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END OF HOPE:21xx - Last Call  作者: 久遠-kuon-
Interlude I: 20xx - Lost Star
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Interlude I: 20xx - Lost Star "Étoile" - 2

 ファロンが、"修復"を始める。

 まずはこの建物から。彼が、エレオノールが生み出した生命の奔流に触れると、たちまち腐敗した金属やひび割れたコンクリートが、蜂蜜のように溶け、黄金の光に包まれて再構築され、新たな形へと生まれ変わっていく。荒廃した廃工場が、記憶の中の、無垢で輝かしい秘密基地へと、時を逆行するように復元されていく。錆は銀色に、割れ目は完璧な直線に、闇は柔らかな照明へと塗り替えられる。


 その"再生"が、延々と、機械的に続く。

 実際には、五分も経っていないのだろうが、その間が永遠のように思える。窓の外の風景も、モノトーンの荒野に、点々と不自然な緑のシミが滲み始めていた。だが、それはまだ、巨大なキャンバスに落ちた最初の絵の具に過ぎなかった。


「やめろ、ファロン……これ以上エリーに異能を使わせるな」

「まだ始めたばかりだろう? ナティ。君が力を貸してくれないからだよ」


 ファロンが冷たく、事務的に言い放つ。彼は、目の前の"修復"という神業に没頭している。

 その背後で、エレオノールの顔色が、打ち抜かれた蠟燭のように青白く変色していく。冷や汗が真珠のように額と頬を伝い、呼吸は浅く、速く、捕らえられた小鳥の羽搏きのようだ。無理な異能の継続的使用が、彼女の生命力そのものを燈火の油のように貪り、消費し始めていた。

 植物はどんどん増え続け、工場の床を絨毯のように覆い尽くし、錆びた鉄骨を伝って天井へと蔦を伸ばす。生命の祝祭。しかし──それと同時に、エレオノールの体が激しい痙攣に襲われ、眩い翡翠色の光が皮膚の下から、ひび割れたガラス容器から輝く液体が漏れ出すように、あふれ出し始めた。その不気味な輝きを──ナサニエルは過去に見たことがあった。


 異能を限界以上に使い込み、星溶粒子の海に溺れ、命の灯を消していった者たちの、最期の断末魔の光景。

 星溶粒子だ。異能の根源であり、危険な代償であるあの粒子が、制御を失い、暴走の嵐を彼女の内側で巻き起こし始めている。


「エリー!!」


 ナサニエルが駆け寄ろうとするが、生い茂る植物の生きた壁が、彼の行く手を頑なに阻む。蔦が毒蛇のように彼の足首に絡みつき、鋭い棘が革靴とズボンを易々と貫き、肉に食い込む。鋭い痛み。

 これは、ファロンが操っているのではない。エレオノール自身の、制御を失いつつある異能が、彼女を守ろうとする無意識の防衛本能として生み出したものだ。彼女自身が、自分自身の檻を作っている。


「パパ……! ママが、ママが……!」


 ルイの泣き叫ぶ声が、不気味に美化されつつある空間に、生々しい現実の楔のように打ち込まれる。幼い子供には、複雑な事情など理解できない。ただ、傍らにいる母親の身体から、美しくも恐ろしい光が溢れ出し、彼女が苦悶に顔を歪め、無言でうめいていることだけが、直感的に、痛いほどに伝わった。

 エレオノールの体が、ゆっくりと、しかし確実に、人間の形を脱ぎ捨て始めていた。肌は冷たい大理石のように透明感と硬質さを増し、その下を流れる血管が毒々しい蛍光緑の川のように光り輝く。銀色の髪は、一本一本が生き物のように蠢き、植物の蔦となって床のコンクリートに根を張ろうともがき、同化しようとする。


 ──変異体への変貌。


 星溶粒子が完全に制御を失い、人間という器に留まることができなくなった時、人は「何か別のもの」へとその本質を変えてしまう。もはや人間ではなく、エネルギーの悲鳴をあげる塊へ。

