フォリアと一緒
少年は、どんよりとした気分で、坂道を登っていた。
朝も早く、まだ通行人も少なく、その中を歩くものといえば、ただ彼と同じような年頃の人間のみ。
少年少女。学生服に、身を包んでいる。
そして、少年もまた。
そう、彼は学生であった。高校生、特にこれといった特長もない、目立たない存在。
ただ、一箇所……他の学生達と違うところがあるとすれば。
「……クワー」
その肩に、大きなカラスが一羽、とまっているということだろう。
「……うざい」
少年は、しきりと肩のカラスを気にしているようだった。無理もない。その羽は畳んでいるとは言え、カラスの体は十分に、障害であった。
「ウザイとか言ってんじゃねー! この俺様を誰だと心得ているのカー!」
カラスが喋った。人間の言葉を。それは、鳥の中には物まねをする存在もいるにはいるが、あまりにも流暢なその言葉、自然とカラスが人語を解して話したと言うべきだろう。
その非常識にも、少年は顔色ひとつ変えず、ただ、
「……うざい」
そう呟いて、歩を進めるのだった。
「なんだよなんだよ、またブルーになってんのか? そんなんならいっそ死んじまえよ! その辺のビルから飛び降りてさ!」
「…………うるさい」
「電車に跳ねられてもいいぞ? とにかく、死んじまえよ! お前みたいなクズ、社会はどこも必要としちゃいないんだからな!」
そのカラスの会話を、周りの誰も気にしない。既に当たり前のこととして認識されているのか、いや、それは違う。
単純に、聞こえていないのだ。
カラスが喋ることは、今はただ、少年の耳にしか入らない。そういうことになっているのだ。
少年……巻田という。彼にしか、カラスの言葉は聞こえない。一部、例外はあるとしても。
「けっ、けっ! しけた面だぜこのガキ!」
まだなおもわめき散らすカラスを一瞥すると、巻田少年は校門をくぐった。
昇降口を抜け、自分のクラスへ。そして自分の席に腰掛けると、窓の外を眺める。
(確かに……僕はクズだろうさ……)
そう思いつつ、ただぼうっと外を眺めていた。
「……?」
不意に、隣に他者の気配を感じて、巻田は振り向いた。
「……」
そこに立っていたのは、一人の男子生徒だった。
整った顔立ち、どこか冷徹さをも感じさせる眼差し、クールな美青年、そんな印象である。彼は一言も発することなく、ただ片手をすいっと挙げて、巻田少年に挨拶した。
「あ、おはよう、大祐」
「……」
大祐と呼ばれた少年は、数少ない巻田の友人である。
元々巻田は人見知りをし、あまり周囲に馴染めないタイプなのだが、どういうわけだか大祐とは友人として普通に接している。
そのことに関しては、周囲からも不思議な現象だと揶揄されているのだが……。なにしろ片や目立たない平凡少年。片や目立って仕方が無い美少年。この相反する組み合わせの怪は、このクラスでも話題の種である。
それはさておき、視点を二人に戻せば、巻田は大祐に質問を投げかけている。
「なんで今日は、朝から僕のところへ?」
「……今日、転入生があると聞いた……」
「こんな時期に転入生? それは変わってるけど……なにか聞いてるの?」
「……美少女らしい」
巻田はため息をつく。そういうことにだけは耳が早い大祐は、立派なムッツリスケベだと思うのだ。彼は外見の良さで誤魔化されがちだが、性格の方はあまり美しいとは言い難く、むしろ変人の範疇である。ただ、周囲にはあまりそういう面を見せていないので、必然的に知っているのが巻田くらいになってしまうのだ。
「そりゃ、大祐には楽しみだろうけどね」
「……」
大祐は、無表情にサムズアップした。
「やいやいこのエロ猿! 少しは自制しろよムッツリのくせに!」
巻田の方にとまったままのカラスが、そう暴言を投げかける。すると大祐はカラスの方に視線を向け、なにか抗議するような目つき。
「な、なんだよ、やるってカー!?」
カラスも怯えつつも強気に出る。すると大祐のシャツの胸ポケットがもこもこと動き、そこからちょこんと首を出したのがいた。
