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誘拐だーーーーーーっ!!!!!

作者: 石ころ

 異世界人に頼るってどういう流れなん? そもそも神様降ろしたくない? というとこから自分が納得できるものを書きました!


 作中、「招喚」という字を使用しておりますが、こちらは「召喚」とは区別して使用しています。誤字ではありません。

 鶏も鳴かぬ、暁の頃。山の上の神殿には、5万人以上という大勢の人間が緊張を持ってそこに居た。

 皆一様に白いローブを羽織り、フードを目深に被っている。しかしローブはひとえに土に汚れ、皺がより、上等なものではなかった。なだらかとは言え、暗闇の中で山をその足で登ってきたのだ。


「いよいよだ」


 天井のない石造り神殿で、ひとりの男がフードを外した。くすんだ金髪に強い意志を宿した青い瞳。美しく勇ましい顔は強張っていた。

 人々の前に立つ男は振り返り、共に山を登ってきた同胞たちを見渡した。それから鐘のそばで控える男に視線をやって、頷いた。

 槌を持った男が、鐘を3度鳴らした。


 ゴォーーン……ゴォーーン……ゴォーーン…………


「我々の使命を果たす時が来た」

『世界の憂いが晴れる時が来た』


 男が両手を広げて言えば、白いローブの者共が呼応した。大勢の声で揺らいだ空気は、息をさせたかのように神殿を振動させた。


「さぁ、祈りを捧げよう」

『女神ハラスィに我々の声をお聞き願おう』


 白いローブを纏った者共が冷たい石の上に膝をつく。先頭の男もフードを被り直し、東に向かって膝をついた。俯いた顔の前で強く両手を組んで、口を開く。


「女神ハラスィよ。大陸に蔓延る瘴気を祓い給え」

『女神ハラスィよ。大陸に蔓延る瘴気を祓い給え』


 白いローブの者共が祈りを捧げると、石造りの神殿が、山が、静かに唸りを上げた。



 今、この世界には危機が訪れていた。

 原因は“瘴気”。主に魔物が撒き散らす厄介な空気である。吸えば死に繋がる病にかかり、回復するには己が強くあらねばならない。しかしこの厄介な空気は自然の中からも吹き出し、果てには人の暮らしの中からも現れるようになった。故に、世界は今、瘴気に覆われようとしていた。


 それを食い止めようと。瘴気を祓そうと動くのが、白いローブの彼らだった。

 この者たちは清浄の女神ハラスィを主神とするセイメ教の信徒であり、瘴気祓いを活動目的としている。

 しかし、いくら敬虔な信者たちの力があろうとも、無情にも世界に瘴気が溢れる時がある。世界が危機に瀕した際はいつの時代も、彼ら信徒が()()()()()降神術を行うことで救ってきた。捧げた命、生命力の分だけ、招喚した女神ハラスィを顕現させる。そしてその偉大なる力で地上の瘴気を浄化してもらうのだ。



 空で瞬いていた星々が見えなくなってきた。間もなく夜明けである。

 神殿では膝をついて祈りを捧げていた信徒たちが一人、また一人、石床の上に崩れ落ちていた。今削れるだけの生命力を削り捧げきって、限界を迎えた者たちだ。息を荒げて苦しむ同胞に脇目も振らず、信徒たちは玉のような汗をかきながら祈りを捧げ続ける。それが世界を救うことになると、心の底から信じて。


 そして、時は来た。


 正面の山から太陽が顔を出す。澄んだ空が一気に明るくなる。

 生まれたての太陽が、神殿のささやかな、広くて低い祭壇を照らす。普段は季節の実りを捧げるその台座に、蛍ほどの小さな光が現れた。この山に、光を発する虫は生息していない。


「女神よ……!」


 超人的な現象に、信徒のリーダーが歓喜の声を絞り出した。伝承通りだ、と。

 彼が調べ集めた伝承では、これから太陽の力を受けて大きく大きく膨れ上がり、神殿ほどの大きな女性が顕現するだろう。少しでも多く瘴気を祓っていただきたい。その一心で信徒の男は強く目を瞑り、いっそう祈りを捧げる。ぐんっと膨れ上がる光を瞼の裏から感じ、喜ぶ彼は気がつかない。


