それは、ご褒美的な拷問でした
サウナの熱により、じわりと汗が出る。だが、不快な汗ではなく、運動後の爽やかな感じだ。目を閉じれば、香油によるバラの香りで、花束に埋もれている気分になる。
と、必死に他のことを考えることで、ルドは隣から気を逸らしていた。
すぐ隣にクリスがいる。しかも、布一枚巻いた姿で。豊満な胸は布の中にキュッと収まり、谷間を強調している。普段は隠れている足が、太ももが、チラチラと視界に入る。
そもそも女性が足を見せるのは伴侶など、親しい間柄の相手のみ。それは、クリスも知っているはずだ。それを知っていながら、その恰好で二人でいるということは……
ルドが悶々と考える。そこに、クリスが話しかけてきた。
「いろいろあったな」
「ヘッ!? あ、はい。そう、ですね」
クリスが首を傾げる。
「どうした? 逆上せたか?」
「い、いえ! まったく、そんなことはないです!」
「そうか。だが……無事で良かった」
「そ、そうですね。カリストが無事でよかったですね」
ルドが前を向いたまま答える。が、それから話が続かない。
沈黙に耐えきれなくなったルドが、クリスの方を見る。すると、クリスもこちらを向いていた。その顔は目元が緩み、どこか嬉しそうな、気が抜けた笑顔だった。
「おまえも、無事でよかった」
「ちょっ、待っ……」
ルドが右手で顔を押さえて背を向ける。そんな表情で、そんなことを言うなんて、反則だ。
「どうした? やはり、調子が悪いのか?」
「大丈夫で……ゴホッ、ゲホッ……」
ルドは深呼吸をしようとして、むせた。高温の蒸気で喉が刺激され、咳き込む。
「おい、本当に大丈夫か?」
「いや、空気を吸いすぎて……サウナの中で深呼吸をしたら、いけないですね」
「なんだ、それ」
クリスがクスクスと笑う。ルドも思わず笑った。
「でも、本当に良かったです。師匠の記憶も、ちゃんと戻って」
「あ、あれは、だな。その……わ、私はなにも覚えていない! 記憶がなかった時のことは、何も覚えていないからな!」
「はい、はい」
クリスにとって、記憶がなかった時のことは黒歴史だ。闇に葬り、なかったことにしたいだろう。
ルドは軽く流したが、クリスが詰め寄ってくる。
「本当に覚えていないからな! いいな!」
「そういうことに、しときましょう」
「そういうことではなく!」
クリスがルドの太ももに手をつき、下から覗き込む。上目遣いの顔面ドアップ。腕に迫る柔らかそうな谷間。バラ以外のいい匂いが鼻をくすぐる。
ルドは前傾姿勢になりながら、上半身だけクリスから逃げた。
「分かりました。分かりましたから、落ち着いてください」
実際に落ち着いてほしいのは、ルド自身なのだが。心臓が暴走を止めない。
クリスが疑うように睨む。
「おまえ、心の中で私の思考を見たとか、言っていただろ? どこまで見た?」
「いや、それは……」
ジリジリと逃げるルドをクリスが追いかける。敷物の端まで追い詰められ、これ以上は逃げられない。だが、クリスが全身で迫ってくる。
胸が! 胸が腕に当たっている! なんか、柔らかい!? 想像以上に柔らかい!?
