ムイス港会談 1
ムイス港。
それは石造りの建物が並び立つ港である。賑わいは、『明るい』ものではなく『昏い』もの。それもそのはず。徒や馬なら時間がかかるが、船ならさして問題はない距離を南に下れば城塞都市リフルがあり、そこからなら交通の便が非常に良い。降ろした後も便利だ。さらには城塞都市の特性上、警戒の多くを海に当てられることも治安の良化に繋がり、多くの者が利用するようになった。
では、ムイス港で扱うものは何か。
それは大手を振って扱えないモノだったり、ムイス港で割り込めなかった小さな業者だったり、表には出せない貴族間のやり取りである。賑わわれては困る者が多い。そう言うところは重要だが表立って兵も割けず、ごろつきも多い。
そこにセス達は目を付けた。
ごろつきと取引をするぐらいなら魔族と取引をしても何とも思わない輩もいるし、そういう者やごろつきから奪った情報で貴族を放さないこともできる。さらにはごろつきから主権を奪い、魔族が統治することで治安も向上する。傀儡になることで海洋生物への備えになり、それらも魔王の配下だと思っている輩からは安全な港とみなされる。
結果、ムイス港は昏い賑わいを残し、統治者が人間から魔族に変わっても利用する者には大きな変化を起こさない例を示す港になった。
ナギサはそんな黒い貴族たちの話の取捨選択をして、セスに上げるべき情報を雷獣の従者、ベルファに預ける。彼女は頷いて、静かに窓から立ち去った。
「大変そうですね」
古ぼけたソファに身を埋めながら、飴玉で頬を膨らませているメルクリウスが言った。
「ああ、大変さ。だが役に立つ。時間と味方、利用できるものはいくらあっても足りないからな」
本来なら四天王の一人としてメルクリウスを護衛しなくてはいけないのだろうが、相方がロルフであるためナギサも公人として接するのは諦めた。そもそも、四天王二人が来客の護衛っていうのもおかしな現状だ。それなら付けないのが普通である。付けないで、改めてチッタァ・ハブルに二人を送り込むのが筋だ。
あくまで、アンヘル・サグラーニイが死ぬまでの常識ではあるが。
「……義兄上は、人間をどう思っているのでしょうか」
別の書類に落とした目をあげる。メルクリウスがソファの背に顎を乗せて、小窓の外を見ている様であった。ナギサは書類に目を戻した。
「人間の国家は存続させ続ける必要がある。冷静に考えて、都市一つを完全に全滅させるなんて労力と対価が釣り合わない。成功する保証もない。それを繰り返すだけの体力を持つ種族なんてのは存在しないだろう」
「全滅を願っている種族なら多いよ」
「まあ、領土は削らねばならないな。付き従ってくれたものへの恩賞も必要だろう。だからといってまた勇者を作る旅をされるのも面倒くさい。しばらくは、魔族と総称する者が蛮族の組織形態ではないと認識させていく必要があるだろうな」
交渉などすることなく攻め込んでくる、殺してくる人間を、ひとまずは同じ舞台にさせないといけない。
少なくとも、ナギサはそう考えている。
同時に共通の敵として人間が存在し続けることがセスの支配の強化につながるとも信じている。
「……ナギサさんは何で男っぽい言葉遣いなの?」
「急に話題を変えたな」
くすくすと笑い、書類から顔を上げる。メルクリウスも目を泳がせ、それから唇を少し尖らせた。
ナギサがうっすらと口角を上げ、優しげな顔をして書類に目を戻した時、扉が叩かれる音がした。ナギサは表情を戻し、
「どうぞ」
と公人としての声をだした。
扉が開く。
「うっす」
ロルフが片手を挙げた。後ろにはたっぷりと脂肪の蓄えたマルシャンがにこにこと笑っている。
「マルシャン殿、ご足労ありがとうございます」
ナギサは書類を置いて、頭を下げた。メルクリウスは人間相手に頭を下げたくないのか、飴玉が見えるように頬の裏に持って行き、ソファに大股を開いて座っている。トラウテが白い顔をさらに白くした。ロルフは一人、関係なさげに古びた冷蔵箱に行き、瓶の飲み物を取り出して栓を開けて机に五つ並べている。
「いえいえ。私どもも無駄な銭を取られることなく商いができていることのお礼を言いに行かねばならないと思っておりましたから」
たぷたぷと顎肉を揺らしてマルシャンが言った。
リフルでは、入港の際、荷物を倉庫から出す際、街から出る際、そして警備料とお金を取られることが多いが、ここは半ばセスの直轄地であるため、お金の払いは一度だけ。交通の便の悪さも、セスにとっていてもいなくても変わらない部族をセスの直轄で使っているため多少の時間はかかるがお金はかからない。時間も、イシオン以北に運ぶのであればリフルに船を止めるよりは速い。中間業者を何の遠慮もいらずに斬り捨てられるセス達だからの策だ。
