Interlude I: 20xx - Lost Star "Étoile" - 3
その時、廃工場の外から、複数の慌ただしい、重い足音と鋭い怒声が響いてきた。それは、現実という荒波が、この個人的な悲劇の領域に押し寄せる音だった。
「ここだ! 異常な星溶粒子の反応があった!」
「異能の大規模暴走か!? 急げ! 周囲を封鎖し、中を確認せよ!」
白い防護服を着た男たちが、冷たく光る武器を構えながら、次々とホールに踏み込んでくる。イージス・コンコードの緊急対応部隊だ。彼らは、この一帯で検知された星溶粒子の異常な急上昇──ファロンの"修復"から始まった一連の波動──を危険信号と判断し、急行してきたのだった。
「これは……!」
先頭の指揮官らしき男が、荒れ果てたホールを見渡し、息をのんだ。
その中央に、無数の枯死した植物の残骸。力が抜けた女性の身体。血と涙と絶望にまみれた男と、その腕の中で意識を失った幼子を発見したのだ。
急いで先頭がそれに近付いていく。
「……女性は、脈拍なし。瞳孔散大。死亡確認」
「子供は昏睡状態だ! 早く医療班を!」
「男を拘束しろ。子供は隔離保護だ。この二人は施設へ移送する」
別の隊員が、機械的で感情を剥ぎ取った口調で命じる。その目には、異能者に対する根深い疑念と、潜在的な恐怖がちらついている。彼らにとって、これは事故ではなく事件だ。
隊員たちが、ナサニエルの無抵抗な腕に冷たい金属の手錠をかける。その感触は、彼の皮膚の焼けつくような熱とは対極の氷のように冷たかった。
エレオノールの遺体は不透過性の黒い袋に丁寧に収められ、担架で静かに運び出される。ルイは、別の隊員に無理やり抱きかかえられ、父親から引き離される。
ナサニエルは──何も言えなかった。声帯が震えず、言葉の意味が消えていた。ただ、無力に、息子が未知の者たちに連れ去られていく小さな背中と──自分自身の手でその命の灯を消してしまった、最愛の妻が、袋という小さな闇に包まれて運ばれていく様子を、ぼんやりと見つめることしかできなかった。涙さえ、もう枯れ果てていた。目には、乾いた砂漠のような虚無が広がるだけだった。
──それが、ナサニエル・クレルヴォーが、家族という名の小さな宇宙と共にあった、最後の、永遠に色あせない時間の終わりとなった。
◇◆◇
その後、イージス・コンコードの迅速かつ非公開の"審理"で、ナサニエルは「異能の暴走により妻を殺害した危険分子」として有罪の烙印を押され、直ちに処刑が言い渡される。
真実がどうであれ、彼らにとって──特に、他者の異能を操り、大規模な星溶粒子乱流を引き起こす能力を持つナサニエルは、新世界秩序における最大の不安定要素、即座に切除すべき"癌"だった。
処刑は、裁定からわずか数時間後に執り行われた。執行役は、最高執行官である黒華珠桜自身の手によるものとされた。
その様子を監視カメラを通して見ていた職員によれば、執行前の独房で、珠桜とナサニエルは短い会話を交わしたという。その内容を、珠桜は誰にも報告せず、他の職員たちも敢えて知ろうとはしなかった。
幼いルイは、イージス・コンコードの地下施設に「保護」され──その実態は厳重な監視と管理下に置かれる軟禁状態──そこで、父も母もいない、色彩を奪われた孤独な日々を送ることになる。彼に芽生えた異能は、詳細に記録され、潜在的危険度の高い「監視対象」として、消えることのない烙印を押された。
◇◆◇
長い、白色に塗り込められた廊下を、青年──黒華珠桜は、肩に掛かった重くうっとうしいマントを微かに揺らしながら、"彼"のいる場所を目指して歩いていた。
通りすがりの者たちが、その姿を見て敬礼する者、その幼さが残る顔立ちに一瞬で嘲笑や好奇の色を浮かべる者──そのすべてが、「職務とはいえ、あの男の命を奪った」という、硝子のように鋭く重い記憶の前では、霞のようにどうでもよかった。彼らの視線は、珠桜の漆黒の瞳の奥底にある、冷たく凝固した罪悪感には、到底届かない。
『もし、叶うのなら……あの子が大きくなり、幸せを見つけられるように……どこかで、そっと見守ってはいただけませんでしょうか』
(……とりあえず、事件関係者としての聴取という名目で面会の許可は取れたけど……っていうか、この廊下長すぎ。一体誰が、こんな非効率で威圧的な巨大建造物を設計したんだ)
心の奥で、静かに毒づいていた。今の自分は、日本で生き延びた皆の前に立つ完璧な指導者でいる必要はない。この誰もいない冷たい通路では、少しだけ、仮面を緩めることが許されていた。それが、かすかな息継ぎの瞬間だった。
十数分近く、無機質な壁と定期的な監視カメラだけを見つめながら歩き、ようやく目的の隔離施設の前へと辿り着いた。
「最高執行官、黒華珠桜です」
──短い確認の後、すぐに受付の男性にその奥の部屋へと通された。
灯りも、色彩も、何もない空間。その中央の、冷たい床の上に、小さすぎる手枷と、言葉を封じるための口輪をはめられた、一人の男の子がぽつんと座り込んでいた。
深緑の髪は無造作に伸び、同じく深緑の瞳には──感情の波も、記憶の影も、何一つ映らない、深淵のような虚無だけが横たわっていた。
「……この子、元はどの地域の出身でしたっけ?」
「旧フランス圏、パリ郊外の記録があります。通訳の手配が必要でしたか、執行官?」
「いいえ、結構です」
付き添いの監視員が、事務的に続ける。
「……ただし、会話そのものが不可能である可能性を報告しておきます」
「え?」
「この子供は、記憶を失っています。出来事も、言語も、自身の名前さえも。本当に、全ての記憶を。現在は、基本的な生体反応以外、ほぼ反応がありません」
──今では、互いに疑似的な家族の絆さえ感じさせるほどに変わった、珠桜とルイの関係。
その始まりは、最高執行官と危険な監視対象としての、冷たくて、感情も言葉も通わない、ただ静かな時間だった。




