それは、二人きりの遠出でした
カリストは優雅に微笑んだまま説明を始めた。
「知らないのではなく、認識できないのですよ。普通は」
誤魔化されなかったことに驚きながらも、オグウェノは表情に出さずに訊ねた。
「どういうことだ?」
「そうですね……例えば、私がクリス様に『この世界に黒髪、黒目の人間はいない』と言えば、それは理解できますし、納得もできます。ですが、そのことと私を繋げて考えることは出来ません」
「つまり……普通なら『この世界に黒髪、黒目の人間はいない』と聞けば、では何故、黒髪、黒目のカリストがいるのか、と疑問に思う。だが、この二つの事実が結びつかないから、お前の存在を疑問に思わない、ということか?」
「その通りです。理解が早くて助かります」
カリストが乾いた拍手で称賛する。だが、オグウェノはさらに警戒を強めた。
「なぜ月姫は理解できない?」
「クリス様だけではありません。すべての人に認識阻害がされていますから、誰も理解できません。ただ、あなたには効かないようですが」
「認識阻害、だと? お前がしているのか?」
カリストが肩をすくめる。
「それだと、せいぜい私の周囲の人にしか出来ないでしょうね」
「……どうやって、すべての人間にしている? 誰が何のために?」
カリストが人形のように綺麗に微笑む。感情どころか生きている気配さえもない。絶対的な美の産物。
無言のまま答える様子がないため、オグウェノは質問を変えた。
「なぜ、このことをオレに教えた?」
カリストがフッと口角を上げる。
それは先ほどの表情とは一変して、人間らしい、どこか醜い感情がこもっているような顔だった。
「教えたところで何もできないからです。変えることも、変わることも出来ません」
「お前は……何者だ?」
「時がくれば解りますよ。では、失礼します」
カリストが一礼して、その場から去る。オグウェノはため息とともに、その場に座り込んだ。
「時……か。嫌な予感しかしねぇな」
こぼれた独り言は散らかった酒瓶たちと共に転がった。
※※※※
その後、クリスたちはオグウェノやベレンともに、買い物や観光をして、のんびりとケリーマ王国を楽しんでいた。
そんな、ある日の朝。ルドはいつも通り早朝から日課の鍛練をしていた時だった。
「おはようございます」
クリスに声をかけられて振り返ったルドは目を丸くした。
最近は可愛らしい服装が多かったクリスが、質素で動きやすそうな服を着ている。
首元が大きく開いた上着に、下は動きやすいズボンだ。生地は麻で作られ白色で、全体的にゆったりとしており涼しそうである。
(こんなシンプルな服も似合って可愛い……って違う。今はそういうことではない)
ルドが軽く頭を振って思考を切り替える。
「おはようございます。どうかされましたか?」
「あの、一緒に少し遠出しませんか?」
「いいですよ。どこに行かれるのですか?」
「それは、お楽しみです。では朝食の後、城の入り口で待っていますね」
クリスが含みを込めた笑顔を見せると、くるりと身をひるがえして駆け出した。風になびく茶色の髪を眺めていると、隣から気配なく声だけがした。
「すみません」
「ンッ!?」
完全に油断していたルドの肩が跳ねる。反射的に横を向くと、いつの間にかカリストがいた。
「ど、どうしました?」
「これを」
カリストが平然と懐から鼈甲の櫛を出して、ルドに差し出した。
「櫛?」
「クリス様の髪の色を変える櫛です」
「髪の色を?」
いまいち理解できていないルドにカリストが説明する。
「はい。この櫛は魔力を込めて変えたい髪色を想像しながら梳くと、髪がその色になります」
「この櫛で!? ですが、どうしてその櫛を自分に?」
「念のため、です。ご存知の通り、クリス様は眠ったり、気絶したりすると髪の色が戻ります」
「……つまり、この遠出は外泊する可能性がある、と?」
カリストが諦めたように微笑む。
「はい」
「ですが……」
「今だけ、ですから」
「……わかりました」
ルドが同意しながら目を伏せた。
いつ記憶が戻るか分からないし、戻らないかもしれない。それでも、今を楽しんでいるクリスの邪魔はしたくない。できるだけ、やりたいことをやってほしい。
ルドが櫛を受けとる。
「で、師匠はどこに行くつもりですか?」
「秘密です」
カリストが主と同じ笑みを浮かべた。
朝食後、城門でクリスと合流したルドは、行き先を知らないまま連行された。クリスが王都に流れる大河を往来する帆船に、ルドと共に乗り込む。
帆船は乗組員が魔法で起こした風を帆に受けながら、船が上流へと進んでいく。船は一般的な交通手段らしく、地元民から商人、旅人まで様々な人が乗っている。