 ベリースヴェートのように安定するのは類を見ないと、変異体である彼女自身が語っていた。その結末は、ほとんどが──消滅である。



「くそっ……!」


 ナサニエルは決断した。彼女を止めるには、自分の異能を使うしかない。禁じ手を。

 彼は片手を前に突き出し、エレオノールに向けて異能を行使する。他人の星溶粒子に干渉し、異能をコントロールする力──それが、彼の能力だった。


「《Domination(ドミネーション)》──」


 ──コマンドは、虚空で散り、消えた。エレオノールの異能の暴走が、あまりにも激しい乱流となっていた。干渉のための意志の糸を投げかけても、嵐の中の蜘蛛の糸のように、触れる前にちぎれ、吹き飛ばされてしまう。彼女の内側は、もう誰の声も届かないほどの轟音に満ちていた。


 思いだせ。力の、他の使い方は。もっと粗暴で、決定的な、最終手段は。


「《Effa(エファ)》──」


 ──待て。


 一瞬、とどまった。


 本当に、削除していいのか?

 世界に緑を、生命を、そしてかすかな希望を灯し続けてきた、あの奇跡の力を。彼女自身が夢見てきた、"青い空"への道標である力を。この手で、永遠に消し去ってしまうのか?


(でも、このままじゃ……エリーは変異体に……永遠に、彼女でいられなくなってしまう……)


 ナサニエルの手が、強く、痛いほどに青白い光を放つ。必死に、エレオノールの内側で暴れ狂う星溶粒子の乱流を感じ取り、その激流の中に、己の意志という小舟で飛び込む。制御のレバーを、血の滲む手で握りしめ、引きずり下ろそうとする。エレオノールの異能の暴走が、ほんのわずか、しかし確かに、荒れ狂う海が一時的に凪ぐように、静まっていく。

 植物たちの壁の向こうで、彼女の苦悶の表情が、ほんの一瞬、緩んだ気がした。



「……《Effacer(エファセ)》!」



 こちらの効果は、より残酷で、決定的だった。彼女の周囲に広がった幻の森が、急速に鮮やかな色彩を失い、枯れ、みるみるうちに灰のように色あせ、崩れ、風化する砂のように消えていった。生命の祝祭が、一瞬で死の静寂へと逆戻りする。生い茂り、行く手を阻んでいた植物の壁が跡形もなく消え、彼女へと続く道が、無機質なコンクリートの床としてむき出しになった。


 道は開けた。だが、しかし。


 その瞬間、ドクンと、内側から臓器が捻じれるような鈍い衝撃がナサニエルの胸郭を貫いた。


 生命を生み出すほどの強力な力を、強引に"無"に戻す行為──その、過酷な代償だ。


(──……あ)


 自分の力が、制御の限界を遥かに超え、暴走という断崖へと滑り落ちつつあることを、骨の髄まで感じた。喉の奥に鉄錆と灰の味が広がり、耳の奥で高周波の耳鳴りが金属音のように鳴り始める。


「ぐ……っ!!」


 他人の異能、それも暴走する強大な力を制御し、削除するという行為は、己の星溶粒子を堰を切ったように消費し、自身の肉体という器に無理やり負荷をかける。

 彼の皮膚の下からも、制御不能な青白い星溶粒子の光が、汗のように滲み出し始めた。視界が靄のように霞み、体の芯から地獄の業火のように焼けるような熱が湧き上がり、意識の灯が風前の灯火のようにかすかに、危うく揺らめく。自分自身も、今や変異体へと落ちる淵に、片足を突っ込んでいる。


(駄目だ……僕まで……!)


