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第六話 闇裂く閃光のもとへ - 2

 ――その言葉に、ルイは急激に喉が渇くのを感じた。


(……は?)


 心が、一瞬で凍りつくような感覚。まるで身体から全ての力が抜けていくような、重く冷たい空気に包まれる。


 思わずルイは顔を上げた。

 心配そうな顔をしながらも、こちらをまっすぐに見つめるシア。その瞳の奥に、揺るぎない決意が見えた。だが、同時にその目にはあまりにも深い、無垢な――何も知らない恐ろしさがあった。


 喉が震え、声が出なかった。

 言いたいことが、突っかえて出てこない。

 あまりにも、言葉が空回りしていた。


(……犠牲? 今、シアは……なんて……)



 ――その時だった。



 ズズン──。


 突然、地面が鈍く唸った。洞窟そのものが怯えているかのように、体に震えが伝わってくる。

 岩肌が軋み、頭上から砂粒がぱらぱらと降り注ぐ。

 湿った空気が淀み、鼻を突く腐臭が濃くなった。それだけで、この場に満ちる異質な存在の気配が否応なく感じ取れた。


 ルイとシアが反射的に振り返る。そして、見た。


 ──視界の先。洞窟の入り口を塞ぐように、外の灰色の空を背景に、黒い影がゆっくりと蠢いている。


 ズズ……ズズ……ッ。


 岩と砂塵を巻き上げながら、それはその姿を露わにしていく。


 最初に見えたのは、巨大な脚だった。まるで柱のように、ごつごつとした岩盤を思わせる質感。関節部分には緑色の宝石のようなものが埋め込まれ、鈍く光りながら、脈を打つ。まるで生き物の血が流れているかのように、ぬらぬらと不気味に揺れ動いている。

 胴体は大人二人を並べて飲み込めるほど。岩の塊のように硬質で、表面は凹凸を描いたねじれた模様が不規則に走っている。その中には、まるで歪んだ顔のように見える裂け目や穴が、漠然とだが確かに存在していた。


 脚が一歩踏み出すごとに、大地が呻き、衝撃音が低く響く。地面が震え、土煙が空中に舞い上がる。その振動が、身体の奥まで響いてきて、恐怖がじわじわと全身に広がる。


 ――そして、視線が合った。


 胴体の正面、ぎらりと光る複眼が無数に並ぶ。その目は不気味なほどに多く、すべてが違った方向を見ているようで、しかしその視線の一つひとつが、無差別に、冷酷に、ルイとシアを見下ろしている。目の中で微かに揺らめく光の粒が、まるで死を引き寄せるかのように煌めき、次第にその目が無機質な光に染まっていく。


 それは本能的に理解できるものだった。敵意でも怒りでもない。ただ"捕食者"として、目の前の"獲物"を捉えたという事実。


 逃げられない。しかし、逃げ道がない。

 その化け物の一歩が、もう二人にとって十分な距離を保っていることすら、感じ取れない。

 息を呑んでいる間に、空気が粘りつくように重く、息苦しくなった。


 足元の岩が冷たい。けれど、それ以上に冷たいのは 骨の髄まで染み渡る恐怖 だった。


「星骸……!」


 シアが息を呑み、震える声でそう呟いた。この絶望的な状況の中、彼女の小さな声だけが静かに響く。ただそれすらも、星骸の存在が放つ圧倒的な威圧にかき消されてしまいそうだった。


 ズズン……ッ。


 星骸がわずかに身を揺らした。それだけで、洞窟全体が軋み、崩れそうな不安定さを一層強める。石が割れる音、空気の圧迫感が強まる中、無数の複眼が暗闇の中でじっと輝いている。

 ルイは無意識に拳を握りしめた。


(……クソッ)


 すると、シアがルイを庇うように堂々と立った。腰のベルトから、小型の杖を抜く。その動作には迷いがなく、目の前の恐ろしい存在に立ち向かう強さが感じられた。

 しかし、その杖は、星骸の巨大な脚の一本に比べれば、まるで虫の羽のように無力だった。


「私がやるから! ルイは待ってて!」


 シアの声は力強く、震え一つなかった。迷いもない。それが彼女の本気の証だった。彼女は本気で、自分が戦うつもりだった。

 だが、その強さがかえってルイを深い恐怖に陥れた。


「待って……!」


 ルイは、思わず声を絞り出していた。


 止めなければ。シアではダメだ。シアには、星骸は――


 けれど、ルイが伸ばした手は虚しく空を切った。


(……動かない!?)


