02. 伯爵令嬢は家を奪われる。
──詰んだわ。
どうやら私は奴隷商に売られるらしい。伯爵家の令嬢が奴隷商に売られるなんて前代未聞だわ。
喧々囂々、値段交渉を続けるアーグウストと奴隷商のやり取りを、リューティアは他人事の様に聞きながら、小さくため息を漏らした。
***
──人生が一変したのは、六年前。それはまだ、リューティアが十歳になったばかりの事だった。
その日は、雨が降っていた。リューティアは屋敷の窓に張り付いて、両親の帰りを待っていた。
「お父様もお母様も遅いわ」
ぷぅ、と頬を膨らまし、唇を尖らせるリューティアに、この屋敷に長く使える執事のルーカスがくすくすと笑う。
「お嬢様、そう焦らずとも、もう間もなくお帰りになられますよ。雨で馬車が遅れているので御座いましょう」
「そうね。でも私、五日も待っているのよ? 朝にはお帰りになると思ったのに、もう暗くなってしまったわ」
「領地は広う御座いますから。旦那様も奥様もお嬢様のお顔を見るのを楽しみになさっておいででしょう。その様にふくれっ面をなさっては旦那様も奥様も悲しまれてしまいますよ?」
「心配いらないわ、ルーカス。私笑顔には自信があるの」
リューティアは、執事に向かって、にっこりと笑って見せた。侍女達も、そんなリューティアを微笑まし気に見て笑う。
どこにでもある、幸せな貴族の屋敷の日常風景だった。
──この日までは。
***
早馬がやってきたのは、それから数時間後の事だった。
いくら何でも遅すぎる。屋敷の者達が不安に駆られ、馬車を迎えに馬を走らせて、崖下に落ちている馬車を見つけたのだ。
山道のカーブにはくっきりと轍の痕が残り、カーブを曲がり切れずの転落だと思われた。
リューティアの両親は、馬車の中で抱き合う様にして事切れていたらしい。
報告を受け、屋敷の中は大騒ぎになった。直ぐに馬車を引き上げる為に屋敷の男たちが集められ、侍女達は泣きだしていた。
そんな様子を、リューティアは、その状況を受け止めきれず震えていた。侍女のマーリがぎゅっとリューティアを抱きしめて嗚咽を漏らしている。
「リティお嬢様…」
「うそよ…。お父様と、お母様が亡くなったなんて嘘よ。五日後には帰って来るよと仰っていたもの…」
「──それは…」
「ルーカスだってもうすぐお戻りになるって言ったわ! お亡くなりになったなんて、信じない!」
「お嬢様!」
リューティアは、それ以上その場にいる事は出来なかった。踵を返すと自分の部屋へと駆け戻り、大声で泣いた。泣いて泣いて、やがて疲れて眠りに落ちるまで泣き続けた。
屋敷全体が、悲しみに包まれていた。
翌日には、大勢の人が屋敷へと詰めかけ、しめやかに葬儀が行われた。
民からも愛されていた領主の死に、領民達も皆悲しんだ。
リューティアは食事も喉に通らなくなり、部屋に閉じこもる様になっていた。
悲しみに包まれたままのルフタサリ伯爵邸に、父エルンストの弟を名乗る男が、家族と数名の使用人を連れてやってきたのは、それから僅か一週間後の事だった。
「──どういう、事で御座いましょうか…」
「兄上が死んだらこの屋敷は俺の物だと言ったんだ」
突然やってきた父の弟──アーグウストは、蒼白になる執事に、ペラペラと手に持った書類を振って見せた。
「この屋敷にはお嬢様がいらっしゃいます! それにそんなお話は旦那様から伺っておりません!」
「お前たちがこの屋敷に仕える前に交わした契約だからな。万が一兄上が亡くなったら、妻も土地も財産も全て俺に譲ると言う誓約書だ。まぁ、妻は死んでしまったのだから譲られようがないがな。ちゃんと兄上のサインも入っているし、印璽も押されている」
誓約書を受け取り、震えながら目を通すルーカスに、アーグウストはニヤニヤと嘲るような笑いを浮かべた。
「──この屋敷はたった今から俺のものだ。お前達にも早々に出て行って貰おう」
ルーカスの手から、誓約書が、はらりと落ちた。
***
「嫌よ! やめて、何をするの、やめて!」
亡き母の部屋に居たリューティアの元にノックも無しに押し入ってきたのは、アーグウストの妻、フリティラリアとその娘、シャーウラだった。
フリティラリアはリューティアをちらりと一瞥しただけで、そのままソファへと腰かけ、優雅に扇子で口元を覆っている。
不躾に部屋の中を歩き回り、母のドレスや宝石を次々と引っ張り出し始めたのは、一つ年下だと言うシャーウラだった。
「ふぅん。大事なものなんだ? そうよねぇ、だってあんたのお母様の形見ですもんねぇ?」
シャーウラは母が大事にしていたドレスを一着手に取ると、ニタリと嫌な笑いを向けた。その手には、きらりと光るナイフが握られている。
リューティアはアーグウストが連れて来た使用人に抱きかかえられ、身動きが取れない。
廊下の向こうでは、元の使用人達が何とか止めようと騒いでいた。
「お願い、返して! それに触らないで! それはお母様がお父様から頂いた一番大事にしていたドレスなの!」
「ふぅん。あんたのお父さんって趣味悪い」
ブツッ。ビッ。ビビビ────
ドレスにナイフが突き刺さり、シャーウラはドレスをこれ見よがしにゆっくりと引き裂いていく。リューティアは悲鳴を上げ、必死に暴れた。
シャーウラは泣き叫ぶリューティアを意地悪く眺めながら、次々にナイフを突き刺しては引き裂いていく。美しかったドレスは見る影もなくボロボロになっていった。
「シャーウラ。その辺のドレスは後で売るのよ。勿体ないことをしないで頂戴」
面倒そうにフリティラリアに諫められ、シャーウラはひょいっと肩を竦めるとナイフを鞘に納めた。
「はぁーい。ほら、こんなボロ布もういらないわ。返してやるわよ」
ドレスが投げ捨てられると、やっと使用人から手を解かれたリューティアはボロボロになったドレスに駆け寄った。
崩れ落ちる様に床に膝を付き、ドレスの切れ端を泣きながら拾い集める。
なぜ、こんなことをするの? 私が何をしたというの? なぜ、こんなことになってしまったの。
母の優しい笑みが浮かんでくる。リューティアは、ボロボロになったドレスを抱きかかえ、声を殺して泣いた。
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