一般的に、イタチと言うべき生き物だ。それが、ポケットから顔を出しているのだ。
「うちのご主人に暴言吐くと、許さへんでー! 齧ったるわこのボケカラス!」
イタチが喋った、人間の言葉を。そしてそれを巻田少年も大祐も、当然のことのように受け止めている。
「な、なんだとこのネズミ! とって食ってやろうか!」
「ネズミちゃうわ! 立派にイタチやねん!」
「悔しければ空を飛んでみろ! やーいやーいジベタリアン!」
「きーーーっ!! ご主人、あのボケカラス齧ったってええですか!?」
「……」
大祐は、ポケットに蓋をするように手の平をかぶせ、イタチを中に閉じ込めた。もごもごと動くポケット。
「……お互い大変だね、フォリアを飼うのも」
「……」
二人の少年は軽く目配せをし、そして意思を通じ合わせた。諦念という、その感情を。
「飼われているんじゃない、こっちがマッキーを飼ってやってるんだ!!」
「うるさいなぁ」
しかし、そんな二人のおかしな会話に、目を向けるものは数少ない。いたとしてもすぐに眼を逸らす。
なぜか、答えは単純だ。この会話している二人以外には、カラスもイタチも見えていないからである。
『フォリア』と呼ばれる生き物は、基本的に見える人間にしか見えない、いわば妄想の産物のような代物である。しかしそれは確実に存在し、その宿木となる人間たちに干渉することで生活している。
……憑き物のようなものなのだ。
そうこうしている間に、授業も進み、やがて新入生とやらがやって来て、教室を騒がしくさせた。
「……よろしく哀愁!」
巻田少年は、一気にしらけた。ふと向こうの席を見れば、そこに座る大祐はじっと転入生の少女の……どういうわけか、制服ではない、フリフリの服……を見て、密かに興奮している様子。
「……やれやれ……」
巻田は、ため息をついた。
「なにため息なんてついてやがるんだよ! どうせお前だって、あの短いスカートとかにハァハァしてるんだろ? 遠慮せずにぶっちゃけろよ、そしてその恥ずかしさのあまり屋上から投身して死ね!」
「……はぁ……」
「はぁじゃねぇよ! 今すぐ死ねよ、すぐ死ねよ!」
巻田は肩にとまった喋るカラスのデコに、びしっとデコピンを食らわせる。
「なにしやがるカー!!」
「うるさいよ、妄想のくせに」
「妄想じゃねえ!!」
わかってる、妄想じゃないってことくらいは。それでも、自分にはこいつをあしらうだけの理由が、他に思いつかない。
それが、巻田には歯がゆかった。
やがて、全ての授業が終わり、下校の時間となる。巻田は大祐とつるんで、昇降口に向かう。
「どうも思うんだけどさ、こいつらってどんどん自己主張が酷くなってない?」
「……?」
巻田は自分のカラスを指差す。すかさずその指先を突付くカラス。
「なんていうか、僕らの病気度がアップしているっていうか」
「……かもしれない……」
フォリア持ちは、人間的になにかしらの鬱屈を抱えている者ばかりだ。そしてその鬱屈が、形として表現されているようでもある。
大祐は、無口な本人に対して、饒舌なフォリア。そして巻田は、必要以上に死を勧めてくるフォリア……。
形式だけ見れば、やはり病気持ちと言うことになるのだろう。しかし、それは誰もが認めたくない現実であった。
狂いの果てがフォリアの具現であるならば、それは即ち自分自身の狂気を認めてしまい、それを見つめることに繋がってしまう。それを誰もが嫌い、遠ざけ、意識しないようにしている。
……恐れは、なによりも強い感情……。
「まぁ、こんなの耳を塞いで聞かないようにすればいいんだけどね」
「……同意」
「ご主人、うちの助言は聞いておいた方がええでー? それはもう無口なご主人の足りない部分を埋めているんやから」
「けっ、ネズミがなんの役に立つよ。それよりも俺様の重要度の方が高いぜ。なにしろもう一息で、マッキーはあの世へ出発できそうな精神状態なんだからな!」
「出発してどないするんや!」
「俺様が嬉しい!」
巻田は、無理やりにカラスのくちばしを握ってその口を封じた。もがもがとやるカラス。
