それは、振り返りでした
クリスはケリーマ王国に到着した時に、飛空挺が降り立った川岸にいた。
「よし! ここから犬の行動を思い出しながら行くぞ」
「それは記憶を失っていた間のことを、バッチリ覚えてるってことだろ」
オグウェノがぼやくと、それをすかさず拾ったクリスが睨む。
「なにか言ったか?」
「い、いや、なにも」
クリスの迫力に負け、オグウェノが視線を逸らすように空を見上げる。いつも通りの青空。そこから降り注ぐ強い日差しが、浅黒い肌を突き刺す。
イディは護衛として付いていくと訴えたが、せっかくクリスと二人きりになれるチャンスだ。オグウェノは強引にイディを説得して、二人きりの外出にこぎ着けた。
俗に言うデートというモノのはずだったのだが、何かが違う。クリスが気合いとともに腕に力を入れる。
「いくぞ」
「へい、へい」
勢いよく街中へクリスが突進していく。その後を、オグウェノは肩を落としながらついていった。
服屋、露店、カフェなど、クリスはルドと一緒に行った場所を思い出しながら歩いて行く。しかし、どの場面でも不審な点はなく、いたずらに疲労していた。
なるべく日陰を歩いていたが、クリスの足取りが落ちていく。
そこで、オグウェノは周囲を見回し、目に入ったカフェを指差した。真っ白な壁に、青い染料で草花の絵が描かれた、オシャレなカフェだ。
「月姫。そこで休憩しないか?」
「……そうだな。喉も乾いたし」
二人がカフェに入ると、数人の客が談笑していた。
店内はひんやりとしており、外歩きで火照った体を冷やすには丁度いい。疲れていたクリスは椅子に座って、ほっと一息ついた。
やってきた店員にオグウェノが茶と菓子を注文する。
「慣れない気候だからな。無理をすると体に熱が溜まって、倒れるぞ」
「気をつける」
珍しくクリスがテーブルに肘をつき、姿勢を崩した。
「大丈夫か?」
「あぁ……」
力なく返事をするクリスの様子に、オグウェノが立ち上がり店の奥へと移動する。そして、水が入ったコップを持ってきた。
「飲め」
「すまない」
クリスは一気に水を飲むと、大きく息を吐いた。
「こんなにも乾燥するのだな」
「気温は高いが湿度が低いからな。日陰にいれば過ごせるが、体からは水分が抜けている。この気候だと、気付きにくいが水分は適度に取らないと、干からびて倒れるぞ」
「知識では知っていたが、実際に体験すると違うな。一つ、勉強になった」
「真面目だな」
オグウェノが呆れたように笑う。そこに店員が茶と茶菓子を持って来た。手際よくテーブルに並べ、一礼して下がる。
クリスは茶の隣に置かれた菓子を、不思議そうに眺めた。丸いケーキの上に、ドロリとしたクリーム色のソースがたっぷりとかかり、その上にナッツがのっている。
「なんだ、これは?」
「食べてみろ」
「フォークとナイフは?」
「そんな上品なものはない。手に持って食べるんだよ」
オグウェノが見本を見せるように菓子を掴み、パクリと食べた。
その様子を眺めながら、クリスも丸いケーキを持つ。ドロリとしたクリーム色のソースは固まっており、意外と垂れてこない。
しばらく観察したクリスは、意を決して菓子にかじりついた。
「……うまいな」
ケーキは油で揚げてあり、サクッとした触感がいい。そこに甘いソースとしょっぱいナッツが、絶妙な相乗効果を生む。
「この地方に昔からある菓子だ。疲れた時には、いいだろ?」
「適度に塩分も取れるからいいな」
クリスが茶を飲んで頷く。
「この甘さの菓子を食べるなら、茶に砂糖はいらないな」
「だろ?」
オグウェノは満足そうな笑顔で頷く。そして、クリスが着ている服に視線を向けた。
涼しげな水色の布で作られた、ケリーマ王国の女性用の伝統衣装。髪型も服に合わせ、少し高い位置で一つにまとめ、背中に流している。
オグウェノが不思議そうに訊ねた。
「記憶が戻ったら、男物の服を着ると思っていたのだが?」
「犬もどきが私を見た時に、私の記憶が戻っていることに気付くかどうか確かめるために、あえて女物の服を着ていたんだ。あの様子だと、気づいていないようだったな」
「そういうことか。いつもの赤狼なら、すぐに気づくのにな」
「……どうだろうな」
クリスが不機嫌そうに顔を外に向ける。しかし、その頬は少し赤くなり、口元は緩んでいた。
「めんどくさい二人だな」
思わず漏れた本音に、クリスが素早く反応する。
「なにか言ったか?」
「いや、なにも?」
オグウェノが意地の悪い笑みを浮かべる。その表情にクリスは自分の方が、分が悪いと感じて話題を変えた。