 足が、腕が、まるで地面に縫い付けられたかのように重い。筋肉が硬直し、関節は鉛のように固まっていた。無理やり動かそうとすればするほど、全身を包み込む冷たい恐怖が牙を剥いた。

 心臓が乱暴に跳ねる。鼓膜を突き破るほどの鼓動。


(なんで……!?)


 目の前で、シアが杖を構えた。その姿が、ゆっくりと目の前に迫る星骸の影と重なる。

 星骸の無数の複眼が、じっとシアを見据えていた。冷徹に、そして無慈悲に。獲物として、ただそこに立つ彼女を捉え続けている。


(ダメだ……! シアが殺される……!!)


 頭の中で何度も叫ぶ。それなのに、体は微動だにしない。

 あの狭間で植え付けられた"死の恐怖"が、ルイの足を縛っていた。


 思い出したくない記憶。何もない場所で、体に焼き付けられた死の感覚。


 焦げた肉の色。全身に刃が深々と刺さった、あの感じ。最後には神経すらなくなって、痛みすら感じなくなったあの感じ。あの感覚が、恐怖が、蘇ってくる。

 こんなすぐにその恐怖を払拭できるほど、ルイは強くない。いや――人間は誰しも、そんなふうには強くない。


(……たかが星骸、いつもなら全く怖くなんてないのに……!!)


 心の中で吐き捨てるように、そう思った。


(しかも、どうして、こんな……シアがいるときに……!!)


『逃げろシア』

『俺のことはいいから、早く』


 心の中で、必死に叫んでいた。けれど、声が――出ない。

 体が、声を奪い、過去の恐怖が全てを引き寄せていた。ルイの目の前で、シアが一歩踏み出す。その足音が、彼の脳裏にこだまして、何もできない自分をますます痛感させた。



「お願い、"燃えて"!」


 シアの声が、洞窟の闇を裂いた。彼女の声が響くと同時に──


 ――ゴオオオオッ!!


 突如として、星骸を包み込む真紅の炎が巻き起こった。

 洞窟の中に赤い輝きが広がり、岩壁が炎に照らされて不気味に揺らめき、影が長く伸びる。炎が猛烈な勢いで立ち上り、星骸を囲んでその身を包み込んだ。

 熱波が空気を歪ませ、肌を焦がすほどの灼熱が迫る。しかし、その炎の中でさえ、シアは一瞬たりとも目を逸らさなかった。


 杖を握る手がわずかに震えていた。彼女の心臓は激しく鼓動していたが、それでも目の前の星骸を見据え続けていた。


(……お願い。どうにか、私たちがこの場を切り開けるように……)


 発動までの前触れは、ほぼなかった。

 ただ、"シアが願った"。そして、それは現実となった。


 これが、魔法だ。


 異能が"世界の理を捻じ曲げ、書き換える力"だとすれば、魔法は"思い描いた事象を、現実に上乗せする力"。発動までのプロセスが難しいとされるが、その分、自由度は一人一つしか持てない異能よりも遥かに高い。


 過去に澄幽にも調査部隊にも、魔法を使う"魔法師"がいた。しかし、彼らは発動にかなりの時間を要していた。

 だが、シアは違う。今回は、彼女が思い描いた事象――"炎が星骸を包み、焼く"という現象が、まるで思考とほぼ同時に現実のものとなった。


 その速さ――シアの魔法構築速度は並外れていると、誰もが評価していた。


 唸るような音を立てながら、燃え盛る炎が星骸の巨体を呑み込んでいく。

 赤黒い光が、星骸の無数の複眼を覆い隠し、巨体を焼こうと舌を伸ばす。


 これで終わるはずだった。


 けれど――


 ゴウッ……ゴウ……


 燃え続ける炎の中で――何かが、動いた。


「……っ!!」


 シアの背筋が凍りついた。



(……ダメだ、優しすぎるんだよお前は……!)