このカラスとの付き合いの中で、何度も思いついたこと。自分自身を消し去ること。
この世の中に、不必要かも知れない、自分を消滅させること。
それを巻田は、何度も考えた。
考えて、考えて……そして、目を背けた。
自分が死ななければならない理由なんて、ない。
そう結論付けて。
(でも僕は、この世界のどこにも居場所が見つからない……)
まだ、世界は自分を拒んでいると、そういう認識はあったのだが。
「あ、あの……」
不意に、背後から二人を呼び止める声があった。振り返る二人。
そこには、三つ編みに眼鏡の、おとなしそうな少女が立っていた。
「……茅ヶ崎さん?」
茅ヶ崎。二人とクラスは違うが、同じ学年。図書委員をやっていて、外見どおりに性格もおとなしい。
多少対人恐怖の気があるのか、あまり人付き合いもしない。ある意味巻田とは似ていた。
そんなところが、なんとなく巻田には気になっていて、ほのかな……自分でもそれと気づかないほどの、好意となっていた。
「えっと、なにか?」
巻田が問えば、茅ヶ崎は俯き気味に、
「あの……私のフォリア、見なかった?」
そう、言葉を返すのだった。
茅ヶ崎。彼女もまた、フォリア憑きであった。彼女にとり憑いているのは、自傷癖を持つネコ。ことあるごとに、自分自身を傷つけ、そして泣き喚くような、そんな厄介なネコ。
それが、いなくなったと言うのだ。
「今朝までは、確かにいたんだけど……その、どこかに行っちゃって……」
ぼそぼそと、そう話す茅ヶ崎。どことなく心細そうに見えるのは、気のせいではないだろうと巻田は思う。
いつもいるのが当然といったフォリアがいなくなる、それはどこか空虚な思いを掻き立てられるものなのだろう。そう理解し、巻田は大祐に言葉をかける。
「ねぇ、大祐? 茅ヶ崎山さんのフォリア、探してあげようか?」
「……わかった」
その大祐の言葉に、はっきりとわかる喜びを浮かべる茅ヶ崎。それもそのはずで、彼女は大祐のことを好いているのだ。もちろん、それとわかるような振りは、なにもしていないのだが。
それに気付かず、ただ探してもらえるのが嬉しいのだと理解した巻田と大祐は、早速彼女と別れて校内を探し回ることにした。
「……で、私のところへ来たわけか?」
保健室の主、皆木女史は、不機嫌であった。
なにしろこれから生徒も下校し、さて戸棚に隠しておいた秘蔵の薬酒で一杯……と考えていたところに、珍客二名。
大いに慌てて酒瓶をベッドの中に放り込んで隠したものの、入ってきた二人にはしっかりと目撃されてしまう始末。
これで不機嫌にならなくて、なんであろう。
「いや、お酒のことはどうでもいいんですけど、ちょっと助力を……」
「どうでもよくない! 私の放課後の楽しみをなんだと心得ているのかね、君たちは?」
ぺこりと、二名の男子生徒が頭を下げた。
その顔には、見覚えがある。皆木女史にも、見知った顔だった。
なにしろ、二人してカラスにイタチを連れているのである。そう、皆木女史にも、その生き物の姿は見えた。
つまるところ、皆木女史も相当にアレだと言うことで……。
「貴様らー! わが主の楽しみを奪うとはなんたる不埒! 噛み殺してくれる!!」
ぎゃんぎゃん鳴き喚くイヌが、彼女の足元に存在した。しかし飛び掛ろうという態度はそれなりに勇猛なのだが、その尻尾を皆木女史に踏みつけられているために、どうしても男子生徒たちに飛びかかれない。
鬱憤溜まるイヌであった。
「うぬれうぬれ! この世界のどいつもこいつもなんたる不埒な奴らか! 全員噛み殺してくれる! がるるるっ!!」
「うるさいぞ、イヌ」
げしっと頭を踏まれて、イヌはおとなしくなった。
「それで両名とも……名前は……」
「巻田です」
「……大祐」
「ああ、そうだった。うむ、で、私に失せ物を探して欲しいというわけかい?」
「まぁ、そうなります」
「……肯定」
皆木女史は、うむむと唸った。
ここでこの二人を追い返しておけば、きっちりと美味い酒が飲める……。しかし仮にも生徒を無碍に追い返すのも、いかがなものだろう?
