第四十八話 廃墟に輝く雪と混沌の主 - 1
そこからさらに一週間が経った。
この間に三人は、文字通り、幾つもの死地をくぐり抜けてきた。魔法士の緻密な索敵網を避けながらの移動、突然現れる星骸の群れとの遭遇戦、時に襲いかかってくる異能者との小競り合い。
ルイとシアは、汗と星溶粒子と魔力の中で、確実に戦士へと成長していた。初日には琴葉の介入なしには一体の星骸にすら怪我を負いかけていた二人が、今では互いの背中を預け合い、時には琴葉も交え連携をとり、呼吸を合わせて複数体を相手取れるまでに研ぎ澄まされている。
そして──ついに、彼らは辿り着いた。
「……ここは」
ルイが足を止め、思わず息を呑んだ。
周囲の空気が、一変していた。
これまでの一週間、彼らが歩んできたのは、分厚い雲に閉ざされた灰色の空の下、氷点下の風が吹きすさぶ荒涼とした荒野だった。しかし、今、目の前に広がっているのは──まるで異世界へ足を踏み入れたような、圧倒的に異質な光景だった。
青白い、霊的な光が大気全体を満たしている。空気そのものが発光しているかのようで、ゆらゆらと揺らめくその光は、深海の底から水面を見上げるような幻想を抱かせる。同時に、濃密な星溶粒子に晒されているかのような、肌を刺すような圧迫感。ルイとシアの皮膚がぴりぴりと痺れ、異能者としての本能が危険を告げている。
視界の先には、かつては都市だったであろう廃墟が横たわっている。崩れ落ちた高層ビルの骨格、屋根を失い窓枠だけが残る住宅、ひしゃげて道路を塞ぐ無数の車両。だが、それらは単なる廃墟ではない。青白い光に照らし出されたその残骸は、全てが海底に沈んだ古代遺跡のように、不気味で美しい輝きを放っていた。
「ヴァルケイア。異能者たちが棲み処としている、危険地帯としてマークしていた場所。そして、今回の遠征の目的地」
琴葉の声が、静かに、しかし重く響いた。
「あそこ」
琴葉がゆっくりと手を上げ、指し示した。
廃墟の中央部に、一際強い純白の光を放つ地点があった。雪のように冷たく、しかも強い光だ。
その光の源泉を取り囲む──といっても、かなり距離は離れているが──ように、いくつかの"領域"が存在しているのが、ここからでもうっすらと認識できる。
遠くには、不自然に滞留する漆黒の霧の塊が見えた。霧は一定の範囲を漂い、その向こう側は完全に視界から消えている。音さえも吸い込まれてしまうような、不気味な静寂が、ここまで距離があるにもかかわらず伝わってくる。
別の方角には、広大な花園を擁する大きな洋館。その上空だけは、分厚い雲を突き破って黄金の陽光が一条、聖域のように降り注いでいる。他の青白い光が一切侵入できないほどに。
「……見覚えがある」
シアが呟いた。その声には、緊張と恐怖が混じっている。
「ええ。貴方たちが戦っていた場所──ファロンが支配していた領域よ」
ルイの眉がひそむ。「待てよ。その場所に戻るっていうのか?」
この一週間、琴葉は目的地についてほとんど語らなかった。ただただ、黙々と北西へと進んできた。
「違うわ。用があるのは、あっち」
琴葉の指先が、再び中央の純白に輝く地点を、今度はより強く指し示した。
「あの光の中心に、何かがいる。この領域を形作り、異能者を引き寄せ、あるいは生み出しているかもしれない『変異体』。それを確かめに来たの」
彼女の言葉が終わる前に、ルイは気づいた。廃墟の影に、微かな気配が蠢いている。一つや二つではない。複数、数えきれないほどいるように感じる。息を潜め、隠れるようにして生きている人間の気配だ。
「……人がいる」
「ええ。異能者たちよ。ヴァルケイアには、数え切れないほどの異能者がそれぞれの縄張りを持ち、時に争い、時に共存しながら暮らしている」
「今まで、ここに来たことがあるのか?」
「ええ、あるわ。この"縁まで"は。一人でも、響哉を連れてでも、来たことはある」
縁。強調して発音されたその言葉を、ルイは繰り返した。
「縁まで? ってことは、中に入ったことはないのか?」
「……ええ。これを見て」
琴葉が突然、手のひらをルイとシアの目の前に差し出した。掌の上には何もない。
二人は首をかしげた。
「ただ見てどうするの。"星溶粒子を見て"」