その中で世間話が好きそうな中年の女性が、二人に話しかけてきた。
「お若いお二人さん。もしかして、あの滝を見に行くのかい?」
ルドが警戒をするが、クリスは無防備な笑顔で答えた。
「そうです。行かれたことありますか?」
「あるよ。私はその滝の近くの街に住んでいるからね」
「そうなんですか!? あの、滝の噂は本当なんですか?」
中年の女性がチラリとルドを覗き見すると、クリスに小声で囁いた。
「あの噂は本当だよ。イケメンの兄ちゃんだけど、あの滝を二人で見たらイチコロだから、大丈夫」
「イチコロ?」
言葉の意味が分からないクリスが首を傾げる。中年の女性は豪快に笑った。
「うまくいくってことだよ。うちは街で宿屋兼食堂をしているから、よければ来ておくれ」
「どこにあるんですか?」
「三階建ての赤い屋根の宿屋さ。他に同じ建物はないから、迷わないと思うよ」
「わかりました」
明るく話をするクリスを見守りながら、ルドは全身で乾いた風を受けていた。帆の影にいるため感じにくいが、この乾燥は体から水分を奪っていく。
ルドは話の合間をみて、クリスに茶を差し出した。
「少し水分をとってください。脱水になるかもしれません」
「脱水?」
クリスはコップを受け取り、口をつけた。独特の苦味がある茶だが、後味はスッキリしている。
「体の水分が不足することです。これだけ乾燥した気候ですと、知らないうちに体から水分が出ています。このお茶は、昔からこの地で飲まれていて、脱水の予防にも効果があるそうです」
「すごいお茶なんですね。ご馳走さまでした」
「はい」
クリスが返したコップを、ルドが安心したような笑顔で受け取る。すると、クリスの顔がポンッと赤くなり、恥ずかしそう俯いた。
「おやおや、まあまあ」
そんな二人を中年女性は微笑ましく眺めた。
帆船は川沿いにある複数の町に寄港したため、目的地に到着する頃には日が傾いていた。
そこは終着港でもあったが、船内には多くの人と荷があり、途中のどの町よりも大きい街だった。
「ここは貿易の中継地点なんですね」
ルドが周囲を観察する。王都からの人や商品が川を遡ってこの街に集まり、ここから地方へ移動する。その逆もあり、地方から陸路で集まった人や商品が、ここから船で王都へ行く。
いわば物流の交差点であり、そのおかげで栄えていた。
クリスは周囲を見まわした後、ルドの服の裾を引っ張った。
「こっちです。こっちに来てください」
「え?」
クリスが焦りながらルドを誘導していく。
街から離れ、少し小高い丘を登る。乾燥した地なのに、湿度が高く、見慣れない草花が咲いていた。そして、ゴォーという音が絶え間なく響いている。
ルドが周囲を警戒しながら進んでいると、急に視界が開けた。その先で、クリスが景色を自慢するように胸を張って両手を広げる。
「ここです!」
「はぁ……」
ルドはすぐに言葉が出なかった。
半円形を描いたように削れた台地から、絹糸のように水が流れ落ちている。壮大な滝が燃えるような夕日に照らされ、水しぶきが黄金に輝く。しかも、その水しぶきが風に乗って全身に降り注ぐ。
呆然としているルドに、クリスが満足そうに声をかける。
「すごいでしょう? ここをお見せしたかったのです」
「こんな雄大な光景は初めて見ました」
「よかったです」
クリスはルドほど感動している様子がない。ルドは探るように訊ねた。
「もしかして、師匠はこの景色を見たことがあります?」
「……たぶん、見たことがあると思います。この街に来た時、なんとなくこちらに滝が見える場所があるような気がしましたから」
「そう……ですか」
やはり徐々に記憶を取り戻しつつある。
ルドの思案を他所に、クリスは気持ち良さそうに全身で水しぶきを浴びている。
「一度、ルドさんと来ておきたくて……」
「そういえば、どうしてここに?」
「あの、言い伝えを聞いて……」
「言い伝え?」
クリスが恥ずかしさを隠すよう顔を背け、崖の端を歩きだした。
「はい。昔話ですが、ここで夕日を見た二人は……キャッ!?」
突然、クリスの足元の地面が崩れる。体が大きく揺れ、滝壺へと吸い込まれていく。
「師匠!」
ルドが地面を蹴って飛び込む。
視線の先には、こちらに手を伸ばして落ちていくクリスの姿。しかし、手一つ分届かない。
『風よ! 我が身を飛ばせ!』
ルドが魔法で自身の落下速度を上げる。空中でクリスの手首を掴み、雑に体ごと引き寄せた。
目前には唸り声を上げ、大量の水が降り注ぐ滝。魔法を詠唱している時間はない。
「クソッ」
ルドがクリスを包み込むように抱き締める。轟音とともに二人の姿が滝壺へ消えた。




