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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ダルマコロガシ

作者: 夏八木秋成

 


 子供達の口を塞ぐ私の両手は、まるで誰かに腕を揺さぶられているかのように小刻みに震えていた。

 息を潜めないといけないのは分かっているのに、私の呼吸は大きくなるばかりで、半開きのその口からは12月の空気が白く色付いたみたいに私の視界を滲ませた。


「ママ、痛い。」


 塞がれた指の隙間から、辛うじて聞こえる息子のか細い声に、私はひっと小さく悲鳴を上げた。

 指先が頬に食い込むほどの力を加えていたことに気付いて、ごめんねごめんねと囁きながら手の力を緩めた。


「絶対に喋らないでね。何があっても。おやくそくだよ?」

「わかったよ。」


 お互いに耳元で囁きながら交わす誓いの間には、緊迫感の勾配が確かにあった。三歳の息子には無理もないことだと分かっていても、私のこの切実さが伝わっていないであろうその楽観的な返事にやきもきしてしまう自分がいた。

 ちらりと右側に目をやると、来月七歳になる娘は、私に口を塞がれたまま静かに前を向いていた。


「まだ動くんじゃないよ。」


 耳元で囁くと、娘はこくりと小さく頷いた。目線はそのまま、生い茂る葉の隙間から見える景色を真っ直ぐに捉えていた。


 わいわいと騒がしい子連れの集団が、丘の中腹を目掛けて歩いていた。ここからだとそれぞれの会話内容までは判別できなかったけれど、どいつもこいつもハイキングでもしているかのように楽しそうな笑顔を見せていた。子供達は自由に走り回り、遠足さながらその興奮を抑えられずにいる様子だった。

 そっと茂みから首を伸ばして丘の下を見てみると、すでに町内のご老人達が集まっていた。屋台で振る舞われている甘酒を飲みながら和やかに談笑しているその姿は、正月の神社でよく見かける光景に似ていて薄ら寒かった。


「それでは、到着した方々から準備をお願いします。」


 拡声器から聞こえてくる初老の男性の声を合図に、親達はそれぞれの子供に麻の袋を被せていった。きゃあきゃあと興奮気味にはしゃぐ子もいれば、何も知らされていなかったのか突然のことに動揺して泣き出す子もいた。

 親達は袋の口を足元でしっかりと結び、子供を芝生の上に横たえた。何十もの麻袋が丘の芝生に並べられたその光景は、まるで市場で競りにかけられるマグロみたいだった。

 あの袋の中に入れられた子供達の気持ちを、私は知っている。止め処なく流れる冷や汗が、服の隙間を伝い落ちていく。全身の震えを何とか抑えようとしながら、少しずつ脚に力を込めていった。


「さぁ皆さん、ご唱和ください!」




    かけよ ころげよ だるまのこ

    じょうぶなからだ みしてみろ

    おてんとさまが おまえのこと

    いかしてくれれば もうけもの

    みはなされたら それも また

    おまえのさだめ かわ わたれ




 親達が麻袋を一斉に蹴り落とすと、ご老人達の手拍子と唄の合間に子供達の悲鳴が空に響き渡った。所々にある大きな石や麻袋同士がぶつかると、ボウリングの球を床に落としたような鈍い音がそこかしこから聞こえてきた。

 この瞬間しかないと、私は力を込めていた脚を一気に走らせた。口を塞いでいた手をそれぞれの脇の下に挿し、軽いとはとても言えない子供二人を抱えて、茂みの中を必死に駆け上がった。

 丘の頂上を越えた先にある祠まで行ければどうにかなるはずだった。十三歳以上の子の親は祠に近づくことはできないから、あのご老人達は私達に手出しはできなくなる。


 何とか頂上まで辿り着くと、その先の平野に小さな祠が見えた。周りを取り囲む縄は所々切れていて、祠の屋根も端の方から朽ち始めていた。誰も手入れをしてきていないのは明らかだった。それでも祠からは何かとてつもなく大きな生気を感じられて、あそこに辿り着ければ私達は三人共、ずっと一緒に居られるように思えた。

