第x話 混沌、胎動する刻:死者の巡礼 - 2
彼女の血色の瞳が、相手の男を、物を調べるようにじっと見つめる。その視線には、もはや"友達"を見るような親しみはなく、理解できない不可解な物体に対する、純粋な好奇と苛立ちが混じり合っている。
「寂しくないの? みんな、みーんな、死んじゃうんだよ?」
彼女は一歩、無音で踏み出す。足元の血の華の模様が、彼女の動きについてくるように微かに形を変える。
「お友達になって、ずーっと一緒にいて、守ってあげないと」
彼女の片方の口角が、ゆっくりと、不自然に吊り上がる。それは笑顔なのか、嗤いなのか、判別できない歪みだ。
「い、意味が分からない……! お前は……狂っている!!」
「……なんで分からないの?」
リタは首をかしげる。その仕草は、一見すればどこにでもいる無邪気な少女のものだ。しかし、その動きに合わせて、周囲に群がる無数の亡霊たちが、一斉に、軋むような音もなく一歩を踏み出した。骸骨の足が瓦礫に触れる音、黒衣が風にたなびく気配──すべてが、彼女のほんのわずかな動作に完璧にシンクロしている。彼女こそが、この死の交響楽団の唯一の指揮者なのだ。
「欲しいものは手に入れないと、なくなっちゃうって、ファロンが言ってたよ。
弱い人は守らないと、みんな死んじゃうって、ミレディーナお姉様が言ってた」
彼女は、思い出の中のものとなったその言葉を、今ここにいない彼らの声色さえまねて、軽やかに引用する。それは、彼女の中では確固たる真理であり、この世界を生きるための、正しいルールだった。
「……大切な人を守りながら、弱い人も守る。ボクは正義の味方!」
彼女の声が高らかになる。眼帯の下からも、何かが熱く脈打っているように見えた。
「エゼとずーっといられる、この世界がだーいすき! 長生きしたいよね! だから、壊されそうなものは、全部、全部、ボクが──」
彼女は自分の胸に、小さな手を当てる。
「──ぼくのものにして、守ってあげるの!」
その宣言は、愛であり、所有欲であり、そしてこの廃墟世界に対する絶対的な支配の宣言だった。
「──なにを言っているかさっぱりだ」
リーダーの顔面が蒼白になる。理性が、眼前の存在を処理できない。彼は必死に仲間の腕を掴み、後退る。「逃げるぞ。こいつらとは……こいつらとは話が通じない! 人間じゃない!」
「……」
その言葉を聞いたリタは、ほんの一瞬、動きを止めた。
そして、彼女の表情から、最後の一片の無邪気さが剥がれ落ちた。口元が、ゆっくりと、ゆっくりと、への字に曲がる。
彼女は、そっと目を閉じた。
「なら、いいよ」
彼女の顔が、再びぱあっと明るい笑顔に戻る。
開いた目には、もはや何の迷いもなかった。あるのは、研ぎ澄まされた、遊びの時間が始まるという静かな期待だけだ。
「──死んで、こっちにおいで♪」
彼女の左腕──眼帯で覆われた側の腕から、鮮やかな赤い血がにじみ出し、滴り落ちる。しかし、それは地面に落ちることなく、空中で微細な赤い霧へと変化し、死の気配を運ぶ風に乗って、あっという間に三人の異能者を包み込んだ。
「《Subjugate》」
赤い霧が彼らの皮膚を、目を、口を覆う。その直後──三人の絶叫が、靄に包まれた領域に鋭く響き渡る。苦悶、恐怖、絶望。その声は、亡霊たちをますます活発にさせ、彼らはうごめき、騒ぎ立てる。
リタはその叫びを聴きながら、目を閉じ、小さく体を揺らしている。まるで、それはヒーリングミュージックであり、子守唄であるかのように、うっとりとその響きを堪能している。
数分後。叫び声は止んだ。
