Interlude II: 21xx - Inhale Exhale "繋手" - 2
彼は、つい気恥ずかしさから少し視線を落とし、橋の古びた石畳の、苔むした継ぎ目を見つめながら、付け加える。声は少し小さくなった。
「……琴葉とか、響哉の魔法も、もちろんすごいのは知ってるよ」
ルイは、そっと目を細め、遠くの滝つぼから立ち上る細かい水煙を眺めるように言った。
「切の無駄がなくて、精密で。戦況に応じて、爆発的な火力も、繊細無比な制御も、まるで呼吸するように自然に使い分けてくる。常に最適解を選び、出す。計算されつくしているんだ」
彼は、一瞬言葉を切った。谷風が、彼の前髪を揺らす。
「でも……」
ルイは、ゆっくりとシアの方に視線を戻した。その緑色の瞳は、迷いがなく、かすかに柔らかな光を宿していた。
「それでも、俺は……」
少し間を置き、確かに息を吸ってから、言葉を紡いだ。
「……シアの魔法が一番、好きだよ」
シアの息が、ほんの少し止まったように見えた。
「勢いがあって……多分、ちょっと初々しくて。完璧じゃないからこそ、必死さが伝わってくる。放たれる瞬間には──」
ルイは、思わず小さく笑みを漏らした。あの戦場で、シアが魔力を解放する瞬間の煌めきを思い浮かべて。
「──キラキラと、星みたいに輝いてる。見てるこっちまで、なんだか……力をもらえるような魔法だ」
その言葉が、静かな橋の上に、優しく落ちた。
──シアの瞳がみるみるうちに潤み、蓄えられた涙が光の粒のように煌めき始め、溢れんばかりになっていることに、彼はまだ気付いていない。
「って、そういえば、あの時琴葉に酷いこと言ったな……あれも後でちゃんと謝らないと……」
「ル、ルイぃ……!」
ようやく、不自然なほどの沈黙と、かすかに詰まりかけた息づかいを感じて、ルイは慌てて顔を上げた。
そして、驚いて、目を見開いた。
「シ、シア……? な、なんで泣いてるんだよ……」
「だって……! だって……!」
シアは慌てて両手で顔を覆い、指の隙間から涙がぽろぽろと零れ落ちる。肩が小さく震え、こぼれる嗚咽を、歯を食いしばって必死に押し殺そうとしている。
「ルイが……私のこと、そんな風に思ってて……ちゃんと見ててくれて……そんなこと言ってくれるなんて……私……私……!」
言葉は涙に咽んで続かない。ルイはただ、困ったように、そしてどこか自分の不用意な言葉で彼女をこんなに動揺させてしまったという申し訳なさそうな表情で、彼女の震える肩を見守るしかなかった。が、その慌てふためく胸の奥底では、ある確かな、ほんのりとした温もりが、ゆっくりと静かに広がっていた。それは、守るべきものを守れた安堵でも、絆が深まった喜びでもあった。彼の口元には、気づかないうちに、深い慈しみと、かけがえのない光景を目にした者のような、満ち足りた、穏やかな笑みが浮かんでいた。
◇◆◇
やがて、二人は霧渡りの橋を渡り切り、小さな広場のような静かなスペースに辿り着いた。そこには古びた木製のベンチが一つ置かれ、周囲には色とりどりの花が、まるで誰かが丹精込めて植えたかのように咲き乱れていた。藍色のリンドウ、淡いピンクのコスモス、可憐なスズラン──全てミコの力が生み出した、現実には存在しえない儚い幻想。その甘い香りが、微かに風に乗って漂う。
「少し、座ろうか」
「うん」
二人は並んでベンチに腰を下ろした。古い木材が微かに軋む。シアは膝の上で両手をきちんと組み、少し緊張したように背筋を伸ばしている。白銀の髪が肩にかかり、花の色に映えて一層輝いて見えた。
「……ねえ、ルイ」
「ん?」
「これから……私たち、どうなるのかな」
シアの声は、未来への漠然とした不安と──以前の彼女であればなかったかもしれない、それでも前を向かねばならないという覚悟が入り混じっていた。
ルイは少し考えてから、静かに、しかし確かに答えた。
「また、何かが起こるかもしれない。戦わないといけなくなるかもしれない」
「……うん」
「わからないことだらけだ。でも……」
彼は空を見上げる。灰色の雲に覆われた、本来の終末世界の空ではなく、ミコが力の限りに創り出した、透き通るような青い空。それは確かに偽物で、どこか絵画のような不自然さを孕んでいる。それでも、その青さは、ルイの心に染み渡るほどに美しかった。
「この場所を、絶対に守りたい」
「……」
「シアや珠桜さんたちが、安心して笑っていられる場所を。何があっても守りたいんだ」
シアは、ルイの真剣な横顔を見つめていた。彼の緑色の瞳が、遠くの青空と同化し、決意の光を静かに宿している。その姿に、シアの胸が高鳴り、熱いものがこみ上げてきた。
「私も……」
シアが、小さく、しかし芯から絞り出すように呟く。
「私も、守りたい。ルイを……みんなを……この場所を」
彼女の声はかすかに震えていたが、そこに込められた決意は、揺るぎない確かさで伝わってきた。ルイはゆっくりと彼女の方を向き、そのアメジストの瞳をまっすぐ見つめた。彼女の瞳にも、同じ意志の炎が燃えているのを見て取った。
「……じゃあ、一緒に、守ろう」
「うん!」
シアが、こぼれんばかりの満面の笑みを浮かべる。その笑顔は、広場に咲くどの花よりも、そしてミコが創り出した青空の下で煌めくどんな魔法よりも、ルイの心を眩しく照らした。
しばらくの、心地よい沈黙が流れた。風が花畑を揺らし、かすかなざわめきを立てる。やがて、シアが恥ずかしそうに、しかし勇気を振り絞るように口を開いた。
「あの……ルイ?」
「ん?」
「手……繋いでもいい?」
その言葉に、ルイの頬が思わず、ほんのりと赤く染まる。彼は咳払いを一つし、少し間を置いてから答えた。
「……ああ。いいよ」
そっと差し出されたシアの小さな手が、ルイの少し大きな手のひらに重なる。
彼女の手は繊細で、温かく、そして今、ほのかに震えていた。ルイはその震えを包み込むように、ゆっくりと、優しく握り返した。指と指が絡み合う。
「……ありがとう」
ルイが、ほとんど息遣いのように、小さく言葉を溢した。
「何が?」
「こうして……側にいてくれて」
ルイの声は、いつもよりずっと柔らかく、深い安らぎに満ちていた。それは、戦いの中で見せる鋭さとは全く別の、彼のもう一つの顔だった。シアは驚いたように目を見開き、そしてすぐに、はにかむような、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべて言う。
「……私こそ、言いたいよ。ルイがここにいてくれるから……私、前に進む勇気が湧いてくるんだ。どんなに怖い時でも、頑張れるんだよ」
二人は、繋いだ手をそっと離さず、ただ静かに並んで座り続けた。
風が再び吹き、幾枚もの花びらがひらりと舞い上がり、二人の周りを優しく旋回する。それは偽りの楽園の中で生まれた、偽りの花びらだった。しかし、手と手が伝え合う温もり、互いに寄り添う心の距離は、何よりも確かで、紛れもない現実だった。