考えて、考えて……。
「……この保健室の中限定ならば、力になってやろう」
かなり現実的な答えを出した。あからさまに嫌そうな顔をする男子二名。
「……不服かね?」
保健室備品の長バサミを両手に、ちょっきりちょっきりやる皆木女史に、二人は慌てて首を振った。
「うむ、では早速捜索を開始しようじゃないか」
皆木女史は、先頭に立って室内の捜索を始める。慌ててそれに倣う巻田と大祐。
巻田が戸棚の中を覗こうとすると、皆木は慌てて止めた。
「まぁ待て。その中にネコがいるはずが無いじゃないか、なぁ? もっとこう、他の場所を探したまえ」
「……」
巻田は構わず、戸棚を開いた。すると中には、洋酒の瓶がぎっしりと。
「……皆木先生?」
「こ、これは消毒用のアルコールだ! 断じてちびりちびりと飲んで楽しむものではないぞ、うん!」
大祐がベッドの下を覗く。すると数冊の雑誌が出てきた。それの表紙を見て、大祐は無言で頬を染めた。
「そ、それはここに運び込まれた男子生徒が『うまい具合に自己処理』するための備品だ! 断じて私の趣味ではない!」
「……無修正……」
「いいから元に戻したまえ!」
巻田が引き出しを開ける。すると中から乾物類が出てきた。
「保健室にスルメなんて必要なんですか?」
「知らないのか? 傷口にスルメを貼り付けておくと、回復が早くなるのだぞ?」
大祐がベッドを捲る。すると幼女の裸体のプリントされた抱き枕が出てきた。大祐は鼻血を吹いた。
「あ、あれは同じく男子生徒の自己処理用で……繰り返すが、私は関知していない! 本当だぞ!?」
巻田と大祐の不信の視線が、皆木女史に突き刺さる。
すると彼女は、おほんと咳払いをひとつして、
「ま、まぁ、これでこの保健室にはネコはいないということが証明されたわけだ。良かったな、青少年」
「貴様らー! よくもわが主の恥ずかしい秘密をことごとくー!! 足の先から食いちぎってくれるわ!」
「恥ずかしい秘密言うな!」
イヌは、げしょっと蹴られた。
「さぁ、もうなにも問題はないだろう? 帰ってくれたまえ」
「ご主人、この女、頭がおかしいですぜ? さっさと上に通報して、この学校を辞めさせた方が……」
「ちょっと君、そのイタチを渡してくれたまえ。なぁに、悪いようにはしない。ちょっと理科担当の教師が、ホルマリンの在庫があるというからな」
大祐は、慌てて下がった。
「……あの、先生? ちょっと思ったんですけど……」
「なにかね?」
巻田は、たった今浮かんだ疑問を、そのまま口に出す。
「そのイヌを使って、匂いで探し出すという方法が……」
「そんな単純なことにも、今まで気付かなかったのかよ? やっぱりお前、死んだ方がいいわ!」
「うるさい」
巻田がカラスを黙らせている間に、皆木女史は二人を保健室の外に押し出す。
「さぁさ、帰ってくれたまえ!」
結局なにひとつ収穫は……あったのかもしれないが、悪い意味で……巻田と大祐は、保健室を後にするのだった。
それから二人は、校舎のあらゆるところを探し回った。
理科室に赴いては、人体模型をひっくり返し、家庭科室では、皿を割って大騒ぎをした。
その度にカラスは巻田に『死ね死ね!』と言い、イタチはイタチで『面倒ごとは全部巻田に押し付けや、ご主人』などと言う。
それを片っ端から叩いて黙らせて、それでも二人は探索をやめない。
あちこち、あちこちと……校舎の中を探す。
もしかしたら、この校舎の中にはいないのではないか……そんな疑問が浮かんだ。
「ねぇ、このまま探し続けるべきだと思う?」
「……なぜ?」
「いや、なんだか徒労に終わりそうに思えるし」
「徒労なのはお前の今までの人生だ! 死ね! 今すぐに死ね!」
「やかましいボケカラス」
カラスにチョップをくれつつ、巻田は考えた。
そもそもなぜ、校舎の中にいるなどと考えたのだろう……?