 人の形をとる光の大きさが、彼らの背丈とさほど変わらないことを。

 伝承では虹のような輝きで顕現するとあるのに、台座の上の光は透ける事なく輝いていくことを。

 顕現する神の気配の中に、魂の匂いが混ざっていることを。


 太陽が全て顔を出した頃。招喚した女神の顕現する光が収まってきた。生命力が削られる感覚が薄れていくことを察したのだろう。気を抜いた者から、また石床に崩れ落ちてゆく。バタバタと倒れていく音を背で聞く男は、「自分だけはそうなってはならない」と気を引き締めた。その祈りも、終わる時が来た。


(ギリギリと身を削る感覚が、いよいよ消えた。正面からは神々しい偉大な気配を感じ取れる。……あぁ! これは!)


 リーダーの男は確信した。女神ハラスィが間違いなく、顕現したのだと。

 信者のほとんどが、限界を迎えて倒れている。耐えている者もコヒュー、コヒュー、と呼吸が荒く、とても口がきける状態ではない。肩で息をしている男だけが、辛うじてまだその余裕を持っている。


(計画では、皆にも声を上げてもらう筈であったが……。責任を持って、私の声を捧げよう)


 喉との別れを覚悟した男は、意を決して顔を上げ、瞼を開いた。そこに、巨大で透けた、上半身だけが見えた女性が、自分たちを見下ろしていると信じて。


「……は?」


 故に、彼は自らの目を疑った。台座の上に立っているのが、自らとそう変わらない大きさの女性であったからだ。


 変わらないというのは伝承にある女神と比較した場合であり、男と比較した場合は小柄ではある。そして女性は微かに全身から柔らかな光を放ってこそいれ、決して身体越しに向こうの景色が見えることは無かった。

 

(目視するまで女神と信じていたのだ。目の前の存在はその偉大な気からも人間では無いはずだ。しかし、女神そのものでもない。果たして、彼女は何者だ。それとも伝承が大袈裟に語り継がれただけなのか……)


 予想外の事態に全身を硬直させている男の前で、肩で切り揃えた黒髪の女性が台座から降りた。身のこなしに洗練さはなく、ただ静かに石床に足を下ろした。

 足の下に影があると、男が認識した時、「あの……」と女性が声を上げた。恐る恐るといった様子の台座から降りた女性。雨具のような白い服を纏う彼女は、少々こわばった笑顔で口を開いた。


「セイメ教の信徒の皆さん。祈りを捧げて下さり、ありがとうございます。私は、女神ハラスィより使命を授かりました、森田 藤子です」


 礼を告げ、名乗った女性が頭を下げた。男は更に困惑した。


(礼をされた? 使命を授かった? 彼女は女神ではない? どんな聖典にも歴史書にも、“モリタフジコ”という名は見かけなかった。……新たな、天使か?)


一つの可能性を見出した男は、力の入らない拳を握る。そして頭を下げた。


「天使モリタフジコ。我々の声に応えて顕現なさったこと、深く感謝申しあげます。女神ハラスィへお伝えください。この世を覆い隠さんとする瘴気をお祓い願う、と」


 神に贈るより砕けた口調。しかし女性の表情は不快というより困惑の色を滲ませていた。長めの瞬き1つで表情を戻した女性は、「その事について、女神ハラスィより言伝てがあります」と切り出した。胸の前で手を組む彼女は、信徒たちを見渡して口を開いた。


「ハラスィは申しました。『世界に自立を求める』と。『代行者 森田 藤子の招喚を最後に、女神ハラスィの奇跡を下ろすことは無い』と」


 男は雷が落ちたような衝撃を受けた。肩は落ちるところまで落ち、限界まで見開いた目からは涙がポロポロこぼれていく。


「ま、まさか……! 女神は、我々を、見捨てた……?」

「ち、違います! 全然っ、全然違うよー! むしろすっごく愛されてるからねー!」


 男の、信徒たちの絶望顔を見た女、藤子はブンブンと手を振り、彼らの思い込みを否定した。なだめるための言葉は砕けていて、とても天使とは思えない。その慌てぶりのせいか、信徒たちの混乱はそれ以上広がることはなかった。“女神に愛されている”という発言も手伝っただろう。