「我が主も、会いたがっておりました。忙しくていけないことを申し訳なく思っていることも伝えてくれと」
申し訳なさそうな顔を作って、ナギサもソファに近づいた。手でマルシャンに座って下さいと示す。
「勿体ないお言葉です。サグラーニイ陛下には、近辺が落ち着いた頃に伺いたいと伝えてください」
「……いつだよ」
ぼそり、と顔を横に向けた状態でメルクリウスが呟いた。
マルシャンは笑顔を崩さずに顎肉を揺らす。
「はっはっは。なるほど、翼人族の方にしてみれば人間ほど信用のできない種族もないでしょうな。では、ガーゴイルの処遇が決まったら、で如何ですかな」
「良き頃合いかと」
トラウテにも座るように示したが、丁寧に辞去したため、ナギサもソファに着いた。ロルフがいつもの雰囲気でトラウテの分の瓶を差し出す。
「それまでは結婚式を挙げないよう頼んでもらってもよろしいですかな。私も、出席したいものでして」
茶目っ気たっぷりにマルシャンが巨体を揺らした。
ナギサも口角を上げる。
「なら早々にガーゴイルを片付けねばなりませんね」
「頼みますぞ」
マルシャンが豪快に瓶を傾けた。中身が一気に半分ほど減る。
「さて、紹介がまだでしたね。こちらはメルクリウス・ベルスーズ殿。陛下の義弟にあたる方で、翼人族の長です」
ナギサの目が行くと、メルクリウスが姿勢を正した。ただし、瞳の敵意は消えていない。
「これはこれは。ベルスーズ殿、私はマルシャン・ミッチェルと申します。サグラーニイ陛下とは、陛下に命を助けていただいた折からの縁で良くしていただいております」
マルシャンはそんなメルクリウスにも深々と頭を下げて、丸い手を差し出してきた。表情を変えず、渋々と言った感じでメルクリウスが手を出して、握手に応じる。二度三度と手が揺れて、はなれた。
「いやはや、お若いのに種族の長とは、さぞかし優秀なのでしょう。このマルシャンの顔、忘れずにいてもらいたいものですな」
「一度見たら嫌でも忘れられませんよ」
「それもそうですな」
メルクリウスの毒にも、笑ってマルシャンが返した。机の下でナギサがメルクリウスの足を蹴る。もちろん、隠れ切れずに見えているだろうが、それもパフォーマンスだ。
「マルシャン殿、商いの方は上手くいっていますか?」
マルシャンがにこやかな顔のまま、厚い上唇と下唇の間に隙間を作った。
「おかげさまで、通常よりわずかに低い値段で通常より多くの利益を上げられております。この低くするのも肝でして、貴族によってはムイスを攻めるのに難癖をつけて取りやめさせる者も多くなってまいりました」
「増やしすぎて不自然にならないようにお願いします」
「お任せください。私も、金の湧き出る港は大事にしたいですからな」
左手の親指と人差し指で丸を作って、マルシャンが言った。
「それと、今回は更なる儲け話を」
ナギサは小袋から、メルクリウスが持ってきた調味料の原料を取り出した。マルシャンの前に並べると、流石は豪商と言うべきか、ギラギラとした目つきで木の実を見始めた。
「触っても?」
「ええ。お好きなように」
芋虫のようなマルシャンの手が伸びて、木の実をつまむ。匂いを嗅いで、押してみて。品質を確かめているようだ。
メルクリウスの顔がわずかに渋いものに変わった。
「人間社会では数が少なくなり、値段が高騰していますね。何でも、エヘルシットが出し惜しみをしているとか。栽培してもここまで良質な一等品はできずに、貴族や高級レストランでは困り始めた人も出ていると聞いております」
ナギサは身を乗り出して、机に両肘をついて手を組んだ。口元を隠すような形になる。
「新たなステータスとして、どの香辛料をおもてなしに使うかが見られるようにもなっているとか」
マルシャンが木の実を置いて、目までも丸くして頷いた。
「ええ。香辛料による威圧行為が広がり始めているのはどこの国も一緒だそうで」
ナギサが組んでいる手を狭めた。
「安価で流せますよ。権威、買えるものなら買いたくないですか? 貴族、政治家の方々は、特に」
手を外して、ナギサは微笑んだ。
ゆっくりと体を戻し、横目でメルクリウスの反応も窺う。顔を紅くしてナギサを見ていたが、怒りによるものではなさそうなので観察を打ち切り、マルシャンに集中する。
マルシャンの後ろのトラウテは固まっており、ロルフはどこか不服のようだった。
