それは、長い夢でした
すりおろしリンゴを食べ終えた頃、なぜかルドは息も絶え絶えの状態になっていた。嬉しくて思わず動きそうになるたびに、全身を走る痛みで苦しんだ。
クリスが皿をサイドテーブルに置いてルドに訊ねる。
「まだ食べられそうですか?」
ルドが答える前に腹が盛大に鳴った。水とリンゴが腹を刺激したらしい。
クリスが嬉しそうに微笑む。
「次はスープにしましょうか。はい、あーん」
ルドが無言で口を開ける。答える余裕はない。そして味わう余裕もない。
栄養を考えて牛乳をベースに、具が蕩けるほど煮込まれたスープ。王城の専属シェフが作ったのだから、美味しいに決まっている。が、味は分からない。
クリスに食べさせてもらいながら、なんとも言えない気持ちに浸る。早く魔力を溜めて怪我を治さないといけないのに、このままでもいいかも、という気持ちが顔を覗かせる。
ルドが複雑な心境でいると、クリスがふと手を止めた。
「師匠?」
何かを考えるように目を伏せたクリスは、少しして顔を上げた。
「あの……もしかして、前にも同じようなことが、ありましたか?」
「同じようなこと?」
「はい。ルドさんが大怪我をしたとか、倒れたとか」
「えっと……少し前に、魔力の使い過ぎで倒れたことはあります」
「やはり……」
クリスが呟く。
「どうか、されましたか?」
「なんとなく、同じようなことがあった気がして……その時は何もできなくて……ただ、見守るだけで、歯がゆい思いをしたような……そんな感じがするんです」
ルドはその時のことを思い出した。
あれはシェットランド領を爆発物から守るために、魔力を使いすぎた時のことだった。予想よりも魔力を使いすぎてしまったが、しばらく寝たら魔力は戻った。
あの時のクリスは少し慌てた様子はあったが、歯がゆそうな様子は微塵もなかった。
クリスがそっと胸に両手を重ねる。
「もう、こんな思いはしたくない、とその気持ちが強く残っています……」
悲しそうなクリスに、ルドは手を伸ばそうとして激痛で顔を歪めた。こんなに心を苦しめているのに、手を添えることさえもできないとは……
しかも自分が原因で。
そう考えた瞬間、ルドは奥歯を噛んで、もう一度腕に力を入れた。根性で腕を持ちあげクリスの頬に手を添える。そのことにクリスが深緑の瞳を見開いた。
「グッ……」
ルドの唸り声とともに手が下がりかける。クリスが慌ててルドの手を掴んだ。
「無理しないでください」
今にも泣き出しそうな声に、ルドが微かに微笑む。
「自分は、大丈夫で……ツッ……」
ルドが苦悶の顔になる。クリスはそっとルドの腕を下ろした。
「やはり、私では……ルドさんの力には、なれない……」
「師匠?」
ルドが眉間にシワを寄せたまま目を微かに開ける。クリスがルドの頭を撫でた。
「今は眠って……休んでください。次に起きた時は……」
言葉に導かれるように強烈な眠気が襲ってきた。瞼が重くなり、なにも考えられなくなっていく。
「し、しょう?」
「おやすみなさい」
「ししょ……」
目に映る景色がぼやける。遠のいていく意識の中で、寂し気な笑顔が見えた。
「さようなら」
声が静かに落ちた。
※※※※
ざわざわとした騒がしい声がする。激しい声援の中に、怒鳴り声や雄たけびのような声が入り交じる。
それらの声に起こされるように、クリスは目を開けた。
すると、そこは巨大な円形闘技場だった。しかも、闘技場の台の中心に立っている。
「ここは……どこだ? 私は、何故ここにいる?」
頭に霞みがかかったような、ぼんやりとした感覚のため、考えがまとまらない。
クリスは気怠い動きで視線を下げ、自分の体を見た。
黒いローブを頭から被り、全身を隠している。ローブの下には女性らしい体の線が出る鎧を着ている。鎧など着たことはなかったが、思ったほど重くなく体に馴染んでいる。
明らかに普通ではない状況だが、クリスの思考はぼんやりとしていた。
「……どうして、こんな格好をしているんだ?」
どうやって、ここに来たのか、何故ここにいるのか、まったく思い出せない。
クリスは手がかりを探して周囲を見ると、遥か前方に立っている人の姿があった。
白銀色の鎧をまとい、右手に剣を持っている。赤髪で全体的に短いが襟足だけが長く伸びている。顔は俯いているため、よく見えない。
その姿を認識した瞬間、光りが指したように思考がクリアになった。
「そうだ。あいつを倒さないと、いけないんだ」
とにかく、あいつを倒す。それが、この世界での全て。
前方を強く睨むと、地表から吹く風が歓声とともにクリスのローブの裾を巻き上げた。
女性らしい体を表すように着ている漆黒の鎧が現れる。その姿に観客の声がますます盛り上がった。
クリスが鬱陶しいフードを外す。大きく息を吸うと金髪も風にのって広がった。
「どこの誰かは知らないが、手加減はしないぞ」
いつでも魔法が使えるようにかまえる。すると、相手も一歩踏み出して顔を上げた。
強い意思を持った琥珀の瞳に端整で精悍な顔立ち。ここ一年以上、ほぼ毎日見ている顔。
雷に撃たれたように衝撃が走り、クリスの頭が動き出す。
クリスは我に返って叫んだ。
「ここは、どこだ!? 私は何をしている!? なぜ、こんなところにいるのだ!?」
慌てるクリスに対して、相手が静かに剣をかまえる。
「おい! 私が分からないのか!?」
怒号に近い歓声が圧し掛かる。周囲を見れば観客の顔はみなぼやけており、人かどうかも分からない姿をしていた。
「どういうことだ? ここは……」
地の底を這う低い鐘の音が響く。相手が踏み出した。
「待て! 私が分からないのか!?」
クリスの叫びにも相手の動きは止まらない。
「やめろ!」
迷いなく突き出された剣を直前でかわす。琥珀の瞳はクリスを見ているが、認識はしていない。ただの人形のように攻撃を繰り出してくる。
「ルド!」
クリスの必死の叫びにもルドの動きは止まらない。
「おい!」
光のない冷めた琥珀の瞳にクリスの顔が映る。鈍く輝く剣先が深緑の瞳の目前に迫る。
「ルドヴィクス!」
叫び声とともに、クリスは体を起こした。窓からは明るい陽射しが差し込んでいる。だが、クリスの全身はじっとりと汗ばんでおり、とても爽やかな朝とは言えない。
鼓動が早鐘を打ち、息が上がる。
クリスは額に手を当てると、脱力したように俯いた。
「……夢……か?」
夢だったはずなのだが、どこか現実的で、動悸が治まらない。
しばらく目を閉じていたクリスは、呼吸が落ち着いてきたところで、ようやく目を開けた。
そこで見知らぬシーツが目に入った。よく見れば知らない部屋で、知らないベッドに寝ている。
窓からは砂っぽい乾いた空気が入ってきた。誘われるように外を見れば、白壁の建物と遠くに砂漠がある。
「……ここは、どこだ?」
クリスは再び固まった。