 信徒たちのざわめきと男の涙が止まったのを確認して、藤子は振っていた手を下ろした。


「私は、女神ハラスィの代行者として、この世界の瘴気を祓いに来ました」


 瘴気に苦しむ中で待ち望んだ宣言に、信徒たちが色めきだつ。それを手で制して、藤子は続けた。


「そして、二度とこの世界に瘴気が溢れないように、対策を立てます!」

「……対策?」


 2つ目の宣言に信徒たちは再びざわめき、リーダーの男は訝しんだ。藤子は信徒たちを見渡して、一度頷いた。


「私は女神ハラスィと5年の契約を結んでいます。この5年で、私と共に、世界をきれいにしましょう!」

「……それは、女神の思し召しでしょうか」

「勿論。その為に私はこの世界に呼ばれました」

「……“呼ばれた”、とは?」


 男の問いかけに、藤子は『しまった!』とばかりに身体を強張らせた。男は揃えを見逃さなかった。祈りで痛む身体を押して立ち上がり、男は藤子を見る。やはり彼より藤子は背が低かった。


「まず。対策に参られたとおっしゃいましたが、我々セイメ教信徒は瘴気を祓ってきたという自負があります。……女神ハラスィはどこに不満があったのでしょう」

「不満など。女神ハラスィはあなた方の献身を心より感謝しておられます。故に私を、遣わせたのです。より効率的な対処や、そもそも瘴気を生み出さない方法などを私を通じて指導なさろうと、女神ハラスィはお考えです」

「……そうですか。なるほど」


 与えられた情報を咀嚼するように、男は唇を噛んで目を閉じた。その後ろでは徐々に気力体力を取り戻してきた信徒たちが、喜びの声を上げている。


「天使様が我々と共に居られる」

「天使様を通じて女神様が知恵をお与え下さる」

「女神ハラスィは我々を見守っておられる!」


 息も絶え絶えな歓喜の声に、藤子は安堵の表情で受け止めている。瞼を上げた男だけが、藤子をまっすぐ見据えていた。


「私は、あなた様が女神より遣われし天使であることを疑っておりません」

「てんし……」

「しかし」


 正面からの信用の言葉に苦笑した藤子だったが、次の発言に表情を消してしまうことになる。


「しかし、あなた自身が何者なのか。私はそこを掴み損なっております」

「え?」


 男の発言に、信徒たちからも困惑の声が上がる。


「天使は、天使だろう」

「神界の住民に探りを入れるなど、失礼極まりない」

「その疑問に何の意味があるのか」

「天使様の機嫌を損ねるな!」


 背から上がる不満の声に、しかし男は一切構うことはない。ただまっすぐ、藤子の目を見つめている。

 揺らぐ藤子の目は、長めの瞬きのあと、決意で光った。


「驚かないで聞いてください。私は、私は……。あなた方から見れば、異世界の人間です」

「……異世界の、人間」

「はい。話せば長くなるのでこの場では割愛しますが、私のところの神様とあなた方の女神様の2柱と、私は契約しました」

「人間が、神と契約……。失礼ですが、それはあなたの世界ではよくあることで?」

「全然! いえ、私は何かを強く信仰していた人間ではないので知らないだけかもしれませんが……」

「信者でないのに神と契約!?」

「それは、割愛した話の中にある出来事なので……」


 前置きも虚しく、男は藤子の話に驚愕し、話を止めてしまう。藤子は特に気にした様子もなく、身の上話を続けようとするが、真っ青な顔色の男が息を荒げながら質問を投げかける。


「あなたは、モリタフジコ様はその契約に、納得しておられますか……?」


 男は瞬時に答えが欲しかった。目の前の女性が『勿論。納得している』と首を縦に振ることを。しかし、藤子は、顎に右手を当てて斜め下を向いた。


「納得、してるはしてますが……。そこそこ無理やりだったからなぁ」


 最後は砕けた物言いで苦笑する藤子。下を向いていた藤子は気づかなかった。男が息を止めて真っ白な顔色で、滝のような冷や汗を流していることを。


「ゆ、ゆ……」

「ゆ?」


 男が唇をわなわなさせて漏らす声に気づいて藤子は顔を上げたが、耳を塞ぐことは間に合わなかった。


「誘拐だーーーーーーっ!!!!!」


 叫んだ男は拍子にひっくり返る。バタンッ! と大きな音を立てて背中から崩れ落ちたが、頭は別の信徒がどうにか飛び込み、自身の身体で受け止めていた。下敷きになった信徒が呻いて、正気に戻った藤子が男を慎重に動かした。

 気絶した男は白目を剥いて、口からは泡を吹いていた……。




────



「あぁ、なんて可愛いの!」


 やめて、さわらないでっ!