答えはすぐに出た。彼女……茅ヶ崎は、いつも学校に居残って、最後まで自分の仕事をこつこつとやっているようなタイプだったからだ。
彼女のフォリアだから、なんとなく学校内に居座っている、そんなイメージだったのだ。
「……しかし、他にどこを探せば……」
「うーん……」
これといって彼女の行動範囲を知らない以上、迂闊に捜索もできず……。かと言っていまさら聞いたのではなんとなく格好が悪い。
そもそも始まりからしてダメダメだったと、改めて気付かされる。がっくりくる巻田だ。
「ご主人、うちは思うんやけどね、こうなったら非常ベルでも鳴らして追い出して、そこを生け捕りという手はどうやろ? いっそのことほんとに火をつけて、学校ごと燃やして始末するってのはどうやろ? 手間も減って一石二鳥やと思うんやけど」
大祐がイタチをメタメタにいわしている間、巻田はうむむと考えた。
(……こうなったら、本当に非常ベルでも鳴らして……)
その時だった。二人の目の前を、一匹のネコがひょいっと横切ったのは。
「……あ」
「……」
二人は顔を見合わせて。
「追いかけよう!」
「……了解」
ばたばたとその後を追いかけた。
「どーせ無駄だ、無駄だって! そんな無駄なことを必死になってするなら、それこそ必死で死んだらどうだ? 必ず死ぬって書いて必死なんだぜ?」
「黙れ馬鹿カラス」
むぎゅーっといわせて、追跡続行。
「だから無駄なんだってばよ! お前らしらねーかもしれないけど、俺様たちってのは、こう……あるんだよ、色々と!」
「色々ってなにさ!」
「お前が死んでから教えてやる」
もう一度、むぎゅーっと。
「あーもー、なにが気にいらねーんだよ! お前だって自分が世の中にいらない存在だって、わかっちゃいるんだろ!?」
「だからって、それをカラスに指摘されたくない!」
必死で、二人は走った。
ネコは追う先々を、たったかと走っていく。それを追う二人の姿は、自分たちから見ても滑稽で。
なんとなく大祐と笑みなど交わして、追いかける。
「ご主人、あの角を曲がっていったで! もうここは消火器でもぶん撒いて煙幕攻めや! ついでに火をつけて校舎を燃やせば一石……もごもご!?」
うるさいドウブツたち。そんなドウブツでも、いないと不安になる。茅ヶ崎の気持ちは、なんとなく理解できた。
結局のところ、人間は自分の心の中のなにかと、向かい合って生きていかなければならないのだろう。
それがたまたま、こうやって表に出てきているだけで……巻田も大祐も、茅ヶ崎も皆木女史も、誰もがあまり他の人間と大差はないのかもしれない。
本当にたまたま……奇妙なドウブツとなって、心の中のなにかが表に出てきて、忙しない生活を送らされて……でも、それが不思議と当たり前になって、いなければいないで心細くなって……。
それを、慣れだと言うのは、容易いだろう。しかし、もっと別な……なにか。
そのなにかが、あるんじゃないかと、そう思えるのだ。
「やった、この先は行き止まりだ」
「……追い詰めたな」
「よし、今すぐ死ね!」
「うるさい!」
角を曲がって、廊下の行き止まり……。
しかし、そこにネコの姿は無かった。二人は、ただ呆然とした。
姿を消した……そんなはずはない。彼らは他人には見えないだけで、確かにその姿はあって、ちゃんと声も聞こえて……。
しかし、と思う。
自分たち以外に、それを確かめた人間はいるのだろうか?
心の闇と向き合うことは、結局は同じ闇を持った人間か、自分自身にしかできないことじゃないのか?