 ルイが、思わず唇を噛みしめた。

 徐々に炎が弱まり、視界が戻っていく。だが、そこに映ったのは――


 何一つ変わらない星骸の姿だった。


 その外殻は黒曜石のように鈍く光り、焼かれた痕すら見当たらない。焦げ跡もない。煙すら立たない。まるで炎を全く受けていなかったかのように、無傷のままそこに立っている。


(ああ……"また"……!)


 ――ズズッ。


 星骸がわずかに身を揺らした。その動きはまるで、シアの魔法を嘲笑うかのように、無慈悲に重く響く。シアの顔に驚愕が浮かぶ。彼女は無意識に後ずさり、震えた手で杖を強く握りしめた。


(もっと……もっと強く!)


 シアは心の中で必死に叫んだ。強く、強く、願った。


「今度こそ……!」


 ──だが。

 生まれた炎は先ほどのものより小さく、星骸の巨体に届く前に儚く消えた。


「っ……なんで!?」


 シアの心は、焦りに満ちていった。もう一度、心の中で叫ぶ――なぜうまくいかないのか。何が足りないのか。答えは分かっているのに、認めたくなかった。


 シアは、心の奥底でそれを理解していた。


 彼女は『燃えてほしい』『もっと強い炎を』『なんとか、道を切り開くような一手になってほしい』と願っていても――決して一度も『星骸を殺したい』と、はっきりと願っていない。

 心の迷い、躊躇。あの瞬間の決意が――そのひとつひとつが、魔法に無意識に影響している。迷いが、力を弱めていたのだ。


「私……!」


 シアはつぶやきながら、震えながらも、必死に自分を奮い立たせようとする。だがそのすべてが、無力感と焦燥感へとつながっていった。



 まだ、ルイの足は震えていた。腕も言うことを聞かない。全身が強張り、まるで石になったかのように硬直していた。


(クソッ……!)


 何度も動け、と命じる。頭の中では叫び続けている。なのに、体は鉛のように重く、どんどん沈み込んでいく。自分の意志を無視するかのように、体が動かない。指一本、動かせない。

 心臓は暴れるように脈打ち、喉が張り付いたように乾く。呼吸が浅く、肺の奥が焼けつくように苦しい。

 まるで、死が目前に迫っていることを知覚した肉体そのものが、抵抗しているかのように。


「……動け……動けよ……!」


 震える声で、自分自身に命じる。だが、焦れば焦るほど、膝は震え、腰が抜けそうになる。指が、歯が、全身が、まるで死の足音を聞いて縮こまるように。


「やめろ……やめてくれ……!」


 情けなく懇願するような声が漏れる。なんでだ。なんでお前がそんなに頑張ってるんだ。なんで俺は――


 星骸が動いた。洞窟の静寂を切り裂く、わずかな脚の軋み。だが、それだけで世界が震えるようだった。重苦しい空気が、息苦しさをさらに加速させる。


(違う……動け……頼むから……!)


 叫びたいのに、声が出ない。

 助けたいのに、足が動かない。


 最悪の結末が、目前に迫っていた。



「――っ、シア、避けろ!!」


 ルイの絶叫が洞窟内に響く。だが。



 ――遅い。

第六話 闇裂く閃光のもとへ

1 - 2025.3.23 18:00

2 - 2025.3.25 18:00

3 - 2025.3.27 18:00 投稿予定

となります。次回もぜひ、よろしくお願いいたします。

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