 祠の中の像が格子の隙間から見えそうなところまで近づいた矢先、首が締まるくらいの強い力で襟ぐりを掴まれ後ろに引っ張られた。


 私と一緒に勢いよく尻もちをついて、息子は全身を使って泣き叫んだ。彼に覆いかぶさるように抱きしめていると、斜向かいに住んでいる籠目(かごめ)さんが私達を見下ろすように立っていた。


「そこは危ないよ。全員持っていかれるよ。」


 優しく話しかける彼女に向かって、私は興奮を抑え切れない獣のように、しゅーしゅーと声にならない声を発しながら睨みつけた。


「祠はダメよ。本当にダメ。」

「どいてください。あれが終わるまでは、何が何でも祠の下にいないと。」

「だから、ダメだってば。戻れなくなっちゃうでしょ? それはさすがに、嫌よね?ね?小春ちゃん。」


 籠目さんの目線を追って後ろを振り向くと、少し離れたところで娘がぼうっと突っ立っていた。頂上までは右腕で抱きかかえていたはずなのに、いつの間に手放してしまっていたのだろう。


「そんなところにいないで! 早く来なさいっ!」


 私が半狂乱になりながら叫ぶと、娘は少し体をびくつかせたあと、ゆっくりと首を横に振った。こんなに私が必死になっているのに、ぐずぐずしている娘の姿を見て、心の底から湧き上がる怒りが脳天を貫いていった。


「早くしなさいっ! ママを困らせるんじゃないっ!」


 ゆっくりと歩みを進めようとした娘の前に、籠目さんは立ちはだかった。


「分かってるんだもんね? いい子だよ小春ちゃんは。それでいいんだよ。」

「ちょっと…。何勝手なこと言ってるんですか!? さっさとそこをどいて」


 次の瞬間、誰かに後ろから羽交締めにされて、力一杯抱きしめていた息子をこの腕から離してしまった。すかさず振り向いた籠目さんが麻袋を息子に被せると、泣き叫びながら大暴れするその袋を両腕で抱えた。

 何とか抑えつけてくる腕を振り切ろうとしたけれど、男の人なのだろうか、腕の骨が折れてしまうんじゃないかと思うくらいの力で締め続けられてしまい、痛みと絶望で私は空に響き渡るくらいの絶叫を轟かせた。


「さぁさ、あなた達もコロガシをしないと。」


 籠目さんは娘に近づくと、足元に息子の入った袋を置いて今度は娘に袋を被せようとした。今この腕を振り切って突進すれば、息子のことを取り返せるのではないかと思い、私はどうせ無駄だと分かっていながらも必死にもがいた。


「心配することじゃないのよ? 袋開けてみて、生きてりゃそれでいいんだから。死んでたとしても、元々弱い子だったのよ。」


 こちらを向いた籠目さんは、朝ゴミ捨て場で挨拶をした時と変わらない優しい笑顔をしていた。


「あなたもそうしてお天道様にお許しいただけたから、今こうしてこの町で生きてるんでしょ?」


 この町で生き続けてきたからこそ、私は絶対に子供に同じことはしたくないのだ。私達家族には関係ない。ただ、自分の子が弱かろうと強かろうと、一緒に穏やかな毎日を過ごしていきたいだけだ。あんな残酷なことを息子にしなければいけないなんて、想像すらしたくなかった。

 できれば娘も一緒に、三人でずっと一緒に。ただそれだけを望んで生きてきたのに。


「一緒でもいい? 袋。」


 震える声で娘が言った。


「一緒? (ゆう)くんと?」

「うん。一緒がいい。」


 しばらく沈黙してから、籠目さんは息子の麻袋の口を開いた。暴れる息子の足が二回ほど見えた後、娘が袋の中に入っていった。

 そのまま息子を連れ出して逃げてくれればいいのに、娘はいつもの気の利かなさを発揮して籠目さんにされるがままだった。私は吐血するんじゃないかというくらい力の限り叫び続けた。