「で、条件はなんですかな?」
悪戯っ子の笑みを浮かべて、マルシャンが身を乗り出した。
ナギサはソファにあらかじめ置いていた二つ折りの紙を持ち上げ、マルシャンの前に置く。
「流すのは、ここに書いてある者を優先的に。もちろん、私たちが人間の事情を全て知っているわけではないですから、いない人でも構いません。いる人でもダメだと思えば流さなくても良いですよ」
「それだけですかな? 何か伝言があるのでは?」
ナギサも悪だくみをしているような笑みを浮かべた。
「いーえ。ただ、香辛料の魅力にどっぷり浸かったタイミングで出どころを教えて差し上げて欲しいだけです。種類ならまだまだありますから。ああ、ただ、流通量は少なく。希少性が高いから価値があるのです」
「ええ。それは重々」
マルシャンが木の実を小袋に戻して懐に入れた。
「出所を詳しく教えてもらってもよろしいですかな?」
「こちらの」
メルクリウスを手のひらで示した。
「翼人族の方々の住処に、いい土地があるのです。元々はエヘルシットが交易を行って人間社会に流通させていたのですが、今回で完全に断絶しました。一時は抑えられていた土地も取り返した今、翼人族から流れる分が安定的な供給になるでしょう。エヘルシットを攻め落とせれば話は変わってきますが……」
エヘルシットを攻め落としたところで、手に入る一等品は少ない。だが、それを教えるつもりはない。信頼はしているが、マルシャンは拷問などには弱いだろうし、他の手段だってある。それに、エヘルシットの話は漏らしてもらって構わないのだ。魔族に頼りたくないという強引な貴族がいれば、エヘルシットへの攻撃を考えていただければいい。他の貴族の存在を匂わせればムイス攻め込むことができないのは普通に考えればわかる。
「そうですか。それはそれは、ベルスーズ殿のいる方向には足を向けて寝れませんな」
「ええ。こういっては不敬になるかもしれませんが、頼りになる男です」
ナギサが目を閉じて言う。ソファが小さく揺れた。
「いえ。この程度で良ければ」
ナギサは薄目を開けて、メルクリウスを見た。
「陛下も、この作戦がうまく行くかどうかが今後の計画に大きく関わってくると仰せでした」
「供給はお任せください。上限はありますが、ひとまずはこれぐらいでしょうか」
メルクリウスがわかりやすく心も正し、机の上の紙に手を伸ばして数字を書き込んだ。折って、マルシャンに渡す。受け取ったマルシャンは紙を持ち上げて、薄目で小さく開いた隙間から数字を見た。
「ほほほっ。これはこれは」
マルシャンの声がマイムマイムを踊りだした。
「ええ、そうですね。上限上限。今はまだこのくらいがよろしいかと」
マルシャンが別に数字を書き込んでメルクリウスに戻した。
メルクリウスが受け取って、紙を開く。ナギサからも見えるが、元々儀礼的に隠しているだけである。金にがめついと逃げられる、という迷信があるからだ。
「して、如何ほど用意すれば?」
マルシャンが言った。
「この量全額なら、エヘルシットとの取引ではこうでしたけど」
メルクリウスが同じ紙に書いた後、別の紙に新たな数字を書き込んだ。
「チッタァ・ハブルまで運ぶならこれぐらいですかね」
二枚の紙がマルシャンに行った。
もちろん、書かれた金額はあくまで翼人族側からのであり、マルシャンにはここから船で運ぶ代金やセスへ納めるお金も入ってくる。
しかし、それでも翼人族からエヘルシットを経由してミュゼルに入ったものを買い付けるよりは間に入る業者の数が違うのでずっと安い。
紙を覗き込んだマルシャンが腹を揺らしながら笑いだした。
「最っ高です。いや、無駄な手数が少なくていいですね。これだから皆様との取引はやめられない」
マルシャンが手招きをすると、トラウテがペンを取り出してマルシャンに渡した。
机の横に置いてある正式文書を書く紙にマルシャンがすらすらと文章を書きこんでいく。
「既得権益に縛られることが少ないですから。いえ、既得権益すらほぼ壊されて失われていますから」
安堵を感じながら、ナギサは言った。同時に、メルクリウスに向けてメッセージも書く。『ほかに必要なものがあれば、マルシャン殿に頼んでも大丈夫だぞ』と。
メルクリウスがナギサから来た紙を読み、丁寧に畳み終えるのとほぼ同時に、マルシャンが首元から印を取り出して紙の横に判を押した。
「これで、契約成立ですかな」
紙が差し出される。
メルクリウスは確認すると、印の部分に魔力を通した。
「ええ。よろしくお願いいたします」
二人が握手を交わす。