「艶のある見事な金の髪。滑らかな白い肌。震える四肢に、怯え切った青い瞳!」


 やめてっ、やめて! こわい! 見ないでよ!


「どこを取っても艶やかで最高級! あぁ、早くこの小さな美の化身が、欲望に蹂躙されるところが見たいわ!」


 やめろっ! 気持ち悪い! 見るな、見るな! 触るな! 俺に触るな!!


「リスクを冒した価値があるわぁ! さぁみんな! 優しく、強引に堕として差し上げて!」


 やめろぉーーーーッ!!!




『大丈夫』


 温かい、光のような手が、俺の目を塞いで、頭を撫でてくれた。お母様や王妃様とも違う、別の暖かさが、ある。


『あなたは生きている。あなたは助かる。あなたは救われる。だから、大丈夫よ』


 目元を覆っていた手が外されると、俺を穢そうとした女が、自身が連れてきた筈の男どもに取り押さえられているのが見えた。


 ──そうだ。彼らは騎士団員で、誘拐された俺を探しに来てくれたんだ。女も、俺をさらった奴らも捉えられて、裁きを受けていた。

 そう。そうだ。私は事の顛末を知っている。ならば、これは、夢だ。救われた私が見る、夢だ。


『さぁ起きて。あなたはこれから下山しなくっちゃ』


 下山……。あぁそうだ。私は女神ハラスィを招喚して、降臨なさったのは天使で……。そうだ! 寝ている場合ではない! 瘴気祓いの奇跡をいただけなかったのだから、地道に我々が祓して行かねば!

 異世界から誘拐してしまったモリタフジコへ、罪滅ぼしをせねば!



 光に掬われるように瞼を開けた私の目に飛び込んできたのは、空から垂れる、虹色の天幕だった。



────



 目を覚ました男が虹色の天幕に呆気にとられていると、「おはよう」と女性の声がかかった。正気に戻った男は飛び起きて、頭を抱えた。


「なんて、無様な……! いや、それよりも! 天使モリタフジコ! あの空はなんですっ、どうしてあなたの身体は透けてるんです!!?」

「元気があって何よりよー」


 ニコッと笑う藤子は、男の言うとおり、背後の石柱が身体越しに見えていた。彼女が人ならざるものであることを証明するように。


 床に座ったまま背筋を伸ばした藤子が、空を見上げて口を開く。


「あの空は、小規模な“瘴気祓い”の残光?みたいなもの。オーロラみたいで綺麗よねー! で、私の身体が透けてるのは、その奇跡の力を使ったから。ほら、女神ハラスィもあなたたちから捧げられた生命力を使って奇跡を起こしたあと、消えちゃうでしょ? それと同じことよー」

「な、るほど……。今回起こしてくださった奇跡は小規模ゆえに、あなた様は消えなかったと?」

「そう。それもあるし、あなたたち信徒が作ってくれたご飯でも、私の身体は作れるみたい」

「……と、いうと?」


 男の疑問に、藤子は「本当のところはハッキリしていないんだけどね」と前置きして答えた。


 曰く、藤子は奇跡を起こした途端に空腹を感じた。全身は霞のようになり、足先は見えなくなるほど存在が消えかけていたが、信徒の一人が所持していた携帯食を分けてもらい口にしたところ、その足が形を取り戻した。

 その後、信徒たちが食事をすればするほど、藤子の肉体が徐々に、ハッキリと認識出来るようになった。男が透けていると言った身体は、これでも見えやすくなったのだ。


 藤子の存在感は本人だけでなく、信徒が食事をすることでも復活させることが可能であると推測される。


「“身体は食べたもので出来ている”って言うけれど、消化吸収とかをすっ飛ばしてなんて驚くよねー。それに、信徒さんたちの祈りと生命力で出来た身体だからって、彼らの食事でも私が回復するんだから、相当便利だよねー」

