第四十七話 試練の中で絆は芽吹く - 2
「でも、ここから先は慎重に移動するから」
「……何かあるのか?」
ルイが、警戒しながら小声で問いかけた。この高さからの移動は、目立ちすぎる。これまでの潜伏移動とは、あまりにも対照的だ。
琴葉の声は、風を切って届いた。
「この先は、"魔法士"の活動圏に近い」
「魔法士……」
その言葉に、シアの表情が一瞬で強張る。血の気が引いていくのが目に見える。彼女の指が、ルイの腕を無意識に強く握りしめ、冷たい汗の感触が伝わってくる。
「その魔法士っていうの、今まで一度も出会ったことないんだが……なんなんだ?」
「魔法の理論を編み出した国の、魔法を使う兵士よ」
ピリッと琴葉の纏う空気が緊張した。思わずルイの背筋が伸びる。
「彼らにとって、この世界に存在していいのは"秩序"の中にいる者だけ。それ以外は、全てが『秩序を乱す脅威』として処理される対象になる。異能者はもちろん、戦う力を持たない一般人だって……見つかれば問答無用で消される」
琴葉の説明は、これまでになく具体的だった。彼女の声が、一段低く、鋭くなる。
「一度でも彼らの視界に入ったら、それで終わり。彼らは執拗に追跡を続ける。地の果てまで、息絶えるその瞬間まで──それが、彼らの定めた"秩序"だから。遭遇したら、戦わずに隠れる。それが鉄則」
琴葉はゆっくりと振り返り、ルイをまっすぐ見据えた。その深紅の瞳には、今までにない、重く暗い警告の色が浮かんでいる。それは、星骸に対するそれよりも、はるかに深刻で、ある種の忌避感すら感じさせる。
「私一人なら、彼らの追跡を躱し、必要ならば排除することもできる。しかし、貴方たち二人を守りながらでは……厳しい。非常に厳しい。数も、質も、桁が違う。組織的に動く彼らを、二人を連れて突破するのは、極めて困難だわ」
そして、琴葉は最後に、決定的な一言を付け加えた。
「ファロンだって、魔法士には手を出さなかったわ。あの狂気の異能者でさえ、正面から衝突することを避けた存在。その危険度が、理解できるでしょう?」
琴葉の一言が、全てを物語っていた。あの狂気の異能者さえ、正面から衝突を避けた存在。その危険度が、痛いほど伝わる。
緊張が、時間と共に蓄積していく。
そして──
「止まって」
琴葉が、突然、鋭く手を上げた。
彼女は微動だにせず、深紅の瞳が一点を見据え、細められる。
「……いる」
次の瞬間、琴葉はルイとシアの腕を掴み、爆発的な速度で近くの崩れかけたコンクリート建造物の影へと引きずり込んだ。瓦礫が崩れそうになる音さえ、彼女の魔力で無音に消される。
「息を潜めて。絶対に音を立てないで。異能の星溶粒子の波動も、できる限り抑えて。思考さえ、できるだけ無に」
その囁きには、今までにない、張り詰めた緊張が滲んでいた。それは、強大な敵に対する警戒以上の、複雑な忌避感にも似ていた。
ルイとシアは背中を冷たく湿ったコンクリート壁に押し付け、息を殺した。自分の鼓動が耳元で雷のように鳴り、この音だけはどうにもならないと焦燥が走る。シアは目をぎゅっと閉じ、ルイは拳を握りしめて感覚を研ぎ澄ませた。
やがて──規則正しい足音が、遠くから近づいてきた。
訓練され、統制の取れた、整然とした歩調。
一人、二人……十、二十、三十。軽やかでありながらも確かな重量を感じさせる複数の足音が、靴底が砂利を踏む乾いた音を立てながら、三人の隠れる建物の前の通りを、ゆっくりと、しかし確実に通り過ぎていく。その歩調は、まるで時計の秒針のように正確で不気味だ。
「──该区域先前确认到多个大型星骸反应,现已全部消失
(──この一帯で、比較的大きな星骸の反応が複数確認されていたが、既に消滅している)」
「检测到星核被回收的痕迹。推测近期内有人在此进行过狩猎
(核が回収された痕跡あり。近いうちに、誰かが狩りをしたと推測される)」
「是异能者所为吗?