 それでも、エレオノールの無事を、この目で確かめなければならない。彼は、かつて生命であった植物の残骸やがれきを、焼けつく手で掻き分け、四つん這いになって、這うようにして彼女の元へとたどり着く。

 ルイを必死に抱き締めていた彼女の肩を、震える、自分のものかわからなくなるほどに震える手で揺する。その途端に──



 彼女は、糸の切れた操り人形のように、全ての張りと力を失い、重力に従って静かに、しかし重たく地面に崩れ落ちた。



「エ、リー……?」


 慌ててその身体を抱え起こし、謝罪と慟哭の言葉を紡ごうとした。だが──喉が痺れ、声帯が震え、言葉は音にならなかった。ただ、無様な息遣いだけが漏れる。


 虚ろに開かれたペリドットの瞳から、鋭い知性も、深い愛情も、優しい光そのものが、完全に消え失せていた。遠い銀河の彼方を見つめるように、しかし何も映していない。焦点は定まらず、ただ虚空を漂っている。

 もう、胸の微かな膨らみ──命の鼓動の証しも、頬に触れるかすかな吐息の温もりさえも、感じられなかった。彼女の手は、かつて無数の生命を優しく生み出し、ルイの頬を撫でたその手は、今は冷たく、蝋のように滑らかで、尋常ではない重さを帯びていた。



『──彼女の異能の真の代償を、世界の誰も知らなかったのは、なぜだと思いますか?』


 声が聞こえた。脳髄の襞に直接染み渡る、ナサニエルにだけ届く、氷のように冷たく、雪のように優しい声。

 変異体、ベリースヴェート。この世で、おそらく最も深く異能と共生し、その危うさを骨身に刻んでいる存在。


『それは、彼女が、それを支払うことなく、生きていたからです。

 彼女の異能の"代償"は──肉体と異能そのものの、不可分なまでの強固な共生。肉体を損なえば、異能が生み出した全ては泡沫の如く消え、逆に、異能そのものを強引に奪われ、あるいは消し去られれば……その魂を宿す器である、命そのものも、共に失われるのです』



 ──力の制御など、もはや考えること自体が空虚な嘲笑に思えた。

 守りたいと願い、守るべき全てであった、たった一つの小さな宇宙が、目の前で、自分自身の選択と、自分自身の手によって、音もなく、色もなく、静かに消え去ってしまった。


 その時、小さな、冷たい、ひどく震える手が、ナサニエルの焼けつくような手の甲に触れた。


「パパ……」


 ルイだった。涙で頬を濡らし、全身を震わせながら、それでも崩れ落ちそうな父親を支えようと、必死に手を伸ばした幼い息子。

 その瞬間──ルイの深緑の瞳の奥深くが、淡いライムグリーンの光を、漆黒の宇宙に突如現れた新星のように迸らせた。それは、ナサニエルと同じ──紛れもない、異能の輝き。


 ルイの異能が、この絶望の極限状況下で開花した瞬間だった。

 幼い子供のまだ、何も解明されていない異能。しかし、その力は確かにナサニエルの内側で暴れ始めた星溶粒子の乱流に触れ、それを無理やり──"鎮静"させた。

 いや、それ以上だった。その奥にある、暴走の根源そのものを、幼子の無意識の慈愛と恐怖が、優しく、そして残酷にも"奪い去って"しまった。ナサニエルが、エレオノールにしたことを、無意識の鏡のように映し出した行為だった。



「削除」。父を救うための、唯一無二の手段として、幼きルイの本能が選んだ行為が、父の力そのもの、異能という存在の根幹を、そっと消し去った。



 ふっと、目の前の小さな体から、全ての力が抜けた。ルイの瞳に宿っていた神秘的な光が消え、目が伏せられ、その身体は人形のようにぐったりと力なく垂れた。


「ルイ……!!」


 ナサニエルが、震えが止まらない腕で、我が子を抱きしめる。その小さな体は、冷たく、そしてまるで中身の詰まった人形から、中空の陶器へと変わってしまったかのように、存在感が薄く、恐ろしいほどに軽かった。命の熱と、未来への鼓動が、そこからすっかり失われているようだった。

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