第四十八話 廃墟に輝く雪と混沌の主 - 2
三人は青白い光に満たされた廃墟の道を、静かに、しかし確実に歩き続けた。
空の色──という概念そのものがここでは曖昧だった。青白い光が一切の陰影を奪い、時間の経過を感じさせない。永遠に続く薄明かりの中を歩いているような、現実感のない感覚に襲われる。
しかし、中央に近づくにつれ、不思議なことに空気が変化していった。荒野の刃のような冷気は消え、澄幽で感じるような、生き物を包み込む穏やかな温もりが漂い始める。少なくとも、凍死の心配はなさそうだった。その時点で、琴葉は常時発動の魔法の維持をやめた。
魔力の消費を最小限に抑えるためか、琴葉は今までのような超高速移動は行わない。ルイとシアが無理なく追従できる「ただの早歩き」を維持した。
その道中、彼らは無数の視線を感じた。
崩れたビルの窓枠の奥から、瓦礫の山の裂け目から、廃墟となった路地の暗がりから──言葉にならない好奇、警戒、そして時には貪欲なまでの観察の目が、三人の一挙手一投足を追っていた。琴葉はそれらを完全に無視し、微塵も動じることなく、ただ目的地である中央へと直進する。
やがて──密集した廃墟の街並みが突然途切れた。
視界が開ける。そこは、廃墟群の中央にぽっかりと空いた、巨大な円形の広場だった。広場全体が、深く純白の雪に覆われている。周囲の青白い光に照らされた廃墟とは対照的に、ここだけは凍りついたような静謐さと、神聖なまでの清浄さを保っていた。
琴葉が足を止め、深紅の瞳を細めた。
「……ここは、特に一つも魔力がない」
彼女の呟きには、微かながらも確かな驚愕と──警戒が混じっている。これほどまでに魔力が枯渇した空間は、彼女にとって未知の領域だった。
「大丈夫なのか?」 ルイが問う。琴葉の体は魔力で動いていると言っていたはずだ。もし、魔力がなくなってしまったら……その時は動けなくなってしまうのだろうか。
琴葉は軽く拳を握り、自身の内側を確認するように一瞬目を閉じた。
「ええ。体内に蓄えた魔力はある。戦うには十分よ」
だが、その言葉には、これまでになく慎重な響きがあった。
その時だ。
『──……ルイ』
声が、響いた。
耳からではなく、頭蓋骨の内側、思考そのものに直接語りかけてくるような、水晶のように澄み切った女性の声。
「……っ!」
ルイは思わず額に手を当てた。鋭い、しかし痛みのない、深部を揺さぶられるような違和感。この声……聞いたことがない。だが、なぜか……その響きに、どこか遠い懐かしさを感じている気がする。
『ようやく、来ましたね』
「誰だ……!?」
ルイは咄嗟に周囲を見渡し、警戒の姿勢を取る。視界に入るのは、鋭い目つきで周囲を探る琴葉と、彼の異変に気付き顔を曇らせるシアだけだ。声の主の姿は、この広大な雪原のどこにも見当たらない。
「ルイ? どうしたの? 顔色が急に青ざめて……」
シアが不安げに彼の腕に触れる。その手の温もりが、頭の中の冷たい声との対比を際立たせる。
「シア……なにか、声が聞こえないか? 女の声が……」
「声? 私には何も聞こえないよ……琴葉ちゃんは?」
琴葉は無言で首を振った。彼女の表情は硬く、深紅の瞳が周囲の空間を、星溶粒子の最も微細な乱れまで捉えようと研ぎ澄まされている。だが、この雪原には、彼女の感知できる範囲では、他者の星溶粒子や意志の痕跡は一切ない。
だが、そんなわけはない。ルイの頭の中で、確かに声は聞こえている。
『こちらへ、おいでなさい。私の領域へ』
声が再び響く。今度はより強く、より明確に、そしてどこか懇願にも似た響きを帯びて。
その直後、ルイの右足が、彼自身の意志とは無関係に一歩、深い雪の上へと踏み出した。まるで見えない糸で足首を引かれる人形のように、自然と、しかし確実に、広場の中心──あの最も白く輝く領域へと誘い込まれていく。踏み出した足跡は、周囲の雪よりもさらに深く、吸い込まれるように沈んでいく。
「は、なっ……!? 体が、勝手に……っ!! 止まれ……!」
「ルイ!」
琴葉の声が鋭く切れる。彼女は即座にルイの腕を掴もうと手を伸ばすが、その手が届く寸前で、ルイの体が不自然な速度で滑るように前方へ引きずられ、指先をかすめただけだった。
雪を踏みしめる、かすかな軋む音だけが、この広場の絶対的な静寂を破る。
ルイの足は、彼の抵抗を虚しく、淡々と進んでいく。足元の雪は、見た目の純白さと冷たさとは裏腹に、踏みしめる感触は柔らかく、冷たさをほとんど感じさせない。むしろ、どこか生命を育む肥沃な大地のような、底知れぬ温もりさえ宿している。この矛盾した感覚が、この場所の根源的な"異常"、常識を超えた何かを、痛いほどに物語っていた。
「ルイ! 待って……どこへ行くの!?」
「ルイ、待ちなさい!」
シアの悲鳴と琴葉の怒声が背後で響く。しかし、それらの声は、頭蓋骨の内側に響き渡る水晶のような声にかき消され、遠く、霞んで聞こえるだけだった。ルイは振り返ろうとするが、首さえも思うように動かない。視界の端で、琴葉が何か構え、シアが必死に駆け出そうとする姿がぼやけていく。
彼はただ、雪の道に導かれるまま、白い光に満ちた中心へと、一歩また一歩と、歩みを進めていくしかない──だが、不思議と、それでいいような予感がしていた。
雪はますます深くなり、膝まで埋もれるほどになったが、重さは感じない。むしろ、全身が軽やかになっていく錯覚さえ覚える。周囲の白い光が濃くなり、琴葉やシアの姿は完全に見えなくなった。世界が、静謐な光と雪だけの領域に収縮していく。
一度目を閉じた。この広場へ近付く前、琴葉に言われたことを思い出したのだ。『ここで星溶粒子を見ようとすると、失明する可能性がある』という警告。
再び開けた時に──世界から、眩しすぎる光は消えていた。いや、消えたのではなく、彼の視覚が自動的に、あるいは無意識のうちに適応したのかもしれない。
そして。