半分パニックになっているルドが、前傾姿勢のまま両手で顔を覆う。
「言います! 言いますから、戻ってください!」
そこでクリスが我に返り、離れる。
「……いや、言わなくていい。自分の思考なんて、言われても困るだけだ」
「こっちのほうが困ってます……」
息も絶え絶えにルドが呟く。
「ん? なんだ?」
「いえ、なんでもありません」
ルドが太ももの上に肘をつき、頭を下げて苦悩する。
「なんだ、この拷問……ある意味、ご褒美的な状況なのに……」
「どうした? 気分が悪くなったか?」
「いえ、大丈夫です」
ルドが体を起こしてクリスの方を向く。拳一つ分の距離を空けた先で、クリスが心配そうに見つめている。
潤んだ深緑の瞳。紅潮した頬。艶やかな唇。金髪が流れる、滑らかな肌。豊満で、しなやかな体。
抱きしめたくなる衝動をグッとこらえる。
「師匠。ずっと、言いたかったことが……」
「あっ!?」
クリスが慌てたように、ルドの右耳にある魔宝石のピアスに触れた。
「おまえ、サウナに金属を付けて入るな! 火傷するぞ!」
「え?」
「金属が熱を溜めて、触れている皮膚を火傷させるんだ。すぐに外せ」
「あ、はい。あの、師匠は魔宝石をどうしているのですか?」
ルドがピアスを外す。クリスは首にかけているタオルをめくった。
「タオルで鎖を包み、直接皮膚に触れないようにしている」
「さすがですね」
クリスがピアスの外れたルドの右耳に触れる。
「少し赤くなっているが、これなら大丈夫そうだな。次からは気を付けろよ」
「はい……」
何か言いたそうなルドの様子にクリスが気づく。
「どうした?」
「師匠は耳に付けてくれませんか?」
ピアス式になっている魔宝石は本来、伴侶となる相手に渡し、夫婦が揃って耳に付けるものだ。それは分かっている。だからこそ……
クリスは顔を背けた。
「魔宝石は預かっているだけだ。そういうことは、渡すべき相手に言え」
「自分は師匠に付けてほしいんです」
クリスが話を切るように立ち上がる。
「出る」
「師匠!」
ルドが立ちあがり、クリスの腕を掴む。
「自分は、本気です。自分は……」
そこで、サウナの外から声がした。オグウェノが何か言っている。
オグウェノの存在をすっかり忘れていたルドは、慌ててドアを見た。
「しまった」
「どうした?」
「師匠は、もう少しここにいてください」
焦りながらも真剣なルドをクリスが訝しむ。
「なぜだ?」
「師匠は、ゆっくり出てきてください」
ルドがクリスを布に座らせる。
「ね?」
ルドが有無を言わさない笑顔になる。クリスは不審な視線を向けたまま渋々頷いた。
「……わかった」
ルドが素早くサウナから出る。手を上げているオグウェノに突進した。
「なかなか出て来ないから、倒れているのかと思ったぞ。オレもサウナに入るから、さっき渡した布を……」
「いますぐ風呂から出てください」
「へ?」
ルドは殺気を込めて言った。
「すぐ、出てください」
「おい、せめて理由ぐらい……」
「出てください」
「おまえなぁ……」
ルドの気迫に負けたオグウェノが文句を飲み込む。
「分かった。貸し一つな」
オグウェノが風呂から出て行く。ルドが安堵していると、クリスがサウナから顔を出した。
「出てもいいか?」
「はい、どうぞ」
ルドが良い笑顔で答えながら、脱衣所の方を見た。
オグウェノが戻って来るとも限らないし、他の誰かが来る可能性もある。誰も入らないように、脱衣所で見張っていなくては。
「では、自分は出ますので」
ルドが歩き出したところで、髪を引っ張られた。振り返ると、クリスが襟足から伸びた赤髪を握っている。
「師匠?」
「へっ? あっ……」
クリスが慌てて手を離す。
「いや、すまん。出る邪魔をして悪かったな」
無意識にルドの髪を掴んだのだろう。どこか気まずそうにクリスが顔を逸らす。だが、その姿はどこか寂し気で、この広い浴室に一人残すなんてできない。
ルドは浴室に誰も入れないように、脱衣所に繋がるドアに魔法をかけた。
「あ、水風呂に入るのを忘れていました。サウナの後は、水風呂に入ったほうが良いんですよね?」
クリスの顔が明るくなる。
「あぁ。血流が良くなるし、サウナの後の水風呂は気持ちいいぞ」
「水風呂って初めてなんですよ……冷たっ!?」
足先を付けたルドが思わず叫ぶ。
これは水というより氷だ。微かにオグウェノの魔力が残っている。どうやら魔法で水を氷る寸前の温度まで下げていたらしい。
「……嫌がらせか?」
ルドの呟きが聞こえていないクリスは笑顔で言った。
「こういうのは、思い切って入ったほうがいいぞ」
「え? ちょっ、待っ!? ギャ……!?」
クリスに背中を押され、ルドは氷水になっている水風呂に頭から落ちた。