「……5万人以上、食事をしてそれなら、効率が良いかは疑念が。やはり祈りを」

「祈りって、痛いんでしょう? それに毎日こんな奇跡を起こすわけじゃないし、食事なら3回あるし。力が漲ったら奇跡を起こして、食べて回復して、また力が漲ったら奇跡ってのを繰り返せば、痛い祈りを捧げなくてもすむよー」


 「そのために、私の口に合う料理の研究とか、畑の改良とかも必要があればやりましょうねー」と微笑む藤子。朗らかな藤子を見つめる男は、眉をひそめている。


「天使モリタフジコ、あなたは……」

「あ、私は天使じゃなくて代行者、ね。あと、森田が苗字で藤子が名前だから、森田でも藤子でもどっちでも呼んでいいよー。皆はフジコさんって呼んでるよー」

「……では、モリタ様」


 苗字で呼ばれて「おっ」と驚く藤子へ、男は哀れみと困惑が綯交ぜになった視線を送る。


「なぜあなたは、無理やり連れてこられた世界の為に、身を粉にできるのですか?」


 男にとって、心からの疑問。女神ハラスィの行為に納得していないと話していた藤子への、哀れみの言葉。誘拐を、理不尽を体感した男には藤子の前向きさが信じられなかった。

 女神に何か脅されているのか?

 精神操作を受けて動かされているのか?

 報われない条件に希望を見出して、騙されてはいないか。


 異世界の人間に何を言っても、どう行動しても救えることは無いだろう。いたずらに怒りや悲愴を掻き立て、煽るだけだろう。そうだと分かっていて尚、男は言わずにいられなかった。

 藤子は腕を組み、首を傾げて「う~ん」と唸った。一度目を閉じ俯いて、やがて頭を上げて見せる表情は、何かを決意したものだった。


「私、異世界の人間って言ったよね? でもねー、ここに居るのは魂だけなの」

「……そのよう、ですね」


 未だ向こうの景色が見えるほど透けている身体。藤子の発言に疑う余地はない。認める男に藤子は頷く。


「でも、でもね。私はまだ向こうで死んでるワケじゃない。……交通事故で、魂が飛び出ちゃっただけなの」

「それは……」

「死んでないの! 身体の方も生きようと頑張ってるの!」


 突然声を荒らげた藤子はハッと息を飲んで、口を手で押さえる。肩を落として謝罪した藤子に、男はどこか安堵を滲ませながら「いえ」と返した。


「こちらも大変な失礼を。……しかし、人間らしさが垣間見えて、安心いたしました」

「大分出てたと思うけどなー。……人の親なんだから、滅多なことじゃ変に怒らないって決めてたんだけどねー」

「え? き、既婚者だったのですか。そうは見えませんでした……」

「お上手ねー」


 目を丸くする男に、藤子は可笑しそうに笑ってから「まだ小さい子なのよー」と、目を潤ませて言った。


「向こうに、愛する子供と旦那を残してきたの。私は、なんとしても、生きて帰らなくちゃいけないの。だから、女神様の代行をするのは、私にとっても希望なの」

「それが、5年の代行契約の報酬に?」

「そうなの」


 透けたままの手で握りこぶしを作って、藤子は天を見上げる。虹色の天幕はまだそこに垂れている。


「5年。やり遂げても何もしなくても、それだけ経ったら帰してもらえるの。でも、ここで結果を残せば残すほど、事故で傷ついた身体がちゃんと回復するって契約なんだ。後遺症を気にしなくて良くなるの」


 それほど重い怪我をしたのかと男が息を呑む。天を見上げたままの藤子が、フッと鼻を鳴らして笑う。


「それにねー。見捨てられないじゃない。この世界にだっているでしょう? 小さい子供たちが」

「……はい」

「私の子供くらいの小さな子達が、瘴気で苦しんでる。そして私は原因を解消できる力を授かる。頑張らない理由、無いよねー」


 男はコキュッと喉を鳴らし、涙を堪えている。理不尽の中で、己の為に納得できる理由を見出した藤子を尊敬して。そして男は決意した。藤子の目的を一瞬たりとも忘れないと。


「……モリタ様は、自らの為。そして、この世界の子供たちの為に。瘴気祓いの使命を果たさんとするのですね」

「そういうことー! 大人たちのことはついでだから、勘違いしないように周りに強めに言っておいてねー。どうせ5年で帰るんだから、政治闘争みたいなのに私を巻き込めるワケはないんだけどねー」

