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ニチーダ・クリンゲルと先王陛下の命 2

 部屋には、セスとナギサとニチーダが残っている。ニチーダの視線がナギサにも行くが、ナギサは衣擦れの音一つ立てなかった。


「ナギサは我の一部のようなもの。気にすることはない」


 その後一拍の間、ニチーダはナギサから視線を外さなかったが、何も言わずに目をセスに向けた。


「殿下の四天王は、ナギサさん、シルヴェンヌさん、ガイエルさんの三人が入ることが確定ですか?」


 座れ、と手で指示をしてから、セスは口を開いた。


「シルは我が伴侶。四天王に列することはない」


 ニチーダの瞳が右上に動き、下に動き、そして元に戻る。


「不安が一つ減って、別の不安が浮上したと言うべきでしょうか」

「もったいぶるでない」


「その、あの、あくまでも持論ですからね。ええと、殿下が組織を立ち上げた時、四天王がある種の部下の理想像となると思うんです。そこに、殿下のためならと言って簡単に自他の命を捨てられる人が二人も居たら大きくは成れないと、そう思っていましたので、その不安がなくなったということです。別の不安は、独立性の強い四天王ならともかく、婚姻同盟となると翼人族を二分して争いが起きかねないと思いました。確か、シルヴェンヌさんには弟がいましたよね」


 セスは机に右ひじをつき、口元に手を持って行った。親指が頬に沈む。


「好きだから伴侶にしたいのだ。婚姻同盟が役に立たないのは身に染みてわかっておる。メルクリウスが翼人族を欲しがるのならくれてやろう。ただ、シルに付いて行きたいと望むものを拘束するのは許さんがな」

「刃を向けた部族からの婿や嫁は送り返すのが慣例です。周りが黙っていないのではないでしょうか」

「騒いだ輩が父上を守れたわけではあるまい」

「不安は伝播するものです。あれだけの実力を持つ反逆部族が深くに入っていては、安心できません」


 反逆部族。そう、ニチーダが言った。

(これがニチーダだけではないのなら、翼人族の信頼を回復させねばならぬの)

 目先の問題が片付いてから、ということにはなるが。


「その時はニチーダ、そなたがシルを拘束しろ。格でも上になるように、そなたには四天王筆頭の地位と我が種族の頭目をしてもらいたいと思っておる。何より、シルと相性の良くないナギサを我は重用しよう。それこそ、筆頭であるそなたが軽んじられているのではと言われることもありうるくらいにはの」


「……危険な綱渡りです」

「先達の真似をしても我に与えられる評価は愚物ぞ。ならば我の信頼する者同士が反目しあって力をつけすぎない方が都合が良かろう」

「殿下はよくても、その和子、さらに次の和子の力が削がれます」

「ならばどこかを取り込むまでだ。幸いにして、神狼族というのはわかりやすく、女性は強い男の子を産もうとするらしい。男も、強い男に付いて行った方が自分の力を示し、名を広げやすい。そうやって群れを大きくしていくらしいの」


「取り込ませる気ですか?」

「あくまで一例ぞ」


 ニチーダが、唇を丸め込むようにして噛み、戻した。目の輝きは硬質なものになり、指がかすかに動く。


「殿下」


 叩けば甲高い音を出しそうな声とともに、ニチーダが懐に手を入れた。ナギサがセスとニチーダの間に入りやすいように足の向きを変える。ニチーダの懐から、折りたたまれた紙が現れた。机の上に置かれ、ゆっくりと指で押されてセスの前にやってくる。