(異能者の仕業か?)」
「无法排除这种可能性。继续警戒,扩大搜索范围
(可能性は否定できない。注意して索敵を続けよ)」
声が聞こえる。冷静沈着な男声と、明晰な女声。会話そのものは事務的だが、その背景にある警戒心は厚い壁のように感じられた。
ルイは、わずかに頭を傾け、瓦礫の隙間から外を覗いた。
人影は多い。二十人、いや三十人はいるか。全員が白を基調とした、統一された分厚いコートを羽織っている。その内側には、全員同じ東洋の衣装を着ていて、腰には、シアの杖剣に似た武器を携えている。
(あれが……魔法士……)
その時だ。
先頭を歩く、背の高い銀髪の男が──ほんの一瞬、ルイたちの隠れる瓦礫の方向へ顔を向けた。鋭い、青みがかった灰色の瞳が、虚空を刺す。その視線には、何かを見透かすような、容赦ない分析の光があった。
ルイの心臓が、氷塊のように凍りつく。見つかった……!? 息が喉で止まる。
しかし、男の視線はすぐに逸らされ、何も感知しなかったかのように冷静に前を向いた。集団は、静かに、しかし確実に、砂埃を少しだけ立てながら通り過ぎていった。足音は次第に遠ざかり、やがて風の音に消される。
「……行ったわ」
琴葉が、かすかに、ほとんど吐息のように呟いた。だが、彼女の身体はまだ硬く、警戒を解いていない。深紅の瞳は、集団が消えた方向をじっと見つめている。
「……見つからなかった……?」
「今のところは。でも油断は禁物。彼らの索敵網は蜘蛛の巣のように広く、一度かすっても気配を感じ取れば、戻ってくる可能性もある。しばらく動かないようにして」
十分。二十分。
時間は粘つくように流れ、三人は息を潜め続けた。分厚い雲の奥にある太陽の位置がわずかに動いたのか、コンクリートの影がじわりと伸びる。極度の緊張が筋肉を硬直させ、冷たい汗が背中を伝う。
やがて、琴葉がゆっくりと、ほとんど見えないほどに身動きを取った。長い間張り詰めていた緊張の糸が、ようやくほんの少しほぐれていく。
「……移動するわ」
「……」
シアの返事がないことを、琴葉とルイは気にした。チラリとそちらを見てみると、彼女は自分の腕を抱きしめ──微かに震えていた。あの、いつも元気な彼女らしくない反応に、ルイは心配になった。
琴葉は彼女の様子を一瞥し、一歩近づく。その動きは、これまでになく静かで、慎重だった。
「……大丈夫?」
その声は、荒野で響いていたいつもの冷たさを欠き、ほんの少しだけ柔らかく、彼女なりの気遣いに満ちていた。
その声に反応して、シアがハッと顔を上げた。その瞳にはいつもの光が戻っていたが──まだ、不安そうなのには変わりはない。
「う、うん……ちょっと、昔のことを思い出しちゃって……」
「無理しなくていいわよ。怖いものは怖い。それを認め、恐れる対象を把握すること──それもまた、生き延びるために必要な知恵よ」
琴葉はそっとシアの肩に手を置き、ほんの一瞬、その冷たい掌で震えを感じ取るようにし、すぐに離す。
そして、再び歩き始めた。だが、その歩幅は──ほんの少しだけ、いつもより小さく、ゆっくりになっていた。疲れや恐怖で足が竦みかけた二人が、確実についていけるように。その配慮は、言葉にはならなかったが、確かにそこにあった。