唐突に消えた、ネコ。それは、なにを意味しているのか。
考えても、わからないことだった……。
昇降口で待っていた茅ヶ崎と、二人は落ち合った。
「ごめん、その、ネコが……消えちゃって」
「……はい?」
巻田は、状況を詳しく説明した。
「ええと、その……消えちゃった、ですか……?」
「文字通りに。ねぇ、大祐?」
「……」
茅ヶ崎は、少しばかり驚いたような、そして唖然としたような……そんな表情を浮かべた。
それを見れば、巻田にもすまないという気持ちが浮かんでくる。申し訳なくて、自然と頭が下がった。つられて大祐も頭を下げる。
「その……謝らなくても……いいですから」
「でも、見失った僕らに責任がある。だから……」
「その通り、ご主人はともかくあんたには責任があるんや!」
イタチは口を塞がれた。
「いいですよ、もう……」
その茅ヶ崎の表情が寂しげで、巻田はペコペコと頭を下げた。下げ続けた。
「だからよー、別にたいした問題じゃないだろーがよー?」
「なんだよカラス、文句があるのか?」
カラスは、どこか投げやりに、
「俺様たちはよ、必要とされなくなったときには勝手に消えるもんなんだよ。そういうところ、お前らわかってないだろ?」
「勝手に、消える……?」
「そのよー、つまりアレだ、そのねーちゃんには自傷っていう内面があったわけだろ? それが必要となくなりゃ、そりゃ自傷するネコも消えるだろ?」
よくわからなかった。言いたいことはなんとなく伝わるのだが……。
「だから、そのにーちゃんがねーちゃんにとってなんだかこう、うまい具合に心の隙間を埋めたっつーかよー?」
「……?」
巻田は大祐を見る。不思議そうな顔をしている。続いて茅ヶ崎を見る。頬を染めている。
「とにかくそういうことなんだよ、わかれよガキ!」
カラスをどついて黙らせる。その後、巻田は茅ヶ崎にそのあたりの事情を確認した。茅ヶ崎曰く、
「……その、そういうことも……あるかもしれません……」
なんとなく、巻田は拍子抜けしていた。つまりは、茅ヶ崎が大祐に恋愛感情を持ち、それが結果的に心の闇を埋める形になった……と。
わかってしまえば、どうということもない話だった。そういうこともあるのだなと、そんな感じだった。
しかし、それにしても納得がいかなかった。なんとなく好ましいと思っていた相手が、他の男を見ていた。面白くない話だった。
なので、とりあえず巻田は、
「クワーッ!?」
カラスに八つ当たりをしておいた。
「あの、こういう形で……ずるいとは思いますけど……」
その一方で、こっちではもうちょっと面白い話が繰り広げられていた。
茅ヶ崎が、勇気を持って大祐に告白をしようとしていたのだ。
「……私と……お付き合いしていただけませんか……?」
大祐は、少しばかり考えて。
「……こんな俺で、良ければ……」
「よっ、ご主人! 日本一や!」
イタチの囃子で、なんとなく変なムードの中、告白劇は終わった。
……すると、茅ヶ崎が目をぱちくりとやる。
「あれ、イタチさんと……カラスさんが……見えなくなった?」
「どういうことだよカラス!」
カラスの首根っこを掴んでぶんぶんと揺さぶって、問いかける巻田。
「クェーッ!? だ、だからこれで完全治療っつーよ! なにかそういうのだろ!?」
「声も聞こえない……私、なにがどうなって……?」
とりあえず、彼女は自分のドウブツからも、他人のドウブツからも、干渉されない立場になったのだろう。
それは素直にめでたいことであるし、がんばったねと言いたい。
だけど、それでも納得できない部分も、ある。
なぜ彼女だけ完結して、自分たちは未だにドウブツ持ちなのか。この面倒なフォリアとも、いい加減におさらばしたい。
でも、そうなればそうなったで、やはり寂しい思いをするのだろうか……?
自分のフォリアを探して、あちこち彷徨ったりするのだろうか?
まぁ、いい。今はどうだって、いい。
その時になったら、考えてみよう。どうせもうしばらくは、この厄介なドウブツと離れることはできそうにないのだから……。
「よし、ねーちゃんの全快祝いに、ここで腹を掻っ捌け! 俺様が介錯してやる!」
「うるさい黙れ、ドウブツのくせに!!」
「カァーッ!?」
皆さんの中にも……フォリアを……ドウブツを飼っている方は、いらっしゃいませんか?
たぶん、それは……厄介で、どうしようもない、うるさい生き物なのでしょうけど……。
うまく、付き合ってあげてください。
きっといつか、離れる日が来るのですから……。
それまでは、どうか。仲のいい日々を。
誰でも抱える心の不安、それが形になって現れたら……。
そんな思いを、この文章に篭めました。
読んでいただき、ありがとうございました。