「ところで、犬が一人で行動していた時はあるか?」
「赤狼が月姫を置いて、一人で行動するなんて……あ、あったな」
「いつだ? どこに行った?」
「王城内でサシ呑みした」
「いつだ?」
クリスの目が怪しく光る。オグウェノは瞬時に嫌な予感がした。
この目の光は知っている。嫉妬と好奇が混じった目だ。
下手なことを言うと話が拗れる、と判断したオグウェノは、軽く説明した。
「二人で話したことがなかったからな。酒を呑みながら世間話をしただけだ」
「本当か?」
クリスが迫ってくる。オグウェノは少し考え、クリスの正面に顔を向けた。お互いの息がかかるほど近い。
オグウェノは男前の笑みを浮かべると、右手の指先をクリスの顎に添えた。
「男同士の秘密の話だ。だが、そんなに知りたいのであれば、閨に来い。いくらでも教えてやるぞ?」
「べ、べべべ、べ、別に、いい! そういうのは、他の者にしろ!」
クリスは深緑の瞳を丸くすると、顔を真っ赤にして離れた。
オグウェノがクックックッと喉の奥で笑う。クリスは頬に赤みを残したまま視線を鋭くした。
「遊んでいるな?」
オグウェノが肩をすくめる。
「まさか。オレは常に本気だ。月姫が閨にくるなら、いつでも歓迎するぞ」
キザな笑顔だが目は本気だ。それを感じ取ったクリスが大きくため息を吐く。
「安心しろ。私にそういう気はない。政略などで必要なら結婚はするが、跡継ぎはない」
「……子が嫌いなのか?」
クリスの屋敷には使用人の子が大勢いるが、クリスが嫌っている様子はない。クリスが視線を落とす。
「そうではない。この話は、ここまでだ」
クリスの様子から、これ以上の話は無理と判断したオグウェノは、話題を変えた。
「で、この後はどこに行くんだ? まさか本当に犬が行った場所を全て巡るのか?」
「今はそれしか手がかりがないからな」
「……数日はかかるな」
オグウェノの言葉通り、ルドの足取りを追うのに数日を要した。
連日の街歩きの終わりが見えてきた頃、クリスがルドに宣言をした。
「明日は遠出をするから、朝早く出発するぞ」
そして言葉通り、オグウェノは朝日が昇る前に起こされた。まだ眠い目をこすりながら、クリスに挨拶をする。
「おはよ……どうした? 男物の服を着ているとは珍しいな。髪もいつもより暗い色のように見えるが?」
寝ぼけていたオグウェノの目が開く。最近のクリスは女物の服を着て過ごしていた。それが、久しぶりの男装だ。しかも、髪がいつもの茶色より暗めのこげ茶色になっている。
「用心のためだ」
「用心? なんのだ?」
「そのうち分かる。行くぞ」
オグウェノは欠伸をしながら、クリスに誘導されるまま川へと向かう。そこには、あまり大きくない船があり、イディが荷を乗せていた。
「……イディも一緒に行くのか?」
「イディの仕事は護衛だ。王都から出ると言えば絶対に来ると思って、先に声をかけておいた」
「……月姫は手際がいいな」
オグウェノがどこか残念そうに呟いた。
二人が船に乗り込む。イディが船を係留していたロープを外し、帆を張る。クリスが魔法で風を起こすと、船が進みだした。
朝日が照らす川を上流へと上っていく。朝早いため、他に往来している船もない。それをいいことに、クリスがかなりの風を起こして高速で移動していく。
オグウェノは速度と、向かっている方向から目的地を推測した。
「まさか、日帰りで滝を見に行くつもりか?」
「そうだ」
「まあ……無理ではないか」
この速度なら、何事もなければ今日中に往復できるだろう。帰城は夜になるが。
ただ、オグウェノはなんとなく不満だった。
「滝の近くで一泊しても、いいぞ? 王族の別荘もあるし」
「今は時間が惜しい。早く原因を突き止めないと、場合によっては時間切れで手遅れ、ということもある」
クリスの焦りを感じたオグウェノが、軽くため息を吐く。そして、風の魔法を起こしているクリスの手を取った。
「それなら、オレが代わろう。こういう魔法は、オレの方が向いている」
オグウェノが右手を上げて魔法を詠唱する。
『風よ、我をかの地へ運べ』
「えっ!?」
グンと全身が押され、今までと比べ物にならない速さで船が進む。そこそこ頑丈な作りの船なのだが、ミシミシと軋む音がする。
「これ、速すぎないか!?」
思わずクリスが船にしがみつく。その姿を見ながらオグウェノがニヤリと笑った。
「時間が惜しいんだろ?」
「クッ」
オグウェノの魔法により、昼過ぎに到着予定だった目的地に昼前には到着した。