「陛下からお預かりしていた手紙です。本来なら、すぐに出すべきだったのでしょうが……」


 言い淀むニチーダの様子を見ながら、セスは手紙に手を伸ばした。バサ、と広げる。

 手紙には、確かに父の字が並んでいた。


「殿下が城から離れる前に渡すつもりだったと、おっしゃっておりました」


 内容は、シルヴェンヌ・ベルスーズとの婚約を解消し、ニチーダ・クリンゲルを娶れというもの。理由は


一、城に人間が迫るにあたって援軍の見込み無かったため。

一、仮に落城したのちも遠方にあるかの部族では駆けつける見込みが薄いため。

一、裏切り者が近くに居てはセスの統治に支障をきたすため。

一、シルヴェンヌ・ベルスーズの過激な考えは、力が落ちるであろう初期においては適さないため。

一、ニチーダとの間にできるであろう子は、より種族意識をしっかりと持てるため。

一、内政において実務経験のあるニチーダを傍に置くことは、アンヘルと信頼関係にあった者たちの引き続きの協力を得ることにおいて優位に働くため。

一、生き残りの四天王は……


 セスは手紙から顔を上げる。セスにとっては、言い訳のような理由がまだ地面を掘り続けても見える土のように思えた。


「何と?」


 セスはナギサの方に手紙を投げた。

 拾う音がする。


「すぐに出さなかったのは、そなたにその意思がなかったから。そうだな」


 威圧的な声でセスが言った。


「不敬を承知で言わせていただきますと、私にとって殿下は使えるべき主であり弟のような存在です。このような紙を渡されて、困惑しているというのが正直な気持ちです」


 目を合わせることなくニチーダが言った。


「ナギサ、読み終わったら燃やせ」


 言いたいことは言ったと言わんばかりに、セスがこの話題を切り上げようとした。


「陛下からのお言葉ですよ!」


 ナギサが驚きの声を上げる。

 ニチーダも、浮かない顔のままではあるがセスに顔を向け始めた。


「先程殿下がおっしゃったとおり、伴侶と四天王を兼ねることは無駄があります。その、私は生き残った唯一の四天王であり、殿下が赤子の頃から知っていて、そして同族です。私に役職を与えることや、ましてや伴侶にすることの利益が少ないのはわかり切ったことなのに陛下がそれを命じた意味を、今一度しっかりと考えてください」


ニチーダの胸に手を当てた訴えに、ナギサも同調する。


「付け加えるとしましたら、殿下、陛下はこの旨を既にベルスーズ殿に送っていると書いております。ここにいる者だけの秘密にではなく、翼人族の中では周知の事実かもしれないのですよ」

「年齢から言えば、ナギサさんの方が適しているのに、私を指定したのです。殿下」


 ナギサとニチーダが代わる代わる説得の言を紡ぐ。

 セスは右手の指を閉じて、人差し指が軽く左目にあたるように、親指はこめかみにおいて軽く押した。


「そなたらこそ、シルの性格と実力を考慮しているのか? ナギサにすれば、矛先が妖狐や雷獣に向くこともあろう。それに、この手紙を確実に受け取っている義父上は死んでいる。義母上も死んでいたな。ならば、我とメルクリウス以外にシルが消すのに抵抗を覚える者が残っていると思っているのか?」

「同族ですよ。それに、身内で割れている場合ではありません」


 ニチーダがやや早口で言った。


「だからどうした。どのみち、数を減らした以上大きな枠組みができるのであればその中で重きを置かれたいはず。その場合、この手紙は邪魔であろう」

「陛下の意思ですよ」

「故人は尊重するが、縛られるつもりはない」


 セスは首を回してナギサを見る。


「燃やせ。この手紙は、我には届かなかった」


 ナギサではなく、ニチーダが反応する。


「殿下。あの箱に、同じ内容の手紙が入っているそうです」

「処刑する者を六人集めて開き、斬ればよかろう」


 あの箱とはサグラーニイ家だけが使うものである。

 名前はないが、誰かが恣意的に意思を曲げることのできないようにと開発された、秘伝の箱だ。正確には、生まれた赤子の血を垂らして登録するようなものなのだが、その赤子以外に六人の魔力が必要である。


「殿下」

「ナギサ。燃やせぬのなら、我が沼にその紙を沈めようぞ」


 言葉を遮って、セスがナギサに手を伸ばした。

 ナギサの目が手紙に落ちて、唇を真一文字に固く結んだあとセスに手紙を押し付けるように渡してくる。受け取ると、糸をつけてすぐに沼に落とした。


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