赤い霧が散ると、そこに立つ三人の異能者は、穏やかで安らかな笑顔を浮かべていた。その目は虚ろで、内側の灯は完全に消えている。そして、彼らは揃って、自分たちが所持していたナイフや短剣を、ゆっくりと、しかし確実に──"自分の喉元へと突き立てた"。
鈍い音。鮮血が噴き出し、彼らの体がゆっくりと崩れ落ちる。流れ出た血は地面に広がり、元からあった黒い影や血の痕と混ざり合い、新たな暗い模様を描き出す。
エゼキエルが、静かに、ほんのわずかに指を一つ鳴らす。その音は、乾いた骨の擦れるような、小さくも鋭い響きだった。
三人の倒れた身体の、まだ温かみさえ残る影が、突然深淵のように濃くなる。そして、その闇の水面から、ふわり、ふわりと──三つの半透明の魂が、まるで水から引き上げられる水死体のように、ゆっくりと這い出てきた。彼らの姿は生前のままだが、すべての色は褪せ、輪郭は微かにゆらいでいる。顔には、苦悶の皺も、恐怖で見開かれた瞳孔の跡もない。ただ、深く、底なしの安らぎが、まるで麻薬のように満ちていた。そして、その虚ろな瞳の焦点は、例外なくリタの小さな姿に定まり、そこに無条件の献身と、消えることのない忠誠が刻まれている。
『……リタ、様』
『東へ……東へ……』
魂の声は、かすれた風のささやきのように、直接脳裏に響く。
「わあ! お友達、増えたね! 三人も! やったー!」
リタは小さく飛び跳ね、足元の血の水たまりをはねさせる。彼女は振り返り、エゼキエルの冷たい、青白い手を、自分の温かい両手で包み込むように握った。
「エゼは、ボクのこと分かってくれるよね?」
彼女の声は、突然、ひどく真剣で、どこか脆げに響く。
「ボクといられるこの世界が、一番好き? 誰にも邪魔されないで、ずっと、ずっと、一緒にいられるよね?」
エゼキエルは、彼女の輝く片目──血色の、狂気の灯を宿したその瞳を、静かに見つめ返す。彼自身の瞳には、果てしなく積もった疲労と、逃れる術のない諦念が沈殿していた。だが、その底を流れるのは、この狂った少女に対する、これまでも、この先も変わることのない、ねじれた深い執着だった。それは愛情とも、呪縛とも、生きる目的そのものとも呼べる感情だ。
彼は、わずかに、ほんのわずかに力を込めて、彼女の手を握り返す。
「──うん。好きだよ」
彼の声は、枯葉が擦れるようにかすれていた。
「この世界も、リタも。全部、好きだ。ずっと、一緒だよ。約束だ」
リタの顔が、約束の言葉で再び明るく輝く。彼女はエゼキエルの手をぶらぶらと大きく振りながら、東の空を見上げた。
「じゃあ、行こっか! 東! 新しいお友達に、会いに──まずは、ボクたちの"思い出の場所"へ!」
エゼキエルは小さく頷き、影を操って亡霊の軍勢を整列させる。彼女を止めるのは無理だと、今回はエゼキエルの方が折れてしまった。
新たに加わった三人の亡霊は、まだ慣れない様子でその後ろに続く。そして、数十体、いや百体を超える無数の亡霊が、護衛と従者のように周囲を固める。
リタとエゼキエルは、その亡霊たちの中心で、しっかりと手を繋いだまま、ゆっくりと歩き出した。
ヴァルケイアの、常に薄汚れた雲に覆われた青白い空の下、不気味で壮麗、そして圧倒的な寂しげな行列が、静かに、しかしこの土地の法則を塗り替えるように進んでいく。
彼らが通った後には、生気を吸い取られたかのように植物が枯れ、血と蠢く影でできた足跡が、地面に焦げ付くように残される。それはゆっくりと沸き立ち、瘴気を放ち、やがてこの終末の風景にまた一つ、新たな「死者の祭壇」の分域を刻みつけていく。その痕跡は、すべてを平等に忘却へと運ぶ終末の風にさえ、簡単には消されないだろう。
むしろ、風さえもが、彼らが残した死の気配を遠くまで運び、新たな呼び水とするのかもしれない。




