プロローグ
──まず。この世界に、救いは存在しない。
吐いた息は、一瞬、白く見えたものの、すぐに吹雪によってその姿を消した。
一メートル先の景色さえ見えない猛吹雪の中、彼は大きなクレーターの中心に立って、分厚い雲で覆われた空を見上げていた。
──救いがあるのだとしたら、それはどれほど素晴らしいものなのだろうか。
「……イーッ……"ルイ"ーっ! どこー!? 帰るよー!」
雪で遮られた視界の向こうから、柔らかな女の声がした。
当然、姿は見えない。が、声で大体の方向はわかった。彼——ルイは、"それ"を掴んでいる手に、少しばかり意識を集中させた。血を流し、動かなくなったそれの"異能"を探り当て、そして、
「──《支配》」
ルイが小さくその"コマンド"を口にした瞬間、幻だったかのように、吹き荒れていた雪がふっと霧散する。音すらもなく、ただ純白の世界が消え去った。瞬く間に、世界は静寂に包まれる。
──この世界は、生きていくには過酷すぎる。だが、死ぬことも、同様に過酷なことだと思う。
ふと、顔を上げる。
純白の糸のような細い髪が、厚い雲の隙間から差し込んできた光に照らされている。暗い世界の中で、彼女のアメジストの瞳だけがかすかに光を宿していた。この世界の誰もが失ったはずの、希望のようなものを。
小走りで駆け寄ってくる彼女──シアは、ルイに近づいてもその勢いを落とす様子を見せなかったので、ルイは用済みとなったものを手放し、シアの細い体を受け止めた。
「ルイ!」
「......そんなに慌ててどうしたんだ? 転んだら危ないだろ」
ルイの腕の中で、シアはルイの顔を見上げ、はにかんだ。その行動からは、全く隠す気がない好意が感じ取れる。
だが、それをルイは数年もの間、見ないふりをしつづけている。
シアにとっても、ルイにとっても、その感情はいつか自分を苦しめるだろうと、そう思っているからだ。『ただでさえ苦しい世界で、自らの選択で余計に苦しむことは愚者の行いだ』と、ルイは本気で思っていた。
──もし救いがあるとしたら、それは『幸福な死』なのかもしれない。だが、どんなに苦痛なく死ねたとしても、誰かに想われる限り、それは幸福とは呼べない。自分も、残された者も、幸福にはなれない。
だから、この世界に救いはない。
救いのない世界で、俺たちは。
「帰ろうか」
「うん!」
今日も、希望という幻想を求めて、滅びた地球で旅をしていた。