ハッとし、ルイは集中力を研ぎ澄ませた。そつするうちに、徐々に、琴葉の掌の上に、微かな光景が浮かび上がってきた。黒と白が絡み合い、静かに煌めく無数の微粒子──それは、この世界の底流を成す、根源的な力の一片だった。
「魔法士たちは、体内の魔力や環境の魔力を取り込んで、それを目に送り、世界に満ちたこの粒子を見る。体内に星溶粒子がないシアにも、そうやって取り込むイメージをすれば、できなくはないはず」
シアが、ルイの隣で目元に力を入れた。
「魔法士たちは、体内の魔力や環境の魔力を取り込んで、それを目に送り、世界に満ちたこの粒子を見る。体内に星溶粒子がないシアにも、そうやって取り込むイメージをすれば、できなくはないはず」
シアが、ルイの隣で目元に力を入れた。
イメージ、イメージ。この二週間、荒野を生き抜くために、彼女はこれまで以上に魔法で生み出したい結果をイメージすることに集中してきた。願うのではなく、設計する。感じるのではなく、構築する。琴葉が叩き込んだその思考法は、少しずつ、しかし確実に彼女のものになりつつあった。
目を開ける。アメジスト色の瞳が、ただ前方の空間を見つめるのではなく、そこに「あるはずのもの」を探し求めるように、焦点を合わせる。周囲の冷たい空気。その中を流れる、かすかな魔力の微風。自分自身の内側から滲み出る、異能の源となる力。それらを一つにまとめ、視界へと注ぎ込むイメージを、心の中で何度も繰り返す。
「あっ!」と、彼女は突然声を上げた。どうやら、見えたようだ。
「黒と白……この星溶粒子が、『魔力』。私の魔法と、シアの異能の、根本にあるエネルギーよ」
「魔力も星溶粒子だったのか!?」
ルイの声には驚きが滲む。全く別物と思っていた異能と魔法が、同じ根源に辿り着くとは。それは、世界の見え方を一変させる発見だった。
「ええ。魔法は、ある異能者の星溶粒子を利用して、結果を得ているということね」
彼女の説明は、魔法と異能の深遠な関係を垣間見させるものだった。
「さあ、今度は周囲を見てみて。ただし──」琴葉の声が急に厳しくなる。「中央のあの強烈な光や、あの特徴的な領域は、決して直視しないこと。あの濃度の魔力を無防備に見つめれば、目は確実に焼かれる。視覚だけでなく、魔力感知器官そのものが破壊される危険さえあるわ」
ルイとシアは頷き、慎重に周囲を見渡した。背後に広がる荒野の方には、比較的まばらではあるが、確かに無数の黒と白の魔力粒子が、微風に乗って漂い、地面からゆらめき立っている。
しかし、視線をヴァルケイアの廃墟の方へ、特に"領域"とされる場所以外の部分へと向けると──そこには、驚くほどに魔力の粒子が存在していない。あるのは、かすかに残る抜け殻のような、色を失った粒子の残滓だけだ。文字通り、魔力が枯渇している。
「魔力が……ほとんどない?」
「そう。ヴァルケイアの内部、特に『領域』以外の場所は、魔力が極端に希薄なの。まるで、長い時間をかけて何者かに吸い取られ、絞り尽くされたかのように。だから、私や響哉のように戦闘の大部分を魔力に依存する者は、これ以上中へは踏み込まないことを決めていた。ここでは、私たちの力の大半が無力化されてしまうから」
琴葉は一度息継ぎをするように言葉を止めてから続けた。
「かといって、純粋な異能者である珠桜や律灯を無理に連れ込むわけにもいかない。彼らには澄幽を守り、運営するという、こちらの責務がある。彼らをこのような不確実な危険に晒すことはできなかった」
琴葉は一度話を切り、深く息を吸う。彼女は息を吐かないが、その仕草は思考を整理する人間の癖のようだ。そして、深紅の瞳をまっすぐ二人に向ける。その目には、これまでにない真剣さ──いや、一種の危険を承知の上での覚悟さえ宿っていた。
「別に貴方たちに無理をさせるつもりはない」
「……」
「何かあったら、躊躇わずに逃げなさい。そして、必ず私を追いかけてくること。私が退却を命じたら、それが何であれ、すぐに従いなさい」
琴葉の言葉には、妙な、そして冷徹な重みがあった。
これは単なる警告ではない。これから彼らが足を踏み入れようとする場所が、彼女でさえも完全には制御できない、文字通りの"未知の領域"であることを、心の底から伝えようとしているのだ。
「覚えた?」
「……ああ」
「うん」
二人の返事は、重い緊張を含んでいた。ヴァルケイアの廃墟が、ただの遺跡ではないことを、肌で感じ始めていた。




