的な貪欲さだよ、響哉」
横から入る響哉のツッコミを、珠桜はさらりと流し、ルイに目を戻す。その視線は厳しいが、期待も含まれている。
「今の最大の問題は、攻撃に夢中になりすぎて、自分自身の防御が疎かになってることだ。これでは、相手が君の一撃で倒れなければ、次の瞬間に君が確実に倒される。戦いは一発勝負だけじゃない。持続性と自己防衛がなければ、長くは戦えない」
珠桜が一歩近づき、ルイの頭に、そっと温かい手を置く。その触れ方は、叱責というよりは、次への励ましのようだった。
「ルイ君も、居残り決定。琴葉と一緒に、基本からしっかりと見直していこう」
その宣告に、ルイは唇を噛みしめ、深くうなずいた。悔しさと、もっと強くなりたいという渇望が、その緑色の瞳に強く燃えていた。縁側の琴葉は、少し複雑な表情でルイを見つめ、響哉は「ああ、やっぱりな」といった風に小さくうなずいた。シアは心配そうな眼差しを送り、律灯はその奮闘を静かに記憶に刻んでいるようだった。
◇◆◇
珠桜は、琴葉、そしてルイをゆっくりと順番に見渡し、最後ににっこりと──今度は芯から楽しそうな、子供が新たな遊びを見つけたような輝きを宿した笑みを浮かべた。
「琴葉。そしてルイ君」
ルイと琴葉が、少し複雑な表情で顔を見合わせる。
「今日はたっぷりと時間をかけて、二人を"調整"させてもらうからね。もちろん、二人とも私が心の底から納得するまで──魂の底から『合格』だと思えるまで、澄幽の外には一歩も出さないよ」
その笑顔は、春の陽光のように暖かく、そして深淵のように容赦がなかった。優しさと厳しさが、絶妙な調和で混ざり合い、それはあまりにも美しく、そしてまさに「慈悲深き悪魔」のそれだった。縁側で見守るシアは、思わず手を胸に当て、「うわあ……がんばって、二人とも……」と小さく、しかし確かに届くように呟いた。律灯はそっと目を閉じ、「……今日も長引きますかね」と、ほんのりとした──どこか同情と、ある種の安堵の入り混じったため息を、ごくかすかに漏らした。