「……周知させます」

「お願いね。……えーっと」


 藤子はそこで思い至る。今まで話を聞いてもらっていた男の名前を、尋ねてすらいないことを。藤子は慌てて謝罪して、男の名前を尋ねた。男は恐縮だと頭を下げてから、名乗った。


「ヴァルフレードと申します。どうぞ、ヴァルとお呼び下さい」

「そう、ヴァル君ね。いい名前だね。……ねぇ、ヴァル君。お願いがあるんだけどね」

「なんなりと」

「君だけは、君だけでも、私を、“森田”って呼び続けてね」

「はい? 承知しま、した」


 藤子からの頼みを、怪訝な表情をしながらも受け入れたヴァルフレード。ふーっと息をついた藤子が、口を開いた。


「信徒の皆が親しみを込めて名前で呼んでくれるのも、勿論嬉しいの。でも、私は“森田 藤子”。君だけでも苗字で呼んでくれたら、私は私を、この世界の住民じゃないことを忘れないと思うの。だから、お願いね」

「深く、心に刻みます」

「大袈裟だなー」


 座りながらも深々と頭を下げるヴァルフレードに、クスクス笑いをこぼす藤子。そのままヴァルフレードを見つめ、力強く微笑んだ。


「これから一緒に戦う仲間なんだから、そこまで意識しなくても忘れないよー」

「仲間、ですか」

「そう、仲間。これから5年間も同じ釜の飯を食う仲間。だから、よろしくね。ヴァル君!」

「よろしくお願いします、モリタ様」


 顔を見合わせて力強く微笑み合う2人。どちらともなく手を差し出し、堅く、握手をした。





────



「……あれ? ここ、どこ?」


 白いような、黒いような。

 明るいような、暗いような。

 広いような、狭いような。


 そんな変な、何もない場所。

 あれ? 私の身体はどこ? 私は目が見えてるの? 身体、ある? どうしてこんなことを考えるの? どうして太一が、薫ちゃんがいないの?

 私いったい、どうしたの?


「ごめんね」


 あら、だぁれ? 子供みたいな高い声だけど、うちの子とは違う子の声。

 私に謝ったの? 何をごめんなさいしたの? 君は私に何かしちゃったの?


 そんなことを考えていたら、突然、頭の中に景色が流れ込んできた。きゃーびっくりー。



 さわさわさわ、さわさわさわ。秋めいてきた涼しい風が、まだ青い木の葉を揺らす。高くなってきた空には薄い雲が流れている。カラスが飛び立ったせいで電線が揺れた。そのカラスが降り立ったのは真っ赤な鳥居だった。


 どこかの神社の境内かな? 綺麗に並んだ木々に、ちゃんと掃除された石畳。下からのアングルで見える神社はとっても大きく見えるね。なんだろう、猫ちゃん視点かなぁ。でもなんだか、ワンちゃんみたいに走り回ってるわー。元気にご機嫌に駆け回っちゃって。

 チャッチャッ、チャッチャッ。はぁはぁ、はぁはぁ。

 石や地面を蹴る爪の音や上がった息づかい。やっぱりワンちゃんだね! あれ? あれはお稲荷さんの像? ふふふ、もしかしてこの景色は、秋の気配にはしゃぐお稲荷さまの見てる景色だったりするのかなー。

 ……「ごめんね」って、何に謝ったの?


 あれ? ちょっとスピード上げすぎじゃない? なんだかジャンプも高いし、幅跳び選手くらい飛んでない? あっあぁ! 鳥居を超えて、道路に飛び出しちゃった! わぁ!! 車が来てる! えっ!? あれは、私たち!??