 娘が袋に入ってから、息子は落ち着いたのか暴れなくなっていた。今年中学生になった籠目さんのお嬢さんが木の陰から出てきて、籠目さんと二人で麻袋を運び始めた。きっと私を羽交締めにしているのは、籠目さんの旦那さんなのだろう。振り返って顔を見ることもできないくらい力強く両腕を締め上げられている状態で、私もその後を歩かされた。

 最早、暴れる気力も残っていなかった。


 先程の丘に戻ってみると、辺り一面に血だらけの麻袋が転がっていた。生き残れた子、軽症の子はそのまま帰宅したか病院へと行ったのだろう。しかし所々で、血を流して動かないままの子供を抱いたまま憔悴し切っている親や、泣き叫びながら心肺蘇生を試みている夫婦などが残っていた。


「あらら、もうみんなお開きか。」

「じいちゃんばぁちゃんらは、もう帰っちゃったよ。」


 目の前の惨状が見えていないかのように、籠目さん親子は普通に会話をしていた。子供達よりも先に屍のようになってしまった私は、残されている親達の痛々しい姿をただただ見つめることしかできなかった。


「蹴っていいの?」

「うん、お願い。多分できないだろうし。いいわよね? 米田さん。うちの子がやっちゃって。」


 私は特に返事をすることなく、笑う鬼のような二人の顔を眺めていた。どこに自分の子供を蹴落とせる親がいるというのだろう。どれ程の親達が、この日が来ることに怯え震えていたことだろう。かつて自分もそうだったはずなのに、何故籠目さんは平気でいられるのだろう。

 逃げ切ることができなかった私にできることは、お天道様に祈りを捧げることだけだった。


「じゃあ、いくよ。」


 籠目さんのお嬢さんが思い切り蹴ると、麻袋は丘を転がり始めた。始めはゆっくりと、そして段々と勢いづいてきてスピードを増していった。

 石に乗り上げる度に小さく宙に浮きながら、何度もバウンドを繰り返して麻袋は一気に転がり落ちていった。やがて大きな岩の間を、ゴッゴッと鈍い音を立てながら進んでいくと、麻袋が赤黒く染まっていくのが遠目からでもわかった。

 私は全身の穴という穴から、涙なのか汗なのかよくわからない液体を垂れ流していた。あの袋の中に、子供達が入っている。娘はちゃんと、息子のことを抱きしめて庇ってくれているだろうか。あの赤黒いものは、どちらの血なのだろう。

 緩やかに速度を落として、麻袋は丘の下で止まった。


「さ、ダルマさんは無事に転びました。どうかしらねぇ。行きましょ、米田さん。」


 差し伸べられた籠目さんの手を取って、私は覚束ない足取りで丘を降りていった。







 


 ふくろから出たあと、あたしはママにごめんねといいました。ママはぐったりとした弟をだきしめて、大きな声で泣いていました。あたしはそれを見つめました。

 ずっとあたまをかかえて丸まっていたので、すこし頭がぐわんぐわんとしてるけど、ちゃんと立っていることはできました。

 うしろから、かご目のおばさんが近づいてきました。


「あんたは、シタタカだね。」

「シタタカ?」

「ゆうくんとちがって、じょうぶに生きていけるねってこと。」

「『みはなされたら それもまた おまえのさだめ』 って、みんなうたってたよ。」


 あっはっはと、かご目のおばさんはとても大きな声で笑ったあと、そりゃそうだと言ってあたしの頭をなでてくれました。弟のものなのか自分のものなのか分からないけど、おばさんの手とあたしのかみの毛の間で、血がぐちゅぐちゅと気持ちの悪い音をしていました。



 あたしはこれから、ママにどう思われるのかな。もしかしたら、弟じゃなくてあたしが死ねばよかったのにとか、言われつづけるのかもしれないな。

 それでも、あんなジャマなやつがいないおうちを考えると、にやにやしちゃう。


 ママからなにを言われても、あたしはママが大好きだし、ママがずっとあたしだけのママでいてくれるなら、おこられてもぶたれてもぜんぜんへい気。



 あたしはママが大好きだから。




(了)

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