『うわぁあああああっ!!!』


 運転席の夫、太一が、化物を見たみたいな叫び声を上げて、ハンドルを切った。愛着のある車が私を通過して、助手席側から電柱に衝突した。そこには、私が乗ってて……。


 そうだったねー、太一、気配感じやすいタイプだったねー。今回はガッツリ見えちゃったのかな。私には、いつも通りの道にしか見えてなかったよー。



「ごめんね。ボクがはしゃいで、道路に飛び出しちゃったばっかりに。……君に、重い怪我をさせちゃった」


 気が付くと世界はまた白か黒か分からなくなって、隣には白い狐さんが浮いていた。目元が赤く縁どられて、オシャレさん。あなたが、私をここに連れてきたのー?


「私、死んでしまったの? 困ったなぁ」

「し、死んではないよ! まだ死んでない!」

「……まだ、かぁ」


 ワケ分からないくらい痛かったもんなぁ。外から見ても、大分助からなさそうだったし……。でも、後遺症残ってもいいから、生きて薫ちゃんの成長を見守りたいのよー。


「どうにかできない? えっと、お稲荷さま」

「どうにかする為に、君をここに呼んだんだよ! おーい! ハラスィー!」


 そうなの? と言おうとしたら、日の出の光がすぐそばで光った! わぁ眩しい!

 暖かいけどたまらなく眩しい光が収まってくると、とっても大きな女の人がそこにいた。大きすぎて、腰から下が見えないわー。あ、地面あるんだここ。というか、ワンピース一枚で寒くないのかなー。袖の無い長襦袢みたいだわー。どこが長いのー。


「はじめまして、森田 藤子と申します」

『ご丁寧にどうも。私は女神ハラスィ。あなたから見ると、異世界の神様ってところね』


 あら、お喋りしてくれるのねー。それに、異世界! 最近流行りの“異世界転生”ってやつかなー。えー、困ったなー、困ったなー!


「異世界の神様が、私にどんなご用事でしょう?」

『ええ。あなたには、私の見守る世界に降り立ってもらって、私の代行者として瘴気を祓ってもらいたいの』

「はぁ、しょうき。祓う。霊媒師っぽいのは私よりも太一の方なのにねー」


 異世界転生というより、聖女召喚ものって感じかなー。困ったなー、困ったなー!


『期限は5年。なるべく怪我した時に近い日に帰してあげるし、結果を残せば残すほど、あなたの世界で眠ってる身体を、治癒してあげるわ。体力が落ないようにしたり、後遺症が残らないようにしたり、リハビリが早く済むようにしたり。段階的にね。』

「えっ! 帰らせてくれるの!?」


 意外! 異世界転移ものの方なの? 私、多分魂だけなのに! それにちゃんと期限を設けてくれてるし、帰す日にちも配慮してくれてるし。なんて親切なんでしょー!


 ……なんて、お気楽になれたら良かったのにね。

 私を現世から拐う為に、太一に自損事故を起こさせて、私を怪我させて魂だけの存在にさせたかもしれない。


 私は黙ってお稲荷さまを見て、女神様を見上げる。思わず睨んで、言っちゃった。


「マッチポンプ?」

「『ち、違う(の)よーー!』」


 疑う言葉を低い声でかければ、二人、二柱?とも、びっくりして否定してきた。そんなにびっくりするなんて、私のことをどこまでお人好しだと思ってたのかな。痛かったんだよ? 体が押し潰れた感覚は。

 ちゃんと、説明してもらいますからね。


・・・


「えーっと? 女神様は自分の世界に手を貸しすぎて、もっと上の神様から怒られちゃったと。でも今回も力を貸さないと、その世界の生物達が瘴気で滅んじゃうと。そんな時に現れたのが、はしゃいじゃって事故を引き起こしたお稲荷さまと、魂が飛び出ちゃった私。私の身体を治すのを報酬にこっそり瘴気祓いの仕事をさせれば、上位の神様もお目こぼししてくれるはず、と。こんなまとめでいいですか?」

「『はい……』」


 話してもらった事を私なりに解釈して纏めれば、しゅんとした神様二柱は認めてくれた。まったく、何やってるの神様ともあろう方が。怒られたくないから隠れて私を使おうだなんて、怖い発想なさるわぁ。……まぁ、でも。

 あちらにも、子供たちは居るのよねー。


「私にもメリットはありますから、引き受けます」

「よかったー!」

『あなたなら引き受けてくれるって信じてたわ!』


 まったく、調子がいいんだから。なんて呆れてたら、女神様が『納得したなら早速準備よ!』って急かしてきた!


『もう信徒ちゃんたちが祈る頃よ! あなたの身体や祓う力はあの子達の生命力で出来るから、あなたはそのまま降臨すればいいわよ! 招喚されてる間に必要な知識も詰め込んでいくから! あ、それから、私が上司、上の神様に怒られたことは絶対に言っちゃダメよ!』

「え? どうして? ちょっとお茶目なところを言っちゃえば親しみが持てて、更に信仰心が……」

『ダメよ!!!』

「「うわっ!!」」


 説明中にいきなり叫ばれて、お稲荷さまと一緒にビックリしちゃった。私を見下ろす女神様は、焦った厳しい顔でダメよと繰り返す。どうして?


『私は、あの子達の理想のままでいなくちゃいけない。それが信仰心になって、信仰心があの子達の力になるの』

「力、って?」

『瘴気を祓う力。瘴気を身体に受け入れない抵抗力のことよ。私を、女神ハラスィを信じれば信じるほど、その力は強くなるの』


 それは、なんとも。彼女の世界は一神教でそれ一択なのかなー。それほど人間がいないのかもしれないけど……。

 女神様は改まって、神妙な顔つきになって私を見下ろしてくる。


『出会って数分の貴女に、秘密の保持を押し付けるのは本望ではありません。ですが、それがこの大きな力の制約なのです。どうか、私の秘密を守ってください』


 そう言うと女神様は、目を閉じて少し頭を下ろしてきた。私に頭を下げているのね。神様にそうさせちゃうなんて、凄いことだよねー。……ここまでされちゃあ、断れないねー!


「分かりました。あなたの名誉を守ります。ついでですから、信者も増やしてきます!」

『……ふふっ、なんて頼もしいの。力を貸してくれるのが、あなたで良かった』

「不幸中の幸いだよねー」

「お稲荷さまったら、調子がいいんだからー」


 ふふふっ、と笑い合って、誰からともなく静かになって。神妙な空気になった。

 女神さまが、口を開く。


『森田 藤子。あなたに、女神ハラスィの代行者の任を与えます』


 神様らしい、かっこいい態度で女神様は私に命じた。私もそれに乗っかっちゃおう!


「承りました。瘴気祓いの使命。必ずや果たします」


 恭しく頭を下げて宣言した途端、女神様が光り輝いた。わぁ眩しい! なんか引っ張られてる感じがする! 下方向なのがちょっと怖い!


『大いに期待していますよ、藤子。さぁ行きなさい。世界はあなたを待っています』

「がんばってー!」

「はい! 行ってきます、女神さま! お稲荷さま!」


 ギリギリ言えた別れの言葉を最後に、私は下の世界に引っ張られた。わー、どんどん遠くなってくー。

 女神さまー! お稲荷さまー! 頑張りますから、報酬弾んでくださいねー!




────




 ボクが怪我をさせちゃった女の人が、女神ハラスィの代行者となって、別の世界に旅立って行った。ふう、ひと仕事やり遂げたね。

 ん? どうしたのハラスィ。ボクを変なものを見る目で見下ろして。


『……てっきり、一緒に行くもんだと思ってたけど』

「どうしてさ。小さくたってボクも神様だよ? 見守らなきゃいけない土地があるの」

『それは、そうね』

「じゃ、見送ったし、ボクは帰るよ。また時々様子を見に来るし、5年後には迎えに来るねー」


 捲し立てて言って、ボクもとっとと狭間の空間から神社に帰った。さーて、もう一仕事、しなくっちゃね!


「あの子の旦那さんの、恨みを受け止めなくっちゃねー」


 本当なら、お稲荷さんなボクに恨みつらみを吐き出すのはダメなんだけどね。今回は流石に、原因がボクでしかない。甘んじて受け止めようじゃないか。それが、小さな神様でしかない僕の責任の取り方。


 ごめんね。


 頑張れ! 代行者森田 藤子! 異世界の子供たちのために! 自分のために!


 自分が納得できる要素を詰め込んでいったら、聖女枠は代行者って名前になってるし、お母ちゃんになってるし、事故っちゃってるし、「誘拐だ」って言わせたいだけなのに男がトラウマ持ちになっちゃった。いろんな人が今の段階は不幸になっちゃった。ごめんね。

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